連載は続く~SF掌編『三内丸山住民は温暖好き』編


 三内丸山で育った子供たちの一人に過ぎないキミの子孫がどういうわけか倭国~日本を動かすだれかとなって・・・という噺。

 三内丸山住人諸氏は氷期の極期を過ぎて急激な温暖化を経た海進の進んだ頃を安定的に営めている。
 そういう温暖な落ち着きを体にたっぷり浴びて世代継承を為していた。
 が・・・そういう環境条件もずっと一定していてはくれなかった。
 現代の気候に近づくように海退が始まる。
 ここからは素人老人の勝手な想像になるのだけど、ヒトの体に正直であるなら、多分、列島域の南西方向へ伸びる方へと(三内丸山住人諸氏は)移動したのではないか、と想像したくなった。
 ついでにタイプとしてちょっと呪術系じみている。
 氷期から間氷期の短期の激動を体験した列島在住の人々は、適地を求めて各地に移り住んだ。
 だから三内丸山的適応をとげた諸氏以外にも列島各地に集団なりの適地を求めての定住がありえた。
 で、激動期ほどではないけれど、同じ列島つながりなのに北に行くほど寒くなるとか、今体験できている四季ごとの各地の特徴を成すような過程が形成されていくその変化を体験しながら、居住地の変動もこなす。
 物の動きを成したように人々は各地で交流もこなしてきたので、そんな伝手も使えたと想像しやすい。
 やがてある一派は南西、南西で九州域にまで達する。これもちっとも不思議なことではない。乾燥して水を極端に得にくい土地よりは水を得やすい土地が選ばれやすい。
 そういうヒトと居住地との相性とかが絡んで、ある気候上の規則性としての落ち着きを得たころ以後は、(集団性や個々の事情という)自らの選択に基づく人為による移動が目立つようになる。


 遺伝子データを踏まえたヒトの移動を語る知見を読み直す工夫さえできれば、三内丸山のような温暖な土地に慣れた人々の中のだれかにとっての住みよい温暖な土地が、九州であってもちっともおかしくない。
 それに魏志倭人伝が伝える倭人は呪術系だ。
 倭国が中国から権威付け込みの役割をもらうことで半島域の諸活動を含む一定の想定された圏内について偉そうにする力添えを得たとかの性質ではなく、他所の諸活動から一定の信用を得やすい立場を得ての自らの活動が可能になるとともに、それがその人脈内において継承され続ける。
 明確には旧唐書に記録される倭国までは、倭の文字のニュアンスなどおかまいなしに、それを名乗ることでの権威として受け止め可能と思い込めていた。
 が、660年を堺に、やってはいけないことをしてしまった倭国の中枢(斉明、中大兄)の処遇で倭国人脈は大混乱することになる。
 列島は各地に集団の自発的営みも可能にしていたので、倭国人脈とともに百済関係を濃くする集団の営み人脈のみが慌てた。
 まず対外的に名乗る名称を倭国から日本にした。
 観世音寺や川原寺やと斉明・中大兄と関わる事業については"抹殺"してそれら関係者がいなかった扱いに近づけようと工夫された。
 ここらは、ずっと続く木簡発掘によってより明確な事態の推移を後付けられそうだ。
 六国史の上では、改訂の流れの中で斉明も中大兄も復活した。
 けれども考古からは痕跡がたどれる程度に抹消作業が為されている。
 ここらも考古発掘作業がきっとリアルな事態の推移に近づきうる発見を成してくれそうだ。
 元の頃にはしっかり東アジア圏の役割分担ネットワークが作動して、事態をおさめることにつながる。
 けれども話題を他に振るというのでは酷い事態ということでバランスを欠くから、多分、別の思惑から(役割分担の範囲を外れた)乱暴狼藉の類として秀吉主導の暴挙が為されてしまう。
 それでも東アジア圏での役割分担の共有された発想は継承されていたようでそれは江戸期まで振り返ることができる。(大変な費用負担を継続し合っていた)
 列島内での継承性を含めた流れとして振り返るならば、倭国~日本の役割意識継承人脈はどこかで希薄化している。
 子孫の数が累代となって増えれば増えるほど、内部に外部性が大きく膨れ上がってくる。
 内部の人間関係に社会関係が生じてしまう。そうなると穏やかな権威認証などインチキっぽく感じられる外部が内に膨大に育って、継承そのものがうまくいかなくなってしまいがちにする。
 けれども、形に意義を認め、その継承を成す人脈はあり続けたようで江戸期まではそういうことだった。
 けれども、将軍名称もすでに列島内部の内輪での役割と化している。偉そうに振舞う要素すら身に着けてしまった感すら伴わせている。信用の支えの下秩序へと誘う巧みな古来のシステムという辺りはどこかへ吹き飛んでいる。

* 列島各地ということでは三内丸山ほかの先住系(大型動物を食いつくした系統を含めて)諸氏がまばらな棲み分けを成す(物の交流からして頻繁な交通も想起できる)。そこへ稲作を自らのものにした時期の集団の営みが渡来してくるようになって、たくましいくてかしこい先住民系がモテモテの位置を成したことはいうまでもないので、流れは自ずからネアンデルタール人がたどったようなことになる。混血だ。
 農耕民の人口圧はとにかく元気とかげぜわな話抜きに、働き手要請の圧が機能し続けて増え続ける。でも生産能力との相談だから、今日の人口規模ほどには膨らまない。
 一方、沖縄系の人々がいた。やがて北方への移動を為した集団の営みを生じて、ことばなどの制約から通婚に制約を伴わせて混血が生じにくかった。沖縄の方は混血を生じやすかった。そこで、遺伝子からするヒトのちらばり具合知見の読み直しも可能な知見を得る。
 アイヌは決して孤立した集団の営みではない。沖縄の人々ときっと先祖を共有できている。しかも、移ることで形成される、ことばの動態についての貴重なケースを生で保ってくれてもいる。
 列島の先住系は、氷期を終えた時期の温暖さを体にしみつかせて覚えてしまったので、つい今どきの都会的利便性の方に向きがちにする。その実際が、人口密度のばらつき方としてモロだ。
 今どきの経済活動はモニターとにらめっこしてデータ処理してぼろもうけできるかもと期待できるタイプへと誘われやすい。けれども列島育ち諸氏はちょっとした野外での息抜きでも再活性するほど自然との対話が得意な人々で、その性向は古来から変化なしのようだ。
 PCの達人たち(つまり海外勢を多く含む)でさえ自宅での仕事の自由度を味わってしまえるほど自然との関係が濃いようだ。
 農業の成り手にこまる今日この頃だけど、農業のあり方へのひと工夫さえこなせれば、戻せることは簡単そうだ。
 それ以上に、今の仕事が為す、ヒトの生活への貢献の密度を保ちつつ、その仕事のあり方への激変をもたらせれば、やがれ必ずやってくる気象の激変へも、それなりの準備を集団としてし易くすると老人からは想像できる。