連載は続く~SF掌編『こもらず、外の空気を吸いに、(今日も)散歩?かな』編


どういった治療(より具体的、詳細に、一般相手ということでの遠慮は不要だ)がこの間、これから為されていて、重症者が増えているのか、それを周知にしないで、数と病状修飾だけの騒ぎをいつものように繰り返すのは、専門家筋なら当然、心理作戦に通じてしまうくらいの注意報を発信しても良さそうなものを、まるきりしていない、不思議、くらいは、素人でも指摘しておいた方が良い時期ではないか、と押さえた。

*ちょっとしたサボタージュ、指揮命令系の誘導で事態を操れることは面従腹背の怪しい処世とも関わってしまう。そういうことを心配させない司法や行政や議会やの関りが要る。(重要なところで身びいきが功を奏するかもの視点をまるきり無視するものではないけれど)かつてのUSのしこり911はそのうち明らかにされざるを得ないのだし、列島はじめ介護施設でのお年寄りへのきつい扱いも、アイルランドでの子供たちに関わるニュースのように、現場のずさんさをコントロールしきれない細部まであからさまにされてしまうものだ。

ことばの行き交いでは、混沌としがちと思えるけれど、確実に、ホワイトハウス発で、何本か政策が立て続けに表に出されている。
大企業規模で研究・その先へ、が可能かもと素人は目測していたのが、政府規模の策として出てきた。そのくらいの規模での研究じゃないと実際化に向かわせずらかったのか、と一応受け止めさせた。
しかもその研究は遠い将来へのヒトのある程度パニックに誘わないで済ませられる、気候激動的変動策と通じる。天然自然派諸氏には今更なぜ、となるかもしれないけれど、サイエンスにも力を貸してもらいたい向きも指摘できる。できるものがお手軽版にならないと、その策の一環とはいかない難しさはありそうだ(し技術の成果はいつでも両刃性を持つのだから油断しない工夫がいる)。
実際に起こりうる、ヒトにとっての大変さだから、今時の豊かさゆえ、軽症感染症ゆえの空騒ぎで単調な人生に色どりをのサービス精神発揮なのかもしれないけれど、ものは使いようなので、工夫のための人材つくりを怠ると、いざという時の演出は手抜き版採用となりかねない。

*ヒトがあふれかえって、それすらが問題の原因となりかねないと思えるかもしれないが、その数や密度やが可能にしている、一面の豊かさというのを指摘できる。
その数を維持できない気象環境が到来した時にはテクノロジーの水準の維持すらが、実は・・・のところに想像をしておかないとまずいわけだ。
しかも今は、数は多いけれど、中小企業の下支え的社会の目論みすら当分できないのではと思わせる、地域自立の条件を欠くような貧富格差のグローバル版が変化しそうにない。
”先進国発想”ということを、たとえば医療での、先進性ということを想起して、テクノロジーの水準ということの押さえ方にも応用できる。そういうことをしておかないと、対症療法として、救急の凄い技としては応用できても、人(日々の人生を全うするという捉え方)にとっての医療としては、偏りがすでに発見済の既存の主流の医療は、コロナ騒動をかえって煽るような立ち位置を取りがちだ。これは素人的には本当に情けないことだと受け止めている。現場が次から次へと変化する事態対応で、考えてはいても出来ないのが実情だ、という秘かな部分は、今時、どういう営業部門でも経験されていて想像はた易い。それでも、指摘しておける。組織、団体を持っているのだから。

実質、重大な感染症の時、その性質によって対処は異なるけれど、風邪タイプで展開をある程度掴(つか)めた時点で、最初に免疫作戦に挑めるのは、現場を支える専門家諸氏であることを今、この時点で謙虚に受けてもらえるかどうか。多くは、判ってはいても、新種で手に負えないということで自らの免疫耐性ではこらえきれずに、あちらへと行かれる方が出てしまうのだ。けれども、そうならないように、一番に働き掛けを認められる立ち位置の諸氏がいらっしゃるわけだ。そこを想像できないで空騒ぎへと持って行くことは、ワイドショー系の諸氏においても、今のコロナが実際には軽症系だとわかるワイドショー的出鱈目性で逆に表にするくらいの勢いが必用だ。きつくロックダウンしろとか仕事のメディアでは言っておいて、自分たちは大いに出回って、軽く罹って、免疫もってるぞと自慢したり程度のことだ。
おいおい、そんなことしたら、メディア仕事を失うくらい評判を落としてしまうぞ、ときっと返ってくる。
煽る方が許されてしまうその落差くらいは承知しておいてもらいたいものだ。

