連載は続く~ SF 掌編『久しぶりのいいお天気』編


 各部門の現場が今時の在り方を想像するに、仕事中くらい集中を求められる圧が様々に駆使されて、傍目には目標に向かって仕事熱心な姿の群れのように映ってそうだ。
 今も、将来にわたっても人で不足が趨勢としがちかも、の線で、それをなんとかする為の工夫仕事が給料につながるような現場の熱気が満ちていそうでもある。
 そういう個々の努力はIT分野へのマクロの視線からすると、デフレ効果の方で受け取られる。そういう視点を使うヒントとして吉川発信は受け止めうる。
 個々のミクロな経済活動上の鋭意努力の一つ一つの集積が、人減らしにも役立つし、人で不足を補う。
 だから間違ってはいない。間違ってはいないけれど、時々の構成員全体が食っていく経済活動ととらえた場合の補完策としては足りなすぎる。そこらだ。
 そして経済の基礎をほんのちょっとでもかじった諸氏においてはお馴染みの、だから大抵にとっては既知であるはずのミクロとマクロの微妙な絡みといった辺り。

 もう一つ、USの経済が回り続けてくれるには、それなりの規模の経済活動へ、膨大なドルが要るということと平行して、ドルがもたらされ続ける必要が吉川氏の新書でも指摘されている。
 そのため、構造上の問題を抱えるUS経済の営みにおいて、密かな作戦としてはこれからもずっと景気よくドルを回し続けるUS経済活動は健在であり続けるよう、というように振る舞うとか、雰囲気を漂わせ続けることが欠かせない辺りを率直に指摘されている。
 ここらは今時の株式市場、広く金融をめぐる市場でとかく使われる修飾や願望発信とひどく似てしまう。
 株価が上下動する。いつものことだ。そしてそれだけでも十分に利益を得る機会に使える。
 けれども、株を買う行動に向かわせることを持続させるということでは、株の相場は上がり続けるムードを欠かせないかのように、上がって喜び、下がって気落ちする演出表現がパタン化しているかに伺える。
 思い込みの趨勢に固定的な形を与えたいかのごときとも受け取れる。
 ミクロな諸活動にいちいちケチをつけたいわけではない。それはそれはの努力が満ちていると思える。でも・・の辺りをマクロ観点分野に通じた諸氏がどう率直な所を語ってくれるのだろう、と思えたりするのが素人老人だったりする。
 極端なくらいおお金持ち向けの資金運用での運用術は、中期、短期の上下動を丸めて長期的にはできれば増加、失敗しても、元々の金額が減じないような工夫でもくろまれているとか、それなりに合理的に受け取れる。
 多分、そういうことだと、説明抜きに指摘しておいて、通じるのではないか。
 とにかく巨額の資産なり資金なりを運用できるなら、0.01%の上乗せであっても生活の大した足しになりうるわけだ。
 でも膨大な巷の給料生活者諸氏にとっての運用資金の額は知れたものだから、うっかりすると貪欲な発想を誘われて、金利上昇の思惑に誘われやすくさせる。
 ないし相場急上昇で、潜在的な資産額が拡大した一時的リッチ感とか。
 でも、株も実事業と結びつく投資の資金のためと考えれば、失うこともあれば、成功することもありで、微妙なヒト知見の応用例の一つだ。
 銀行から借りたお金を返せず悲惨な事件がある時期列島ではニュース欄を賑わせがちにした。そういうことを踏まえれば、責任関係を合法的に限定できる資金入手の応用が待たれる。でも、実際には、その手段が値付けされて、たとえば株価の上下動を演出するようなことにしてしまうことを、放置するやり方を採ったりで、仕切り役層のやり方の採用の仕方次第で、その後の動静は分岐して展開しがちにする。
 運転資金をめぐっての資金繰りは、頼れる地元の中小の銀行を信用してとかで、お互いが潰れない情報力を育てあっている状態を育てあえていれば、それなりのことが可能になりそうだ。でも、話法としての浪花節とか情を絡めたなにがしとか、或いは脅しとかが関わって無茶な融資とかが関われば、無茶な結果を誘いかねないことも避けられそうにない。だけど素人的にはそこを、過去から学んで改良し続けてきたのがヒトの集団性なのだから、あきらめず、なんとか工夫しあいたいものだと、いかにも素人的な結論に落ち着く。
 高度成長の起点と終点とその間の様々な内情を知り尽くした年代の人々が列島では未だ沢山健在でおられるので、一度通った失敗は繰り返さない工夫に長けた列島の地味だけど巧みな辺りは、これからも生かされ続けるとうっすらと素人老人は見ている。
