連載は続く~ SF掌編『昔を振り返るときに各々型思い込みを邪魔にしない』編


 自らが考えて・・ということの含みが自発的なんらかを自らにおいてその営みを営める機会すらが自発的に随時可能なことを前提にしたくさせていそうだ、という一つの前提を想起したくさせるし、更に同じ強度から、ただ他人の意見を引用するだけにしないで、とか、他人の意見に従うとか従わないとかで済ませるのではなく自らが考えての過程を経た考えなり意見なりとして表出されることが他人たちの総意として期待されている、というようなヒトの営みにおける事態的環境を想定できそうだ。
 と同時に、自らが考えて、そういう過程からことばなり文字なりCGなりで表現しうる内容・形式を自らが構成の一要素である構成全体へ向けてなんらか関与を試みて、その関与のあり方が、その内容についての受信であったり(これだけでも膨大な他者にとっては余計な(総計すれば膨大な余計なことになりうる)ことだし)それにとどまらず合議に誘えたり、担当のだれかたちとともに検討し合える機会を持てたり、事業と端折ってもちだしてしまうけれども、採用の機会を持てればそれがなんらか形となって応用のその先へさえ関与しうるようにできるそれら過程総過程を想起したとき、自ら考えているその過程そのものの内に中央集権の作用がしっかり潜り込んでいることに気づけるはずだ。
 決して、文字、ことばでのヒトが為すやりとり、やりくりにおいて、それらが宙を舞うままにするようなやり方は、陰湿ないじめとか単調に形式的な傾聴作業とか、極端な事例を持ち出さなければ、ありえそうにないことになる。

 とりあえずつい錯覚の方で押さえがちにしているかもしれない中央集権概念や自発性とか自治概念についてのご一緒性を一応押さえておきたい。
 ここらは大昔は地表面でのヒトの営みにおいて乱暴だったと決めつけることへの注意報にできるし、今は逆にそうではなくて民主的な営みに近づこうとかなり賢くなっているのだと安易に思い込めてしまえる動機付けのあたりにちょっとした注意報をピカピカ程度に発信できそうだ。

