連載は続く~SF掌編『少々補足』編


 世の中に伏在していそうな問題群が解決さるべく必要な経路へともたらされることは、世の中の営みにとって長い目に向けても、ゲンナリさせない方で人々へと通じる質の事態だ。
 とはいえ、その全てが同じようにして持ち出されることは、いつでも数の制限からしても、不可能なことだ。
 また仮に全てが持ち出されてと空想世界に仕立てたところで、その空想の前段階のところで、頓挫を予想させる。その全てを扱うことが、その後の推移において上がってくる”全て”に優先するわけでもなく、時差の蓄積が解決の蓄積と並行を必須とするという観点からだけでも、ありえそうにない空想で留まる。
 だから実際的には、ある限られた問題群として、しかもその中のいくつか(それが各地のを合計で数万とか数千万だとしても)が解決へ向けて具体的に取り組まれる程度の事態を想定できる。

 分権とか自治の考え方は重要なのだけど、現場の実際にうごく事態としてたとえばリアルなタイプのドラマを想定出来た場合、指揮命令系とか意見をまとめるやり方とか、中央集権手法が巧みを上手にして、円滑に営まれることを、構成員個々において期待されているいつもは外せそうにない。
 極端には独裁的な中央集権象ということも想像できないわけではないけれど、個人の思惑は相当に錯誤を招きやすいのだから、今時の知見の積み上げ質からして、合議の様々の中から、より事態に適切な手法を選んで、意見の出し合い、議論、検証、実行、そのまた検証などを繰り返すことになる。
 でも頭と口を使うことをまったくケチらないタイプたちが集まり過ぎて、落としどころさえ、探りあぐねるようなトンでもが予想できる状況がハッキリしているようだと、どこかしらが仕切ることも要る、という実際的な代案も有効になる。しかも、権威の固定化の集団の営み上での不都合現象知見くらいは昨今だと世の知見に限らすある程度注意を払えるようになっている。

 議院内閣制とか政党制とか、小選挙区制とかである局面は成り立っているけれど、またその局面が大局へ制約を課すということもわかるようになる今日この頃においては、かつての同じ党内での率直な議論ができたし、議論のための下準備にも熱心になれたかつてをただ懐かしがるだけでは済みそうにないご時世を意識できそうに素人でも思えている。
そう思えている以前から、世の政治系知見を体験的にも積み上げられた諸氏からの発信から学べていて、小選挙区制の問題、敵対的関係での与野党による議論の質の問題など、素人なりに意識して代案を模索してもらたい的発信を試みてきた。
 他政党とは少なくとも列島の気質(かたぎ)を前提に、率直に問題をあぶり出して、その問題の取り上げ方すら基本のところで議論し合えて、暫定手法も採用しながら、暫定的に、その先の議論へと傾け、その中身がまた率直に議論し合っている、検証し合っているタイプは成り立ちそうにない、と見なし、同党内に広いイデオロギーの含みを許せて、いつでも相対的に弱小の野党勢は同質的同じ党内ゆえの緩みから感知の鈍さをかこってしまった課題群を、弱小の身軽さとねっちり感から巷より吸い上げて、国会へもたらし、それを錆びつきかけていたアンテナに電撃刺激!とかで気づけた大政党の一党が党内で更に検討して、解決すべしとなったらたとえ野党発の問題群であってもしっかり国会内でも議論し、しかも実質一党内でしっかりより実質の所を詰めて、立法化するなり政府の課題へと誘う、ということが、上滑りするニュアンスではないタイプの円滑な課題解決手法になりうる、とか、素人なのでその程度の表現でしかないけれど繰り返してきたわけだ。

