何度もくどくなるけれど松本建速氏の著作(*)を参照してみる
* 『つくられたエミシ』(市民の考古学シリーズ15 同成社'18)
(p168から169を参照して)
東北北部のヒトが成す意味合いからの文化について
・5世紀前半までは北海道と同系統
・7世紀以降は本州島の大部分地域と同じ
ここでの"北海道"とは、についてはp168下の方に指摘あり。
さて5世前半以降6世紀の間はどうだったのか?
p164を参照。
すると(以下引用)
"北海道と東北南部とを結ぶ、南北200km、東西150kmほどの空間には豊富な鉱物があり、様々な種類の動植物が生息しています。しかし、5世紀後半から6世紀の100年間以上の間、その土地にはほとんど誰も住んでいませんでした。"
(以上引用)
こう考古観察から知見の現状を伝えてくれている。
主に前方後円墳つくりの盛衰が重なる。
須恵器の盛衰も部分的に重なる。
火葬や薄葬の趨勢を生じさせての変化が加わる。
これもくどいようだけど、山口博氏の万葉集成立の経緯を追った『万葉集形成の謎』(桜楓社 '83)から今で言うトルコ域を含む広くユーラシア域を当時のデータから意識できていた主流に乗った列島在住の人々という事態や、『万葉集の誕生と大陸文化』(角川 '96) の「二 長安巷響 II 山上憶良と長安の風僧」における先進地帯での文化の営みを急いで真似る事情を控えさせていた微妙な辺りを読み込んでヒント発信してくれている、と素人は受け止めている。
そして『古事記』『日本書紀』のセット構成とある種突貫工事的に成して世界へと発信できた当時、というあり方。しかも後の現存万葉集の形を整えたと山口氏が力説される菅原道真氏と同時期の時平氏(道真氏も)編集担当の『日本三代実録』(901年)が出て六国史編纂事業は区切りとなる。
その日本書紀のα群に当たる第24巻から第27巻に含まれる天智とβ群の倭習系記述の第28、29巻が天武ということで、一応別人扱いになっている。
* 天智(614-671)
* 天武(???-686)
後々の権威筋との関わりということで整理してみるなら
天智系としては以下
持統は天武との間に草壁皇子(天智の子元明との間に文武を生む)を生む
大田皇女は天武との間に大津皇子(懐風藻に記述有り)を生む
新田部皇女は天武との間に舎人親王(日本書紀編集担当、淳仁の父親)
御名部皇女は天武の子高市皇子との間に長屋王(元明・草壁妻夫の子吉備内親王が妻)を生む
上記の脈は天武直系としての継続性が一応断たれるように史実となっている。
*女子たちが天武との子を生んでその男子たちがなんらかと関わっている。
** 利己的なバイアス(極度なえこ贔屓(ひいき)判断を乱用するとか)を容認することを是と誘う夫婦・夫妻用語をここでは便宜上使わせてもらった。
弘文は壬申の乱と関わる
志貴皇子は紀橡姫との間に光仁を生む
光仁は高野新笠との間に桓武を生む
桓武は藤原滋子との間に淳和を生む
桓武は藤原乙牟漏との間に平城、嵯峨を生む
嵯峨は橘嘉智子との間にできた仁明は藤原順子との間に文徳(『日本文徳天皇実録』(879年))、藤原沢子との間に光孝を生み、光孝の子宇多は藤原胤子との間に醍醐を生む
文徳は藤原明子との間に清和を生む
清和は藤原高子との間に陽成を生む
*直接関わる男子の方はこういう感じだ。
だから極端には素人発想ということでなら、中大兄の中に天智と天武はいる、としてもよみ方の工夫によって整理しきれるのでは、と想像したくさせる。
ある種の世界的広がりでの交流安全圏を確保しようとしてくれていたのが唐だったのかほぼ唐が元気な時期と六国史事業とが重なり、それにまつわる様々な契機は混乱の方へと誘われていく。
事情通、それと記紀について最新の文字、文献ネットワーク検証の各研究成果から読みこなし整理できてしかも、他の考古資料も含めた少なくとも東アジア圏古代の方で関心を持って古代を調べている諸氏においてなら、別の記述のし方によって新たな視点も含めてより古代のヒト活動の時代に近づいた内容を開陳されるのではないか、と期待する。
須恵器研究、前方後円墳研究、それともろ加耶研究のせめて半島筋と列島筋の研究がどれほど経過中であり成果はどのあたりかなど、今の時点で古代の列島を振り返るに付いてもそれらが、渡来の重層性、渡来ということのある特定時期の前後で渡来の意味を異人あつかいにできるかのような安易な古代のまとめかたを誘うことは、大間違いの素だから、そこらをもっと渡来の波、波、波・・の動態とか人口動態とか、できれば考古からの整理を更に質量ともに調べこんでくれたりがありえて、記紀の読解については、ただ文字面を厳密に読み込んで済まされない言語・文字扱いの学の成果をより踏まえさせて、しかも文学系の読み込み(素人老人からは山口博氏視点だったりするが)から思っていたのとは異なる古代文献の成立年代とかがより明確に確定し易くなるとかを経て、そこらを速めにこなせて(急がせることはいいことを誘わないとはわかってはいてもそこは素人ゆえだ)、とりあえず暫定的なせめてユーラシアの東半分における列島の古代史の動態を知っておきたいものだ。
たとえば東山道の武蔵路の工事現場を時代想定とともにドラマにちゃっかり借景できるくらいの時代遡及をもとめたくなる。
* 川越市立博物館編集『古代入間郡の役所と道』は欲を言えばたとえば地図の大判を織り込んでもらいたかったとかあるけれど、素人老人にとっても(資料的下敷きにして現地観光を大いに楽しめるとか)親切な作りになっている。けれども、範囲はあくまでも入間郡に限定されているわけで、近接する高麗郡とかは範囲外の扱いだ。
この質量を保つかそれ以上の挑戦要素ありで各地が似た時期を扱って資料を、各重要時期ごとに各地版として販売版も出してもらえれば遠隔地からでも購入入手できたりする。
広報手法も巧みであってくれないと、資料が出ていることすら気づけなかったりするので、そこらは重要と察する。(古代道の専門家による本の引用文献としてこの版は紹介されていた)
ちなみにこの版は千円ちょっとだったと老人のかすかな記憶。
*この版:平成31年刊の第二版<刷ではなく>(初版は平成27年刊)
川柳もどき
い・や・ね
・・・・
イヤ、ね
いや。ね
いやぁ、ね
いやねぇ
伊・屋根
いや、音
医やね
井家子
やーね
ゐ耶禰
・・・・
なにを、いいたいの?
えっ・・
実は・・
いやね、・・・