連載は続く~SF掌編『US映画・ドラマが多くを教え続けている』編


 映画、ドラマ部門の活躍から素人老人へとその一部は伝わって、多少くらいは学べているつもりの辺りから、もう少々。
 テレビ放映の再放送で度々見る機会が提供され続けている映画の"ボーン・シリーズ"は、かつて『陰謀のセオリー』('97)でも下敷きにされていた"殺人マシン"化したヒトを操るUS国家機関のあり方の一面をオープンに素材にしてくれている。
 USが担った現レジームでの超大国的あり方の実際の運営では、表立った他国への力による制圧のような介入のあり方は採用されない代わりに、UKの頭脳たちがどう教え、それをどう受け止め、更に自分たち流にしたのかの解明は今どきの若い研究者も含めた事情通諸氏に任せたいけれど、或る信念のもと相当に悪辣と客観視可能な方法で、他国への介入も織り交ぜた、様々を含めた、表向き民主主義っぽい作戦だったはずだ。
 ここらは子供向けドラマ、NHKでも時差僅少に放送していたアイ・カーリーだったかのエピソードを持ち出してその性質の一端を素人流に指摘させてもらった。
 マスメディアを発達させた諸国では、民主主義っぽく感じるあるあり方を共通に持ちうる。でも生活質のところまで細分化すると、民主主義ちっぽく感じる要素は土地柄によって相当に異なってしまいそうだ。
 だからUSが民主主義国として受けやすい諸国もあれば、うそっぽぉーーい!と頭から信じてくれない諸国も当然現時点地表面において簡単に生じてしまう。
 そこらは、表面上の宣伝合戦次元では、民主主義系とそうでない系のように流して、いつでもふつふつと湧き出てくる問題群に気付かれないようにし続けているのではなかろうか。でも超大国の責任において、映画とか芸術・芸能部門でのオープン化の試行錯誤は統制しないようにしてきている。ここらが、超大国になった時にこれからも有意義になる構えの一つと素人は見ている。それが民主主義というわけではないけれど、なにが起こって、それがどういう脈絡で生じるのかを権力の行使との関係で(部分的であっても)率直に表現されることを一応容認する働き掛けあいの気運をしょげさせないできている(と想起させる)。
 相当な間違いを犯すかもしれないし、そこらは隠さないけれど、表面上は国家機密として法治の下、隠せることは隠し続けるよ、という手法。国民国家運営と関わるからそこへの関与は秘密組織運営との絡みからも、法治の下対抗措置だって取られる。そこをクリアする知恵もの脈が関わっても、最終的には国家機密の限度みたいなのが作用する。
 超大国の工作は酷いことを相当に含む。担い手諸氏においては人生の重荷となりかねないけれど(映画『スパイゲーム』の元過激派女史の悲痛に近い悔恨事例、極度にバランスを失わせた男子の事例は『イコライザー2』)、超大国の位置保全と世界大での或る種の治安の状態を守る担い手であることを両義的に表明している。
 そういうやり方が超大国としてふさわしいかどうかは、素人老人からオルタナティヴあり、と言うだけは言っておきたい気がする。
 UKが肝心なことを伝ええたのかどうか。そしてUSは聞く耳を持ってそれを聞いていたのかどうか。
 戦争・戦争で代替えした時期の超大国USという問題を自国の首脳人脈は振り返れているのかどうか。
 列島でも高宗・武則天両氏が統治していたころの唐の対外観を相当に先入観をもって勝手に判断して半島の落ち着き方、列島での落ち着き方解釈をごくごく専門家諸氏でさえ知識としてまとめ損ねている時期を持っている。ついこの間までそうだった。
 それくらい多分、政治ということの把握は難しそうだ。だから他人を責めすぎることも誤りだ。
 殺人マシン化作戦は失敗に終わった。ヒトだったからだ、というのが映画のエピソード。
 気付いて、ボーンだけではなく、逆襲に出る。
 ダレス氏とか信念で、偏った秩序観を行使してしまった人脈が健在だった時期では、とにかく、ごくごく中枢の人脈を巻き込んでの工作がはびこってしまっていたようだ。だから未だに謎解き状態で放置されていることが多い。
 でも素人推理ではレーガン氏の頃から、金融系の極端な大金持ちを作れると推測可能になったころから、極端に支払い手段の額を持っていない政治家諸氏は遊ばれやすい立場へと追いやられている。
 投資資金を得られやすい株式ほかの金融市場なのか?素人が"?"を持ちたくなるくらい、そこが怪しくなってしまっている。
 銀行預金が投資に回ってその成果が利息となって、自分たちへめぐってくる、なんて幸せ、とかつては想像しやすかった。
