連載は続く~ SF 掌編『古代列島をざっと簡略な年表にて』編


 ヒトの知恵の営みとしてはパンデミック並みに季節ごとに流行ってしまうインフルエンザ系のかぜをヒトの営みにとってのトンでもな邪魔者にしないで済むようにしてしまって長年月を経ている。
 警戒は怠り無くが専門分野においてすらしっかり心得になってもいることはラジオ日経放送のpdfファイルでの喜田氏文章を読めるのでそういった一面を一般も知ることができる便利な世の中だ。
 つまり政治家諸氏にとっては扱いづらい重病だったり、更には亡くなる誰かをも生じるような大流行をもたらす風邪タイプの流行病についても、医療知見や研究者知見を補助にしてそのうえでの政治的な判断を熟慮して可能になるようだと、事態の推移に任せつつ学んでの過程よりは迅速に事態をヒトの営みにとっては無茶が強いられるようなことを避けつつの対応が可能になってしまうようだ。
 ヒトというのはそういう実際的な解決を成しつつはびこってきた。

 その一方でヒトのくせの一面として、たとえば"生産性"ということばを殊更(ことさら)持ち出して、その向上によって豊かになれるっぽい話を安直にばらまき、またつい信じてしまいそうになる。
 物を作り、売りが関わるような事態としてそこらを想像できた場合、生産性が高まって、同じ負荷ならより多くを作れるとなると、できた物を現状以上に(継続的に)売れる場合は、沢山作って沢山売るということを伴わせやすい。ひょっとしたら給料アップという過程を伴いやすくしそうだ(一次的に売り上げを伸ばせそうだけど、将来的には頭打ちかもの予想がたつようだと、一時払いのボーナスの大盤振る舞いで納得し合うようなことになるということもありうる)。そして気をつけたいのは、ここらはあくまでも個々の生産販売を担う特定企業の営みについて、という限定的な事態であることだ。
 経済の営みの全般的な把握にふれているわけではない。けれども、マスメディアでコメントされ、またそれを担う分野の事情痛諸氏においては、そこらを明確にすることなく、あたかもマクロ現象に波及するかのように語られがちだ。錯覚ないしトリック的話法がうっかり持ち込まれていたりする。
 ある物についての競争的な市場で、仮に生産性にかかわる新知見を開拓してしまった企業が、単価を下げて市場でのやりくり上の優位を得ようとする場合は、その限りで値下げ競争化を誘う。だから儲けがどれほどかは、その市場占有のあり方が左右しそうだ。
 ずっと暢気経営を可能にしてきた凄腕経営層が新陳代謝も上手にこなして世代継承してきた企業だと、生産性向上が更に楽を生産現場にも販売の現場にも招き寄せそうに思える。
 だからと相当に端折ってしまうが、生産性向上は一種デフレ要因的に効き易そうだ。
 下手すれば人減らしの大きな要因になりかねない。
 同じものならより少ない人出で作れるし、少ない人数で沢山売れるようになったのだから、余程の好条件が展開しない限り、ヒト余りになってしまう。
 家族とか、食わせてなんぼのリーダー的立場が尊重される伝統系列の営みだと、生産性向上は他の仕事にも手を付けることを可能にして、普段は気にしないけれど必須の下水や廃棄物処理やし尿処理やの地味分野に技術革新と活発な人材を誘いこめるようにしてしまう。また、新分野の開拓のための思索部門へもヒトを当てることができるようになる。


 さて列島古代はどういう具合の推移を経ていたのか、考古学系も文献系も素人老人には同時的な追跡ができなかったのだけど、列島出版は、マスメディアの放送系番組には多分ならないくてもしっかりフォローして一般も読める形で本になっていた。
以下書籍2点紹介を含む列島古代の流れの一面。
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15000年前 氷河が溶け出す温暖化入り(海水準-100m以上~)
《縄文期》
草創期(13000-10000年前)
            12700-11700年前 寒の戻り
            11000-10000年前 海水準-50~-40m
早 期(10000-06000年前)
            *この時期関東平野の場合年に20mほど海岸線が陸の方

             へ進入


            9000年前 海水準-40~-35m
            8000年前 海水準-20~-10m
            7500年前 海水準-05~ 0m
            7300年前 姶良カルデラ大噴火
                 *半島へも、列島東へも待避した人々(記憶の伝承)
前 期(06000-05000年前)