 変わった条件としては、グローバルに価格が影響しあうといったことの濃度の加減か。 吉川氏のヒント発信をもう一つ持ち出すなら、US経済では、とにかく猛勉したかもともと頭を使うことが快楽に通じるタイプだったのか、そういったごく限られた連中が各分野の専門職として設計役をこなして、そこから仕事を降ろす。だから、降ろされた段階で、仕事内容は、マニュアルに従えればだれでもがこなせる質の要素の寄せ集め、組み立て細工になっている。おそらく、要素としての部品の品質についても同様のことで品質を整えられている。ISO規格とかをヒントにできる。
 そういう風だから熟練工は不要の経済の営みの趨勢を持続的にしがちにしてしまう。
 USの経済の営みは独特なわけだ。成果を生んだと思えれば啓蒙して広めたくなってしまう発明と押さえてそうで、影響圏にさらされる各土地柄の判断は大事になりそうだ。
 ごく少数の仕切り役とその他大勢の図式に収まる手法と押さえておくこともできる。
 今時のありがちな色々な指標に直結してそうだ。
 株の上下動を日々追い続けて情勢判断しているミクロな努力の膨大な専門家筋の人々のことも想起しておきたい。
 それらが、ヒトにとっての経済の実情を、ごく一面の偏った方向から照らしてくれていることは貴重だけど、それ以上ではなさそうだな、くらいは、素人でも押さえておけそうに思える。
 学ばせてもらえた広瀬本、網野本(網野善彦氏)らは、列島における株依存バイアスに一役買う発信元でもあったりしたくらいは、今の時点なので、素人老人が指摘しておける。 広瀬氏などは、株主になって発言できる、という方向性くらいまで指摘されていた。
 そういう地表面でのヒトの営みにおける趨勢づけの一時期を、素人老人のかつての一コマのちっぽけな読書からも紹介できるくらい、もっと沢山の諸氏がかかわっての趨勢付けが起動していたわけだ。
 列島での株の持ち合いとか銀行系列とか、上記のような中小の経営が借金からの悲惨な出来事が多発するとか、巷の受け止め方を方向づけるようなニュースが加勢していたりした。
 経済学の方でもだれの著作を読むかで、位置取りを揺さぶられてしまう。
 経済学を多分重んじていないUSの経済学の応用面が目立っていた時期とも重なる。
 USで経済学を学んできた経済学者諸氏の間にもUS観は分かれた。
 映画の『ニノチカ』(エルンスト・ルビッチ監督)を度々持ち出してしまうのだけど、結婚的な収束点を重んじない、大局を相手にする貴族層がいたらしいことをほのめかしてくれる、と素人老人は未だに受け取っている。
 だからUSの共和発想(その先の応用としての民主の発想。ついでに言えば、その先の応用として共産発想とかも濃く育てたのがUSなことは衆知)にも重大な認識上の勘違いが埋め込まれてそうだくらいは指摘したくさせる。
 そこにベースとしての弁証法発想がヒトをしてファン心理を濃くさせて敵味方論へと誘うと、どうなるかの極端な例が、USでも映画にされたから地元でもその発想の問題くらいは自覚されていそうだけど、左中右を問わず敵味方発想を濃くして、集団をまとめようとすると、カンボジアでのごく短期ではあったけれどトンでもな事態を無理やり生じさせるようなことも起こりうるわけだ。冷戦下の諜報活動も盛ん過ぎる時期とも重なり、歴史から学んで、それを採用しないで改良し続けられるためのノウハウはこれからもたっぷり育てていけそうだ。
 そして今の時代を悲観しないで済むくらいには、多くを学んだ後の欧米の知識層というくらいは押さえておけそうに、素人老人の勝手な想像だけど指摘してみたい。
 表向きの政治からみ騒動からするとちっとも、学んでないんじゃない?と返されそうだけど、多分、地道な底流としては、観測の事実の蓄積による暴論への制御の工夫とか、色々探せば、それなりの現時点を確かめられそうにも感じられる。
 地道と言えば列島版も、独自性意欲が凹まされなければ、趨勢に乗せられて揺さぶられて遊ばれるだけを避けての研究成果を一般にもたらし続けてくれそうだ。欧米だって諜報活動が盛んすぎる土地柄だから、趨勢の載せられない工夫を研究者たちはこなしているはずで、外国語に強い若い層ほかなら原文で研究成果を確かめられるご時世だ。

 

  川柳もどきのつづき

   動物たちは、仲間の間でも食べものを奪い合う
    ヒトはそういう雑なことを避けようとする
    ヒトは他者につい関心を持ってしまう
   動物たちは
    そこらを五月蠅がる
   つい先日
    静かに日向(ひなた)ぼっこのソウギョを じっとながめていたら
    うざいなぁ・・・とばかり、暗がりコースをわざと通って 目くらましして
    離れたところにあらわれて やはり日向ぼっこ
    ヒトはつい・・でうるさがられ
    ソウギョといえば 日向ぼっこ日和(びより)を大いに楽しむ