連載は続く~ SF 掌編『魚釣り』編


 我慢強ければその論争はずっと決着を目指しつつも、理屈の網目を相互的に追って、夫々(それぞれ)が持ち帰って修正すべきは修正して、元の自論とは違ってきてしまっても理屈の線に沿ってのつじつまくらいは客観的にも追えるような解決を相互性に目指されているかもしれないが、通常、ヒトはそれほどいつまでも辛抱強くというわけにはいかないから、黒白つけようじゃないか程度の落ち着きどころをそれなりに急いで求めてしまいがちにする。
 だから市場にゆだねる悪知恵は、そこらのヒトの癖を込みで発案されていると想定できそうだ。
 たとえばつい先日再放送されていた黒潮に乗って海に生きるカツオの群れを一本釣りで生業(なりわい)にしている土佐の漁民が、まき網漁法の趨勢に翻弄され、工夫してオルタナティヴを模索し続けている辺りを過去の事例として紹介してくれていた。
 その場合、まき網のやり方が既に1980年代を考えて生きているヒト集団において、いかなる帰結を生じさせやすいかくらいは簡単に想像できるので、一本釣り漁法の秀でた性質で論としては充分に成り立つにしろ、弁証法とか市場主義とかを持ち出す大国発の趨勢においては、とりあえず、それぞれが市場で競って、市場が時間さえかければ必ず答えを出してくれるからと突き放されてしまうのが、今日に至るまでの弁証法のり、ないし市場に委ねるべし人脈の思惑だし、それを趨勢にする資金力をたっぷり発揮してきた。
 すると時間的にゆとりがあるため、大量にとれるまき網の方がカツオの市場価格を低いほうへと強引にさそうようになる。需要側は低価格を歓迎するように応じるのが市場で起こりがち。
 そこで一本釣りの漁民諸氏は長年の熟練技を使えない条件を人生時間内で体験するようなことになってしまう。
 追々、市場まかせにしたことの付けをわかっていたようにだれもが経験する。
 採り過ぎてしまうことの帰結が地表面の生き物たちのこれまで生きてきた惰性の条件内でのできごととして現れてしまう。
 養殖で補おう、とか、それまでの大自然の惰性任せでは収量が不足してしまうとか、質的に劣るカツオが混じるようになって、付加的な手段が必要と感じられるように仕向ける。ここらまでも多分、市場ほったらかし発想の人脈においては、市場からの要請上の出来事にすぎなくて、見守っておこうで流される。
 収量が足りなくなって養殖で充分に補えるなら、それで充分と市場原理的には納得される。
 一本釣りは時代に合わなかっただけで、市場が必要としたときには、また登場できるよで、流せる考え方(が市場原理主義発想、ないし弁証法発想から競り合わせる志向)だ。でも熟練ということの性質は考慮外でしかそうは言い切れないし、そこを考えている考えていない等は多分、考えないことにしていると素人的には推理する。
 市場におまかせ発想をつい使いたくなってしまう諸氏においては、様々な利害と付き合って調整役を買って出ることが非常に面倒だ、ないし、利害調整の中で、上手くいって信用を勝ち得たり、失敗して信用失墜に陥ったりが繰り返される人生を避けたいと強く思ってしまうタイプ諸氏じゃなかろうか的な推測をしたくなる。いつでも指揮命令系の上層に位置したい、ないしその位置に居る必要があると思えている。
 そのためには失敗のない位置が要る。で弁証法に集(つど)わせたり、市場に集わせたりする。
 それに、そう誘われがちな膨大な諸氏はといえば、集ってうっかりすると知らず知らず敵味方の分別思考(ファン心理)に陥りがちにする。非常に扱いやすい状態に参加者諸氏は陥り易いわけだ。
 弁証法役割分担とか市場原理はそういう暫定的状態での使い勝手の良さの性質を持つ、埒外位置からすると。


 ところで、食事の際、感染症大流行で苦しんだ過去の伝承から大声で話さないような習慣を身につけた人々であっても、その場の快のあり方次第では、大声でことばをかけあったりが充分にありうる。
 しかし、巷の現象としてありがちにするのが、かくあるべしの思い込みをそうとは意識できていない状態で、対他的に”べし!”と強く出てしまったりだ。
 突然そう出られて、人々はビックリする。当人の面子を台無しにできないからその無理・無茶な圧しの総体について、一々言い返されたりは起こらない。
 けれども、もっと持続的にべしで、気に食わない感情のまま、機会あるごとに言い放つようになる諸氏も混じるようになる。
 そこらはコロナ騒動でも同様で、落ち着いて、じっくり考えていることの中味について相互的に検証しあえるゆとりさえあれば、それなりに落ち着きどころ、個々の心配ごとに応じて個々において判断できれば、それなりの対処法が世の中には用意されていることなどに気づき合える。でも性急に自説は世の中の趨勢としてお決まりのことだと思い込めている諸氏にとっては、引けない感情でしか応じられなくしがちにする。
 でも、落ち着ければ、問題行動はどなた?くらいは簡単に気づける。
 だから経験的によかれの貴重さと同時に、使い分けの巧みもごいっしょで、というこまやなか使い手として育ち、継承できることが大事そうに思える。


 蘇我氏はどうやってきたのか。
 仏教に熱心だ。何か事件と関わってしまった。
 そういう記述を検証できるご近所の諸氏はごく少なく、しかも大昔のことだ、としたら、仏教の線から、藤原氏の出自は・・・と強引かもしれないが、素人ゆえ、ついそう想像するほうに誘われる。
 そして倭国を強く意識してきた人々の中枢部分の移動の時期。
 中枢はそこに居たままだったけれど、中枢と同様に自発的に活発に活動するだれかたちが、列島各地へと旅立っていて、それらとの"親戚付きあい”もずぅーっとこなしてきた。だからボキャブラリーは共用している。評とか。
 ここらの素人っぽいのよりは、もう少し展開のリアルなところを、木簡研究があぶりだしてくれるとありがたい。
 使いこなし方とか、文字の使い慣れた感じの度合いの分布とか、色々探れる観点がありそうに素人だと思えてしまう。

 川柳もどき

   9月を前に、台風は11号だ。今そだっている最中らしい。