            5900-4200年前 三内丸山遺跡

            5000年前 海水準 0~ +3m(奥東京湾の時期)

中 期(05000-04000年前)
後 期(04000-03000年前)
晩 期[弥生期と重なる](03000-02300年前)
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縄文晩期と弥生早前期の重なり
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《弥生期》
早期(3000年前~)
前期(2800年前~)
        前期後半から中期前半の北部九州地域、特に福岡県小郡市を中心に多
        前期後半から中期前半、西日本の多地域で集落が可耕地に乏しい丘

        陵上へ一斉に進出
中期(2400年前~)
        中期後半以降は受傷人骨出土減少
後期(2100年前~)

倭国の時期》
 57年 後漢に遣使
107年 後漢に遣使
239年 帯方郡に遣使
266年 晋に遣使
438年 安東将軍の号
479年 倭国王、鎮東大将軍
502年 倭王征東大将軍
588年 法興寺着工
593年 難波四天王寺
594年 仏教興隆の詔
607年 小野妹子隋へ
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"7世紀中頃から後半にかけては、新羅で作られた土器が宮都から少量出土するのみ"ー近江①p172下
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690年 元嘉暦と儀鳳暦併用
694年 藤原京
《日本国の時期》
701年 大宝律令
710年 平城京
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"8世紀には平城京大宰府から中国製の陶磁器が出土"ー近江①p172下
"8、9世紀の対外交易は、制度上は国家による厳しい制度下"ー近江①p173上
"8世紀後半には、北陸道駅路や南海道駅路で幅9m以上あった駅路が5~6mへと縮小"ー近江①p163上
"山陽道駅路や西海道駅路、東山道駅路でもほぼ同じような現象"ー近江①p163上

"8世紀後半になると平城京の宅地で見られるような、大型の掘立柱建物からなる居宅が各地で出現"ー近江①p164下
"9世紀初頭頃に富豪層が出現したことは、集落遺跡でも確認される"ー近江①p164中下
"10世紀に入ると、廃絶する駅路が現れる"ー近江①p163中
"駅路の最大の特徴である「幅の広い直線道路」は姿を消してしまう"ー近江①p163中
"国府も10世紀になると、中心施設であった国庁の規模が縮小し、逆に国司館が規模を拡大する"ー近江①p162下
"10世紀前半には「唐物使(からもののつかい)」による交易が行われるようになった"ー近江①p173上
"10世紀中頃になると郡衙そのものが廃絶する例が目立つようになる"―近江①p161中下
"関東や中部、北陸では10世紀中頃に食器や調理具が土器から、鉄器や木器に変化"ー近江①p172中下
"集落では先述のように10世紀後半に大きな画期"ー近江①p175中
"11世紀中頃になると、全国的に椀、皿、壷、甕、すり鉢からなる単純な中世的土器様式が成立"
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10世紀がなんらか制度的な壊れの時期に当たることを前澤和之著『上野国交替実録帳と古代社会』(同成社)がその貴重な事例資料になっていることを紹介してるようだ(未読)。

《《《《《《《《《《 参照文献 》》》》》》》》》》》
近江俊秀①『入門歴史時代の考古学』(同成社 '21)
遠藤邦彦著『縄文海進』(冨山房インターナショナル '22)
縄文時代弥生時代時代区分はウィキペディア記事から

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 ということで道長氏の有名な歌については現研究者諸氏が指摘するニュアンスの方で落ち着きそうだ。どこで発表されたかとも関わって。既に、事態は動揺している時期の有名人ということだ。
 古墳はある程度、古い渡来系が定着したところへの新渡来系でそれなりの新知見・技術を携えた集団との遭遇事象と素人的には想像したい。列島はそういうことの重層としての定着住民が営んできている。