 ところが、金利ゆえに時期時期に一定の利益を生む。経路上に投資して事業して、物やサービスの提供が介在してその利益がめぐりめぐって投資資金の原資の方へ循環してきてとかの話がなくても、額の行き来によって儲けが動いて、それが実際に支払い手段として使えてしまえる経路が育ってしかもそちらが無視しえない以上の規模に達すると、今日の多くの人々がそれに依存(つまりずるい奴らがやってのける共犯関係に誘いこむ手法にまんまと引っかかってしまった格好)するようになって、見て見ぬふりするしかないかもの面と、ドルほか通貨の充溢のバッファ役として不可欠な装置の面など素人ではこの程度しか指摘できないけれど、膨らし粉効果の罠にはまってその先がわかっているのに、巨富の安全圏はむしろ手放せなくなっているだろうし、一般にとっても様々に金利収入依存装置に乗っているから、経済の歯車の調整はかなりやりずらくしている。
 でも万が一の世界的合意のもと、調整してしまおう!が起こった時、自給率が物を言い出すから、列島のオルタナティヴも現状では実力不足といったところのはずだ。
 USの金利の動静が弱小国を更に痛めつけるという事態が起こってみれば、超大国は警察や軍隊だけが力強ければいいというものではないはずだ、ということに気付かされるけれど、これまで放置してきた分、しばらくはUSの身勝手に弱小国は付き合うほかない。
 戦争にあけくれた時期に出発したゆえか、なんなのか、超大国USの困った面もそれなりに露見しだしている今どき、ということも素人老人ゆえ指摘できそうに思える。
 トランプ氏も自律的な政治を含ませたろうけれど、列島で流れたトランプ像はペンス氏人脈の質と関わるものだった、ということがやっと最近になってわかるようになってもいる。共和党がペンス氏人脈によって相当に彩られたのが後半トランプ政権だった。大統領になるにあたっては、政治家諸氏が遊ばれやすいという条件を想定して、スタッフを事前に代わりの人材も含めたっぷり用意して挑む必要がありそうなことも、他国のことながら気付けた感じだ。
 遊ばれやすい政治家環境。
 そしてだれが主の下手人かをわかりにくくするための殺人マシン化作戦。
 超大国USは起こりうる事態を表向きは隠すけれど、芸能・芸術部門がオープンに素材にすることで超大国の位置を保持しようとしてきた。(想像して、理解して、苦渋の策だったのだから受け入れてもらいたい作戦)
 とことん表の役柄である各国の首脳。その意味で、八つ当たりにも遭遇しやすい。心身上はそれらに耐えうるからこその担い手諸氏だけど、物理的に押しつぶしにかかられた場合、それなりの防御が要る(ヒトの心身は相対的にひ弱な部類だ)。
 とはいえUSでならば、ばれないようにする作戦の内実を自らが数多く構想してきた関係からして、事例ごとに簡単に検索できるファイルであふれていると想像できそうだ。
 だから今回の事件でも、選挙の流れを放置すれば、大政党一党が独り勝ちする惰性が働いていた条件下での出来事に、冷や水をあびせる(暗い気持ちにさせる事件)出来事として発生。結果、独り勝ちの度合はかなり低下しているな、と状況を読む(ただし勝ちたい勝ちたいと成果とか点数について感じやすい世代が今どきの現役世代だから、暗い事件でも自分たちに都合よく働いたのかもと心を動かして暗黙の共犯関係に誘えると背後の力関係は目測している可能性も含むとUS系事例研究筋は推理しているはずだ)。
 その手のやり口のお決まりは、まず宣伝につかえる超大物がいるかどうかが一つだけど、それ以上に、相当な変わり者がいきり立っている状態かどうかとその持続性を適格に把握できることだったりする、と映画ほかが教えている。
 その自らが進んで悪さする気でいるやつに実際になにごとかを実践させる。その場をいかにお膳立てできるかどうか、が同じくらいの重みで工作される。
 お膳立てへの過程では、ドラマでもお馴染みの、警察だったら警察の人にもよるけれど、それ以上に、職務上の制約と可能性の中での選択判断のくせに熟知している連中が、工作に関わっていれば、偶然の連鎖がそうさせたかのような順路を用意できてしまう。だったらわからなくなってしまうのか?そこらはその過程の詳細をシナリオに起こして、シナリオ読みに慣れた人々に、だれか主犯かを先入観なしに読んでもらうことで、簡単に判明する。セリフや出来事の連鎖の中で、それぞれのキャラの失敗が重層しつつ、ないし、故意に失敗を犯す下手すればばれてそこから犯行人脈を探られかねない作戦さえ採用せざるを得ない場合だってありうるけれど、そういう危ない要素はUSではきっと採用しないできたのではないか。
 登場人物たちを集めただけではただの偶然の積み重ねにしか見えない。
 ちょっとへまして故意に動く人物も含む場合は、意外に実態究明は早くできそうだ。
 ただ具体的にその場を構成した具体性とそれに関わった指揮命令系の人物諸氏はすべて外すことはできない。そこから関係性のネットワーク探索は可能になる。ちょっとしたきっかけでその人物を選んだ時、そのちょっとしたきっかけはどういう経緯から生じているか、関係人物たちは以上の詳細な経路探索が必須の事象だ。
 極端に危ない状態の変わり者を発見しやすい関係者は?
