連載は続く~ SF 掌編『試しに粗すじ』編


 ここでは一応素人流を通す。(映画『スパイゲーム』『イコライザー』ほかを想像してもらいつつ、その手のタイプの映画脚本のあらすじ相手と思って読みすすんでもらえればありがたい)
 専制と(スポーツや巨大・大・中・小プロジェクトで例外なくだれもが採用してきた民主的試行要素も必ず伴う)全体主義構成を区別して使う。
 かつて残党のりから一般を巻き込んでの悔し紛れの暴挙に出てしまった白村江の戦参加勢力をもメインストリームに回復させた光仁桓武の人脈動静を押さえる。
 藤原氏、継承の決まり上の天皇人脈に関わる事象としておける。
 たまたま昨日見ることのできた竹田城CG化再現でのいくつかの話からも、太政大臣の秀吉氏を囲む人脈の問題を古来の全体主義構成から探りたくさせる。
 ただし時代背景的にアヘン戦争へと至るヨーロッパ~南米・アジア圏での(ある種の民主的趨勢圧を控えさせた歴史的な動きとも重なり、より交易とか布教とかが濃く関わる)動態開始以後の(たとえば凸凹地や山を整地して外来発想タイプの平城を成していた)時期だけに、国内人脈事情だったのか、既に海外人脈からの思惑圧が相当に行使されてのことだったのか、そこらは専門家諸氏の早めの解明か、それが既に成されているなら、素人にも伝わるようにネット発信をお願いしたい。
 時代は移って、今日この頃。
 テレ東夜はニュース番組が続く。
 これが終わればもう翌日の時間帯に、ドローン兵器解説とかでも度々登場される東大の小泉氏がお騒がせウクライナ事象について軍事系にも通じているということで簡単ながら漏れを少なめにする情報収集の一端を踏まえてコメントしてくれていた。
 番組のつくりとして、世界経済の構図に変化か?が下敷きにあり、それに合わせてか、経済の専門家の市川氏がアメリカの大国支配化での物価安定期から60年代から80年代末ころまでの冷戦的不安定化でのインフレの時期復活か、とコメントされ、短期の目測の一つの像にそういう可能性があるとして、素人的には老人でもあるので、ごく近辺での出来事や評価がいかに趨勢を読み誤らせるかは老人年代になると周知にできるので、そこらも踏まえて、国際スパイ・アクション映画のあらすじノリから素人発信してみたい。

 小泉氏はウクライナでの核保有疑惑がちらっとでもあったことにふれてくれた。
 ここらは軍事的な裏事情で多くが動いてしまう事象に触れる場合、終始ふれられずに事態が動くことを扱うのだから、貴重な指摘と素人は見るし、ネットの時代、こういった事情通しのオープンな姿勢は大事であり続けると察する。