 少し距離を置いたところから、欧米系の乱暴な営みは世の刺激的な工夫を認めないわけではない平穏志向の営み系にとって、一時の猛烈な(ヒトが犯しがちな)嵐現象だったとも素人想像したくさせる。
 その欧米系の乱暴だけど民主制の一モデルのなんらかを形に成してきた脈々は、今でも過ぎ去って欲しい嵐の性格を引きづり続けている。
 というのも、イスラムが乱暴者の集りであるはずがなく、サッカーを見ればすぐ気づけるように細やかで精度のよい技を畳み込んでくるようなプレーはごく普通にやってのけてファンを魅了する。
 欧米系だってイスラムな諸氏同様多くが乱暴発想を優先させない人々だ。そうなのだけど、時代を主導する脈々の発想が、不信ないしニヒルな底を成してしまうタイプの経験を継承し続けているのか、戦争状況をいつでもわかるやつにはわかるように働かせてしまいがちな人々のようだ。それゆえに、戦争状態だからこそ、女性たちを囲い込んで守るタイプの女性たちにとってはひどく迷惑な決まりごとをつい持ち込んでしまうようなイスラムの印象を振りまきがちだ。指導層が賢者として、女性たちだって男たちともども自由だと見なせても、事態が戦争を強いてくるような仕組みを意識させるようなら改良したくてもできにくくする。
 つまり自国内の指導層への改良発信では多分足りなくて、現超大国、大国の諸国の指導層へ、戦争状態を裏技圧に使うような諜報脈の利用とかをできるだけ避けて、文化の営みの均一化っぽい勘違い作戦をむしろ各地の芸術芸能での試行錯誤に委ねるようなことをすればただ旧態な惰性に乗るべし的な営みを発想する以前に、色々を試す中で受け入れられる時間を経て、今に応じた表現形として落ち着くことの、時期、時期の様を残し続けてくれるに違いないと素人老人的には想起する。

 サッカー話ついでなら、クロアチアチームとベルギーチームの試合が、なかなかのものだった。
 どちらも個々の選手のパス精度も出しあうスピードも魅せる程度の技量だった。
 しかも、勝ち進むタイプのトーナメント出場をめざして、大怪我しないようなプレーの工夫を密かに発揮していたように感じた(イエローカード乱発タイプのプレーをこっそりさけているとか)。だからどちらも決定的得点ケースでも、その一歩を踏んでいない。
 とはいえどちらかしか出場できない条件となっていたわけで、結局クロアチアチームが出場権を得た。
 つまりこの日の試合からして、余力を持っての試合をこなし、しかもパス精度(長いパスもこなす)も良ければ、周囲の状況を見定めていて、早めにボールを離した方が奪われにくい状況なら素早くだれかに出すようなことをごく普通にこなすテクニシャン揃いと素人老人は見た。
 日本チームには、未だ、ボール扱いに苦手意識を持つ選手がちらほらいらっしゃる。
 その場合でも、一線級の他のチームの選手たちと競り合うことになるから、現場での生々しい状況ではよりあせることの方に誘われ易くなりそうだ。素人老人の発案だから、より具体的に現場に活かせる今時の上手な日本チームのサッカー選手諸氏のような話にはならないけれど、状況の全体像を瞬時とか適時仕込むような余裕がそもそもボール扱いが下手だとできにくいので、いざパスを出そうとしても、技面と状況判断においておどおどこころが騒いでしまいそうだ。そういうことへの対処として、素人案だけど、事前に、状況説明に使える試合ビデオを使って、この場合、自分はボール保持すら慌てそうだからできるだけ早く出したい、ないし、持ち続けるかキーパーに渡したくなるかもしれないけれど、周囲の日本チームの選手たちが、これこれの動きをしてパスももらえるようなことをしてくれれば、自分の技量でも出し易いよ、というのを、覚えきれて、即想起できるくらいの数、場面だけ予め話し合っておいて、その時お互いどう動いてパス交換しようくらいのシミュレーション、仮想プレーを重ねておけば(頭の中将棋っぽく)、試合中の超緊張シチュエーションの中でも、とりあえず、安全パスで事態をかわせるようにするのでは、と素人老人的には考えた。とにかく早く連携的に動き態勢をととのえ精度の高いパスを出し合う相手チームしか残っていない中でのトーナメントだから、守りはもちろんだけど、シュートへとつなげるか、自チームでのパス回しでの状況作りとか一息つくりとかの機会が、持久力発揮には有効なのはライブ中継中のコメントからも充分に伺えるので、そこらを工夫できれば、トーナメントの数試合で疲労困憊が敗因とかにしないで済ませられる(相手チームの読みに対するはぐらかし作戦込みなことは言うまでもない)。


  川柳もどき

   カラスに手を振るようなヤツには警戒しろよ、と人懐(ひとなつ)こかったスズメたちの態度が変わった
    と思い込む老いぼれの日向(ひなた)ぼっこ