 超表舞台で活躍している宣伝に使える人物のうちのだれを選んだのか。
 現場のカメラ群はそうとうな事実を映している。中には、二発目の前にアングルをわざと下げて何も映らないようにした局が二つは知られている。
 マスメディアの当日、翌日の放送で、一応被害人物の仕事ぶりをあつかいつつ、警護の実際にも言及する貴重な映像も流している。通常から警護の基本は繰り返し心身化できる訓練が成されている。この指摘は貴重だ。
 警護の事後的動きをかなり俯瞰的な位置からカメラに収めた映像も紹介された。ネットの時代だから、カット抜きの通しで、全体の流れを見ることができているかもしれないけれど、そういう映像は素人老人ゆえ見ていない現状。
 ばれないけれど、犯行は成就させる、という至上命題のための工作には、とにかくヒトの落ち度が累積して、やりやすい経路を用意してしまえることが一番簡単そうだけど、ばれることにも通じやすそうに素人からは想像してしまう。が、今回の事件ではそういう手法だ。ヒトの目は動きに鋭い。想定的な動きの全体像を瞬時に追えて安全運転につなげている。通常の運転でもそのくらいは働かせているから、警護の場での視線配りでの動態反応系は相当なものと想像できる。
 だから現場担当者間において、ひょっとして不適格なだれかたちが人選されていたという偶然のケースだったかどうかの検証も必要そうだ。するとその先にどういう"偶然"がその人選へと至らせたのか、という問いを生める。
 ドラマじゃないがどんどん事態の"真実"へと近づかせる。
 ひどすぎる警護への諸外国の社交性は、部分的ミスに気付けるケースならそこをもう少しなんとかしていれば防げたのかも程度の指摘もしてくれそうだけど、言いようがないずさんなケースなことを、テレビで解説してくれていた警護のプロ諸氏すらが指摘されていたが、それら指摘がその代わりになった感じだ。

 カッカしがちにさせているとしたら、それは人生にとってももったいない。
 そこでコッポラ監督の『カンバセーション 盗聴』('74)
を何度目かになるけれど紹介しておきたい。事態は入り組む。瞬間湯沸かし系は間違いなくいつでも間違いを犯しがちにする。
 素人老人故、昨日、何度も再放送してくれている映画『栄光のル・マン』('71)を通して見てしまった。
 中で(結構多用される実際のレースシーン以外では)いつもそこに関心を持ってしまうのですが、前年のレースで夫を亡くした女性とポルシェ20番のエースドライバーとがひっそり会話している。
 自分は他の分野では木偶の棒だけど、ことレースカーの運転では腕前を発揮できる・・・だからこれこそ人生なんだよ、自分にとっては・・めいたことを女になげかける。女も複雑だけど聞き入れた感じ。
 ここらは世の、ろくに本をよまなくても優秀でトップ大学卒とか大学院卒とかを簡単に経歴にしているだけではなくその後も世の中の中枢の動静に関与する立場で人生を送っているような優等生諸氏を、沢山参考書や本を読んでやっと試験の成績がややトップに届くか程度に励んで、そこそこの専門分野に進んで人生を送っている諸氏は、うらやましいとか内心思って、中には、だから渡来人は嫌いさとか見当違いの認識を勘違いの重層で持っていたりはしないだろうか。そういう「競り合い」の場とは無縁な素人老人は、だけどポルシェ20番のエースドライバーの気持ちのほんの一端くらいは、なんとなく・・・だけど通じてくるような気にもさせる、静かなシーンだ。
 ちゃっかりのシーンでその人物はこの映画をしめくくるけれど、決して一番でゴールしたわけではない。
 実はお互いを尊敬しあえているライバル(フェラーリを運転している)と競って、今回はその前を走って終わった。
 心の底から、危険な仕事にたずさわっていることを共有しあえて、その上での観念上の交流を成している。
 各シーンの取り込み方とか、編集の仕方とかで代案がある新たな作りて諸氏ならば、なにがそういう内実を持ち込める素材となると考えているかにも、老人ゆえ関心が向く。