連載は続く~ SF 掌編『ごく手短な補足』編


大抵の生き物は栄養が要る。
そこでヒトの場合、食う。目だった動物たちもやたら食う。
通常ヒトの身体を構成する膨大な細胞は順次自滅的に入れ替わる。で先日もふれたように、組織によって入れ替わり度合いがかなり異なる。
ということで、食った栄養素が原料となってたんぱく質製造工場を通過しながら必要な素材と成って各部の必要なところで入れ替わってしまう。
実質、食われた何かしらが食った主の細胞に侵攻しまくる仕掛けになっている。
ある程度、その食っちゃ寝を繰り返しているうちにかなりが食われた主の要素で入れ替わってしまう。
一応意識は持続していることになっているし、心臓とかかなり長期を使いこなす組織もあったりで、全てというわけではないようだけど、ヒトの体すらが相当に不思議な現象ということもできそうだ。

ところで、度々(たびたび)引用させてもらっている喜田氏の論だけど、またもや使わせてもらう。
氏の指摘から、あたかも元素の同位体比の如く、薬剤耐性を異にする同種の細菌が棲み分けているように、インフルエンザウイルスも感染性の異なるのが既に!棲み分けた状態でヒトとかの生き物に棲みついている。
感染はそういうことになる。
同じ名称で括られるたとえばウイルスであっても、その性質がかなりの程度異なるのが棲みわけの状態で複数種類がいたりする。
そういうのが感染する。
ワクチン製造はそこまで前提して、組み込んでいるのか知らないけれど、実際に感染すると、それら複数について抗体を心身ごととして得られる。
だから恐らく、実質的ヒトの耐性にとっては、日ごろの免疫力(気分すっきりとか、張り合いのある人生途上とか、そういった基礎条件プラスの自らの研鑽がものを言う)の蓄積持続と、実際に生な形で復帰できる過程として感染してしまうことがなにより、ということに気づかせる。予め不可逆な感染になりがちと確実視される病原性への近づきには慎重に、ということも忘れない方がよさそうだ。