ヒトは動物の一種だ。だから発情を恥ずかしがるタイプで受け止めることは、根本のところで何か勘違いしている。不適切な意味で"良い子"を演じている。そうはいっても、自分は動物であることと距離を置きたい、そういう考え方に忠実でありたい、とかの思惑も観念系が用意していておかしくない。
そういうごくごくごく少数な諸氏はそれで試行錯誤されたしだ。
動物性を自覚しながら、やつらの性質(たち)を気付けるようにしておけば、残酷を自らが発揮することをある程度抑制し続けることができる。
抑制と言ってしまうと、動物性発揮を抑制とかにとられるかもしれないが、そういうことではない。
残酷に向かわせるそういう内面的な力が働きがちなのを抑制する意味。
そこらはバタイユ氏を引き合いに何度か指摘してきた。
ありがちに事を済ませてその状態に、落ちつきを勘違いする場合もあれば、散々ことを仕出かしてその落ちつきとして勘違いしてしまうことも大いにありがちだ。飽きた状態は、しかし、内実として、他者への残酷発揮を感じ取りにくくする。反射を遅くさせがちにする。
一瞬の躊躇が他人に危害を加えることを抑止させるものだ。(身びいきから)治安を口実に官民を問わず、ちょっとした日常生活の一コマに介在することで邪魔(嫌がらせ)に入るということも、その躊躇が抑止させうる。
もっと軍事的な究極の場での、一瞬の隙の無い状態ででも、集団化しての暴虐タイプの行為群への躊躇判断で応えることが可能になる。
やつらは強力だから・・・と付き合い方の一案くらいは何度かことばにしてきた。
ただそれ以上に折角の観念操作の力を人生時間ともども持てているヒトの世界なのだから、そこをもっともっと開拓できそうだ、ということの代案で答えている。

大国による"帝国"的"支配"の姿は、円満な方向性を持たせることもなんとなくできるようだな、と思わせる。
しかも役者が揃っていないと、なかなか・・・。これがきっと実情に違いない。
やる気だけ旺盛というのでは足りなすぎる。
歴史知見を踏まえたヴィジョンを擦り合わせる必要がありそうだ。
だから大変だ。歴史知見?列島のことですら、未だに、九州の位置的な特徴を見ないふりし過ぎている。暗記物にしない歴史学習の方向が既にできてきたらしいから、これからは違ってくるかもしれない。何年にが先行するのではなくて、事実関係の連関とかで、物事の成り立ちを考察する歴史学習。その際に、出来事の順を決めるのは年次になるから、参照すれば清む。そのことで観点への刺激にもなる。連関の絞った領域では年次も含めた考察が成されている。でも、その他については、出来事の順で覚えているだけでも充分で、そこの年次を必要時参照できればかなりの考察を円滑にさせる。
物事の整理での年表が貴重なことはいうまでもない。一家に一冊(以上?)でしょうね。
その出来事の羅列は混沌とする。一般にはわかりにくいままになりそうだ。
作為は働く。そうやってヒトにとってどう作り変えたらいいのかは試され続ける。
できれば未熟な市民社会であってもそこで得た感触を大事にしながら次のステージへという試行錯誤でありたい、というのが年寄りの素人の考え。希望めいている。
911のようなことは、隠しておくことはできない、と素人は察する。そこで隠し通してしまうと、その弱みを突く、取り巻きというか、目先の利害系がかき回しやすくなってしまう。それにタカル収益構造もできて、修復に更に時間を要するようなことにしかねない。
他の歴史つくりの試行錯誤は(博覧強記)歴史家、研究者(褒めるわけではないが、"怪しい"学者、放送大の高橋氏のようなタイプの研究者諸氏はきっとかなり突っ込んだ調査をされてそうに(ないし内部情報を得ているように)勝手に想像してしまう)が後々事情の幾分かを解明してくれればいい。結果次第でのその場その場での評価、責任として表舞台での決着がその都度為され続けるわけだから。
ソ連→ロシア政変時。そこでお金絡みの強奪行為のグローバル版は直ぐに解明された。そして素人老人においても若き日に知っていたUSの若き俊才氏もそこに居たことを知ってガッカリさせられた。金融・経済系はヤバイ。民主系・共和系の名で判断は禁物。
その裾野が強靭なまま昨今を騒がせてもいると想像することくらいしか素人にはできないけれど、そこまで出来るようになっている構造の質のところには、圧としての代替が要るのではと心配するくらいに、一方のし放題が危険領域を構成しているのではないか?
弁証法でやってはまずのだけど、それがダメなことと思えたら、ある程度オープンに言論を構成しつつ、地道な工作も要る、というSF事件解決もの映画シナリオだってできそうだ。
実情の進行形では、善悪のだれそれという構成は混沌として描きにくくなる。
そこは大国を担うことの負担で一国をつぶすかどうか、という時間制限問題が登場して久しいグローバル環境下、経済大国としては共存可能でも、グローバル環境での帝国的面倒見の良さを発揮しながら、仕切る厖大な費用を負担できる大国志願は意欲だけではどうにもならないから、試され続ける。過酷なくらいこんなことできるの?できなきゃ担えっこないよ、くらいの秘かな対話がきっと続いている。助け舟はこっそり出せる。ここらも、難しい。絶対に表にできない諜報もからむ工夫の奥義。
すこし、こうなると素人SFでも面白くなるかもなんて、思わせるか、な。