 ということでここからはあらすじ用の想像話として受け止められたい。

 核の扱いは、旧タイプのままだと実際の動きとの距離が大きくて、若者たちにとっての基礎教養として扱いづらいまましがちだった。
 工学的な思惑は、出現可能であるならばいち早くで応じさせ易い。そして既存となれば、それが前提となって、危険回避の工学発想を逞しくする。
 今は、ジャーナリズムを含めてそこらの哲学的基礎とか思想的ことばを必須としている。
 被害の当事者のことばは無視できない以上に重い。でも、そこで遠慮が働く言論の場が重心を持ちやすいと、既存の事態への接近は専門的官僚層のみということになりかねない。事態を動かせるのがそこだけとしがちにする。
 核の拡散もまずい。だから色々思惑を誘うけれど、今時は、ごく限られた保有国での政治に任せるようにしている。ただ、神話の悪用から小国が持って、それの言い訳に他の限られた諸国にも拡散させてしまったという経緯も無視し得ない。
 そうはいってもごく限られた核保有国とそのほかの諸国という状態での難しいかもしれないけれど均衡を保つための日々の努力はなされ続けている。
 そこへウクライナの核疑惑だった。
 ヨーロッパは驚く。えっ?!だ。
 国連がなんとかできるわけがない。
 USを頼れるか。ここまでのいきさつは、現大統領人脈のウクライナ疑惑と(現代として粗暴(商店街を荒らしたり、殴りかかったり他)と指摘可能な)ネオナチ人脈(US諜報脈が控えていることは周知)がメインストリームに躍り出ているお国柄だ。
 US現地でも、大統領選挙後の民主党系の若者たちが、メジャーな放送局要請のインタビューに(それぞれが)イラついた姿(列島でならこれだけで、煙たがられ政治的には失効だ。ないし嵐の過ぎ去るのを待つ応じ方がされる)を隠そうともせず答えていたことを印象付けた。そんな支持層に支えられた現政権だ。
 ヨーロッパ勢は困った。
 世界の諜報網はいつでも活発だ。
 ロシアに打診された。
 力づくの姿勢行使には、これまでもその役をこなしてきているので、指導層の判断次第となる。
 ただし、問題ありのUSであっても万が一の武力衝突は間違っても避ける必要がある。
 映画の話的には、ちょっと行き違いがあって、すわ一大事の寸前のようなことが起こることも眠気覚ましに必要になるけれど、この映画は硬派ノリもちらっとさせておきたい。
 大国USでありネオナチ人脈ウクライナの出発に一役かったUS諜報人脈であるから(『イコライザー』での公務系諜報担当プロフェッショナル諸氏の愚痴を思い出そう。なんのため、だれのための公務なんだ???!ちんぷんかんぷんになってしまうぞぉ!)、ウクライナ政治主流人脈にはそれなりのパイプは敷設済み。そこは今回の作戦に大いに使える。
 そして、軍事でもあり諜報作戦でもあるから、実際にこだわられた課題については映画の話の筋としては出てこない。でも映画だからそこを隠さないで話にもできる。
 作戦は表向きにも、戦争が拡散してしまうような事件とはしない。
 ただし、これまでも力での(片方からする)嫌われ役をこなしてきたロシア大統領氏に、同じ役柄を任せることになる。躊躇は要らない。軍の指揮命令系も大事にしないけれど躊躇しない作戦であることが伝わる。
 証拠隠滅させないよう、チェルノブイリ原発ほか大きい核の各施設を軍が押さえる。
 現地の残党ノリ系は一般を巻き添えにすることにも無頓着なれる心の状態に陥(おちい)り易い。現代の軍事行動としては当たり前の条件かもしれないが、相当に難しいことに変わりはない。
 疑惑で戦争を仕掛けてイラクではUSが本筋のところでは汚点を残した。表向き騒がないだけだ。騒がないように未だに相当の努力がなされている(メディア、研究者対策)。
 それに『スパイゲーム』でもことばにされていたように、諜報系での失敗はありがちで、それを一々問題にすることはありえない。国民国家が支える公務系としてはそういうことだけど、歴史事象としては迷惑この上ないことも事実だ(時に残酷すぎたりもするし、逆に残酷へ至らないような見事な仕業を成すこともある・・・『スパイゲーム』など)。
 問題は、事態が収まった後、核疑惑の問題が解消されるかどうか。
 通常兵器は殺傷能力の個別性から拡散しやすい。集合すると、それなりの規模性能を表現するけれど、錯覚がそれを許す。
 核兵器とか核の問題もジャーナリズムが通常兵器同様に実際的な脈絡からいかに使わないで事態を収められるようにするのかの具体的調査報道だったりする。
 観念操作を発達させたヒトゆえの困惑肥大。それを踏まえつつ、危険な状況に追い込まないでいられる現状造作への加担がいつでも必要だ。
 裏の世界もだから放置されることはないし、潜り込み作戦は日々続く。
 つまり正常はありえそうにないけれど、建前としては、そこらの像を無図美付き易くしておくことが観念肥大のヒトにとっては欠かせない。しかも実際的な質のところに喰らい付いて事態との事情次第での接近がいつでも可能にしておくことも欠かせないのだし、その常態の"水準"は、ある種平穏な状態だけど、飽きさせない刺激もピリッと聞かせているよ、っぽい方に傾けておくことも工夫次第。
 石油価格が天然ガスシェールオイルとのバーターに成ってしまうように、ある程度、"天然"バランスも効かせうる。
 高すぎると、それ自体がバランス機能を発揮しだすのだし。
 全員参加による全体主義構成の試行錯誤に専制が持ち込まれると、困った事態になる。
 専制の一例は、各国で演じられたロックダウン発令やワクチン強制事象だ。
 だから専制の窮屈さはだれもが知っている。
 民主制は実際にやり続けるとなると難しいことがわかってしまっている仕組みだ。
 働いて物・サービスを作り売る仕事組織がご一緒である性質、政治的決定の過程がいつでも遅滞しないでいてくれることが求められたり、熟慮が要ったり、この程度の想像でも一筋縄では行かない。
 全員参加が理想でも選(よ)り抜きの性質も伴う。
 欲張ってなんでも参加したい、口出ししたい、そうは言っても、ヒトの観念はそうさせても、実質のところで有限なヒト個々だったりする。
 で、一方では、蓄財による他人の労力を使える立場を目指させる。
 或いは、蓄財による他人の時間買い、に仕向ける。より多くの構想を実現させたいとか。
 話がそれてしまったけれど、大国USの時代はもう一つのサブがやはり経済大国を成して、それなりの出費を負担し続けることができたからだった(その反面としてある種の勘違いだけど豊かな変化を経験できている。実際に1990年以降2000年代初期頃までの変化は映像で確かめて当方のような旧世代にとっては目覚しい驚きとなる(局所的に町の姿が変わった。しかも新世代たちは、シャッターを閉じたままの商店街も目にしてきた))
 無理は長続きさせることができない。
 しかし、ヒトはいつでも元気だ。動き回る。昔から交易というか、物品、財の交換や生活の質・形に観念を注いできている。平穏な交易圏構築とその保守点検、ないし改良が不可欠のものとしてきている。
 現代はエネルギー大量消費に頼りきって成り立ち易い。
 だからその条件化での実力ある土地柄は鮮明だ。
 そうはいっても需給や値段次第で状況がガラッと変わりうる。
 映画の話のあらすじだから、ことばにできることだけど、実際のところは空想するしかないわけだ。
 新鮮な奥義にいつでも通じていられる人脈に居られる事の充実感と切迫感は常人ではどうも耐えられそうに無い。(その手前の諜報公務系が既に個を崩壊させかねない心の働きを背負うことになるのだから)
 となると、考え抜かれた理念的バランス状況への試行錯誤を求心の要点と仮定して、他の各所では思惑が思惑を誘って、調べておおっぴらにして、という試行錯誤部門を担うこと以上がなかなか難しい、ということでもありそうだ。
 そういうこんがらかりを、将棋とか囲碁とかの発想も助けとして、邪魔を邪魔としないで済ませるとか、邪魔の絡みも含めて、回路を準備し続けて、事態をいつでも円滑さをはりまぐらせておけるグローバルな円満で、平穏で、ちょっぴり刺激的か、退屈かする動態運用の巧みが試され続けるのかも。
 だから終わり方としては、これからも続く・・・っぽくなりそうだ。