連載は続く~ SF 掌編『ちょっと思いついてその頃のことを調べようとした時の話』編


藤原氏出現のなぞの周辺を素人がめぐるシリーズ継続中。
とにかく交わることにこだわりのない特徴、について、"交配"ネットワーク分析図表を手繰(たぐ)ってみたりするだけで素人ですら気づけたりする人々だ。
そして歴史書が記述する藤原氏は生真面目な半面、実におどろおどろしい。
それは、為にする記述なのか、かなり実体を映した内容なのか。
今でもそれらについて検証が要る専門家筋の思い込みが働いているのか、そうでないのか。
当方ということではルーサー刑事とか刑事モースのシリーズの方がコロンボ刑事シリーズよりも関心を持ててしまう観点から、つい藤原氏話題に接近したくなる(悪巧みの主役の手腕に挑戦してみせるコロンボ刑事タイプ接近ではなくて、ヒト(集団の営み)ゆえの様々を一応受け入れつつ、それゆえもみくちゃになってしまうのだけれど、とにかく一応の筋を通して悪さの線については追跡して、法の下に晒すように仕向ける両刑事の"営為"タイプ)。
だから、正義なんだけど裏とか影を濃厚に並行させて事態を動かす藤原氏に、もう少しオープンな活躍をする架空の勢いのある小勢力を置いて、藤原氏と切磋琢磨しながら世の中の趨勢に関与していく物語をつい空想してしまう。
ここでいう架空の藤原氏はその勢いのまま放置すると、悪とかを利用することに躊躇がないので、時に困ったことを問題解決と抱き合わせに残していく。やっかいを残して、一方の問題を解決するので端からすると、ちっともありがたくない。
そこへ口出し、実行力を持って差し出がましく介入するだれかたちを関わらせたくさせる。
そういう空想に走りすぎても、歴史探索の話としてだとちっとも面白さを提供できないので、多少、実際ネタっぽい接近を試みたい。
まず素人的に戸惑ったのが、藤原氏の諸流と関わる事件の数々や幾つかの当初の流派。
事件の数々は正史に記録されている。しかもそれがどういうわけか藤原氏にとっての遠謀術数とも無縁ではありそうにない。かといって藤原氏の主脈は相当に生真面目な線を保とうとする政治脈とも取れる記述を正史に残している。
そして京式南北問題。グローバル経済社会の格差問題っぽいけれど、歴史読み諸氏においてはお馴染みの藤原氏登場初期における大きな血脈っぽい4流派だ。
どういう資料に北家とか南家とかを用いながら藤原氏のだれそれとかふれているのか、素人はざっと続日本紀のその頃(年号に天平の文字が登場してくる頃)をざっと見てみたけれど、出てこないようだった。ここらは沢山の歴史書に目を通している普通の歴史系な諸氏においてはわかりきったことと察するけれど、素人には皆目現状、ちんぷんかんぷん状態だ。
派手に知れ渡るようにその何家とかを使用して回っていたのか、内輪の暗号だったのか程度の使い分けの妙を知りたいところだ。
ただその関心の線から素人流の簡略なまとめを一応今回は指摘しておきたい。
BSNHKのコズミックフロントシリーズを録画しておいて後日まとめてみたりする視聴者タイプの素人ゆえ、キトラ古墳の回も興味を持って見ていた。その装飾には東西南北をしっかり踏まえた画像が使われていた。
込み入った(文字を用いた)考え方をまとめた資料は当時だと中国由来の書物が担い手と一応前提にできそうだ。だから当時の考え方(思想・思潮とかの類)をしっかり調べてわかっていたほうがより接近はしやすいのだけどここらは不勉強な素人ということでお許しいただく。
でも、文字として残っている史料や建築ほかの遺物から、藤原不比等氏が死去(720年)した当時、元明元正天皇長屋王に命じて興福寺(669年創建の山階寺を710年に興福寺へ)に八角堂の北円堂を建てさせたこと、後年、不比等氏の次男房前氏の子八束氏はその三男に内麻呂氏がおり、八束氏は普通真楯の名で出てくる。
アイガーのことでは全く無いですが、キトラ古墳といえばで、北壁の玄武画像を想起してもらいたい。
玄武→北→冬→水→黒→山岳・丘陵と関連付けられることが紹介されている(*)。
https://dic.pixiv.net/ の四神の項参照
ちなみに 朱雀→南→夏→火→赤→湖・海・平地
不比等氏を取り巻く相当な有力層が北と八を残した(八角堂について素人の検証は抜きの段階)。・・・・→真楯氏の当初の名は八束。"北"家という呼び方を当時藤原氏内で使っているなら有意な信号。
内麻呂氏が三男であり、どうして氏長者の位置になったのかは調べていないのでなんとも言えないのだけど、信号伝承は把握していて、息子の二人に真夏と冬嗣の名を用いた。
北系を引き継ぐなら冬だ。夏は傍系になる。
トンでも話になりかねないのに、敢えて持ち出したのは、相続のどさくさとかもみくちゃ事件を避けさせる知恵じゃないか、と思えたから。
背文字のゲームを持ち出すまでも無く、伝える信号およびその含ませる内容はより的確が要るのだから、伝わりやすい具体性において"シンプル"な方が相応しい。
藤原氏は相当な教養の持ち主脈だ。教科書知見と発明発見知見とをしっかり見極められるタイプ諸氏だ(内部で切磋琢磨してしまう脈)。
そこらを前提に、信号を応用する、と素人は見た。
そのために他の傍系藤原氏諸氏は大変な役柄を担う、とも見ている。
で事件・・・・。その実態は?と思えたわけだ。
文字として残して、そう思い込ませることも一理。そんな考えを応用している、かも。
北の冬の冬嗣氏は見事に役柄をこなした。八面六臂の活躍で女男の子供たちを見事に"張り巡らし"て見せた。根を、恐らく、張らせた。
もう一つ、素人が答えを持っているのではないけれど、冬嗣氏の年長の子長良氏の息子基経氏は初代関白として(教科書しか読んでいなくても知ることになる)超有名な人物だけど、年下の子良房氏の養子となって主脈の引き継ぎにしっかり入る。
歴史を読み込む場合、ちょっとした単語の扱いを、教科書として整理するにしろ、当時の用語・用法なのか後年、そういうことにしてそれらをまとめてこう呼ぼうということで用いた語なのか、検索しやすい使用法にしてもらわないと、入試上評判の悪い引っ掛け問題と極似してしまいそうだ。