 たとえばワクチン問題については、問題の在処は先日ふれたけれど、コロナ騒動での解決手段の持ち出し方は、信じ込みに誘わない工夫が要ったはずだ、と素人流を発揮したい。
 極限状況を想起できるならば、カゼ系の場合、場面を絞りに絞り込んで、そこを閉じる、という手法が、極端なやり方であってもなんとか容認できそうに思えている。
 とにかくカゼ系は感染して症状に弱いタイプ諸氏においては命がけとなる。
 それが今回のコロナウィルスの場合は、限定的で済んでいた。だからもっともっと早い時期に、大勢が見える形で感染して免疫を付けてしまえる過程を持った方が相応しいタイプだったと今だったら指摘可能だ。
 列島の場合、ある程度の潜在的に数的には相当量(数千万人規模)で軽い症状のまま免疫を得ていそうだけど、表向きの数値だと、感染量をかなり少なく抑えることに成功したという話にしてしまおうという趨勢を感じられるので、その通りの量だったら、これからも未だ感染の数は諸外国の流行に応じて影響されると充分に想定可能で、だけど、素人みつもりからすると、既に多くの若者や現役世代が(ワクチンではなく感染して)免疫を持ってそうだ。それでも数千万にの残りについては、ワクチン接種に関わらず、感染の可能性は充分なので、PCR検査をたくさんし続けることで、その数はどうにでも動く。
 ワクチン接種を実質のところで強制している末端の各現場のその指示命令系のトップ諸氏はだからしっかり人生において責任をとる必要を素人でさえ指摘できそうに思えている。
 むしろ、ワクチンとかマスク着用にはほころびが(とりわけカゼ系の場合)生じがちなのだから、必用と思う諸氏はそうしてくれ、できればそうしてもらいたい、くらいの発信が重要で、意識的にそうしたくない諸氏で、マスクとか手のひらでおおうことなく激しいくしゃみの類を成す、"ふとどきもの"へは、間近のだれかたちが強く注意すれば済むわけで、多くは列島育ちならば、他人への配慮くらいは身に着けているものだ。
 そうしておけば、ワクチン接種での死亡事故の場合、責任問題も明確にし易くする。
 命令したばかりに、死刑執行者のような人生の重みを担うようになってしまう、管理職系の苦過ぎる体験は経ないで済ませられる。多くの諸氏においては、そういうことが起こっていようがいまいが他人事で流れてしまう程度のごく少数のできごとになる(数十億人の中でせいぜい万単位ということなら10万分の一の出来事)。しかもその出来事は当事者双方で深刻なのだ。
 病気の性質がわかりにくく不安が蔓延しがち、という場合への心の拠り所として、安心感の提供のきっかけとしてワクチンという現象を応用した面を素人は否定するものではないのだけど、今回のコロナウィルスの病状知見(ここらは本当は医療従事者において、頭を使うこと、ことばを使うことにおいて億劫がらないタイプ諸氏と見なされやすいわけでもあり)より素材的、時系列的には更に整理されて、危ないケースではどう絞り込めるか等、また多くにとって参考になるようにどういう治療(手技、薬品、処置など)をしてその結果、ケースごとにどういう経過を経たかなどを公開しながら、自らの知見を表にするようなことに積極的であってくれたなら、ごくごく限られた列島のマスメディア発信に過剰にゆだねるような情報あつかいにしないで、今日この頃版的な情報扱いが可能になったとも想像しやすい(ネット上の情報が検証抜きは扱いづらいように、実はメジャーなマスメディア情報も安全着実確実な情報にするためには、個々が持ち帰って検証する以外にない程度だった、ということが噂だけではなくて自らがおおっぴらにしてしまったのがコロナ騒動だった。で、がっかりさせられた、というよりは、既に馴染んでいたネット体験の延長で接せられるごく身近な媒体という再認識程度で済んでしまったわけだろうと想像する。ここらの実質をこれからのマスメディア営業にどう参照するかは当事者の問題と投げてしまいたい)。
 世の中の知恵の部分で、感染症の類へは子供たちに間違っても罹ってこい!とは言わない。細心の注意を払い、具体的な手法を子供たちへ心身化させるようにする。
 そこらは、感染症のわかりにくさを経験から知っていて、注意していて、しかも罹ってしまうから、罹ったら罹ったで、症状に応じた対処と、医療知見に委ねて、より相応しい治療過程へ踏み込んだりもする。しかもカゼ系の場合、症状緩和手法を土台に自らの免疫系を活動させる工夫をしながら回復を待つようなことをずっとやってきた。
 そういう意味合いから、軽い今回のコロナウィルス感染症であっても、また免疫を付けやすいとしても罹ることには注意を促すことを一般は忘れることはなかった。けれども、軽いのだから、罹って免疫を付けて、ただし罹ったらそのための対応をしっかりできるよう、新型ゆえの対処法を、医療部門の早急な事態整理から早い段階で提示されている必要があったのでは、と素人は"別の意見"を指摘してみたい。
 いつでも罹って免疫を得られれば御の字のはずだけど、症状に耐えられるかどうかは個々の違いが大きいので、そう安易に罹っておこうというわけにはいかない。それが実際だ。
 それでも、恐怖心を煽る方で慌ててしまって、冷静にヒトは免疫次第なのだ、という切実な辺り、冷徹なリアルのところを見ないふりしてしまうことも危険だったりする。

 異論、反論の類がそうとして議論を率直に成せる間柄というのは良きライバルを得られた関係にごく近い。
 それが恐らく列島環境では与野党関係では成り立ちにくいと(素人の経験からは)見させる。
 で一党支配であってもその中身の育て方次第では、より列島版政党政治として活躍させらるのかもと、ずっと指摘してきた中の一人だ。
 そして同系統で寄り集まった時に列島気質に生じさせがちな温もり感に安住し過ぎてアンテナを錆びつかせてしまってもそこへ異論、反論、別の意見を持ち出せる機会を提供させるために、その他の弱小だけど活発に巷の意見を吸い上げる政治家集団を列島版として育て続けてほしいとワンセットで指摘し続けてきたわけです。
 多分、小選挙区制はダメなんじゃないか。かつて(数十年前)読売の夕刊か朝刊だったかに、"青い鳥"案を指摘されていた有識者の方がおられたわけで、列島版、与野党政権争奪戦に熱を持ち込もうとするムードにオルタナティヴなヒントを、素人にも通じるように指摘してくれていた。
 その一党形成を、既に旧と化したかつての自民党ではない今の自民党が担うことになるのか、現野党勢の中から幅広い世論をたっぷり知見のフィルターも経て吸い上げて、党内で率直に議論し、議論できるだけの考え(機能)の内実をも日々育てていける(認識できることの難しさ(気付ける気づけないなど)は、アンテナ系の持ち物次第ということ)熱心な政治家たちを集めた一党を生めるのか、といったところ。