 言葉足らずにしがちでピンときにくいかもしれないのでもう一つ例を持ち出す。
 マスメディア発信が成り立つくらい、ヒトの営みが面従腹背の離れ業を使いこなしているような世の中の営みの質量を得ているようなときだと、実質のことはともかく代表制だ、三権分立だ、法治だ、自由だ、選択肢を数限りなくだ、とかのことばを浮遊させておくことで一応の納得を得られやすい秩序を為す、と想起しやすい。
 一方、その時点での有力な超大国の位置にある営みが構成諸国を信じられなくて諜報の暗躍を超大国ゆえの有利な条件を利用してはびこらせ、超大国との仲間関係の表向きはそれぞれが役割分担しているからわかりにくいとして、実質のところでの遠近関係はいつでもヒトの営みゆえ生じてしまうはずだから、その遠縁に当たる諸国にはたっぷり疑心暗鬼の方から諜報手法を使いまくってそれら中小諸国にとっては秩序維持にも不都合を生じさせやすくして、超大国からすればそれゆえの弱体状態の継続が身勝手を抑制できるということで好都合と放置されやすくもしている、という条件下では中央の権力・権威筋が構成の各地を制御とか合意形成とかを苦手にしがちにして、時に極端に乱れやすい状況を沸々とさせがち、という状況を想像してもらいたい。こういう土地柄で、中央はともかく、構成の各土地柄での仕切り役諸氏、人脈は必要悪として、日々、時々刻々情報を探り、得つつして、威圧の力業も躊躇しないような荒業でもって巷の乱暴狼藉起点を制御するようなことはヒトの営みの環境次第では起こりがちにする。時代、土地柄事例を想起してもらえれば、公権力との協働でいかにそういう力関係が応用されてきたかは今では衆知のことと察する。
 民主制イメージの先進的とか到達できているとかでイメージ頒布されやすい型をそういった土地柄に宣伝できると思えることがいかに倒錯しているかくらいは、わかってはいても、今時の生真面目層は、民主化のためとかの思い込みから売り込んでしまうのかどうか。
 少しでも中長期にわたる平穏を(内部的に今時のような格差の問題とか、物価高とか、不満をくすぶらせがちにはしているけれど)かこっている土地柄のようにしていると実質はともかくある幻に人々は付き合ってくれている。
 長年月列島育ちの人々は、諸記号(関係性とかかわる様々)を日常使いまわすことで継承される質の一種において、偉い方々はそれなりの質だったり量として偉いからこその行いを一般の人々よりも遥かに生活態度にするはずだ、と期待を継続、継承しているものだ。
 完璧だったら窮屈を感じながらご立派と褒(ほ)めるだろうし、期待に近い形で答え続ければそれなりに支持の継続性へとつながる。それらはちょっと以前ならば、だれかしらが仕掛けて物語として語りつたえられるエピソードの要素を提供してしまう。とにかく虚像が膨らんでとんでもない偉い方がとんでもないことをしでかし続ければ、そのままか形を変えた具体性のもと膨らんで継承話を形成させてしまう。学問上はうとかほんとか区別したくなるだろうが、本体は、独特に育ててきた期待の構造の中での出来事と押さえられる。
 金融やくざっぽいのが方々で荒らしまわる世の中のような土地柄だとまたこみいった事態を想像しやすいが、今日的観点において、未だ手を出しあぐねていそうだ。
 依存しあっている仕組みを一般につらなる脈もやくざもが応用しあっているような場合どうする、というパズル説きを『マーキュリー・ライジング (Mercury Rising)』( '98) に出ていた Simon 君に頼んだら解いてもらえそうだ。
 ことばを一人歩きさせかねない宣伝手法よりは、生活していくうえでの一人前育てを可能にする目利きである大人たちと一人前がその一人前性を発揮できる各職場(ヒト一人が身に着けられる限定性で可能になる領野)を大人たちが提供できて、資金繰りの状況とか事業ごとのくせがもたらす時間軸に応じた資金提供機能を伴わせることで、地味目な試行錯誤をも持続可能状態にしておけるようなことも大人たちが編み出しておいて、中央集権機能と各地自治、自発的営みが相乗している状態、個々も組織間も触発し合えているような状態は、それなりに刺激的に人生を営めていそうに思える。

 そんな中央集権(化)ということばについての押さえ方、を含ませたうえで以下。

 文字に使い慣れ、巻物読みにも熟達して、日々の仕事柄文字を書き込むことなど当たり前のようにこなしていて、だからラジオやテレビを見る暇があったら巻物を読むほうに時間をついやせるタイプたちがひしめいているような土地柄を想像できた時、対外的公式文書としての記紀に合格サインを出すかどうかを、素人の観点でしかないけれど持ち出したくなる。
 合格サインを出せるとか出せないとかではなくて、山口博氏が指摘しているように、当時は公的に扱われる巻物とか書付ものにふれうる人々がごく限られていた、という条件の方に目を向けたくさせる。
 しかも、文字を扱うことに動機付いた脈がどれほどいたのかどうか。
 巻物以前の記憶継承脈が膨大にいる。
 巻物を読んで記憶とともにの脈が或る程度いる。
 年月を経て、巻物に書かれたことを前提にことを運ぶようになっての記憶の伝承のあり方がより普及した状態になる(そういう人々が膨大に近づく)
 ことばはこどもが簡単に身に着けてしまうように、一世代でかなりの熟達者が育つ。
 ただし、そこには程度問題がつきまとう。
 画期を(いつの意味で)どこにおくかで事態把握の様は各氏各様にさせかねないのだけど、そこらを一応列島古代史においては、と素人老人は模索しながら提案しているところだ。
 列島のどこかに半島経由、大陸経由、大陸~半島経由で頻繁に情報を得て文字、巻物扱いに長けた人脈がずっと継承され続けてきたことを想定できることは外せない。
 他方に、半島での出来事と外交的なんらかで濃く関わってきたリーダー脈がいたことも確実で、歴史記述巻物以前がライブの時期としては、斉明~中大兄の二人の有名人を持ち出せる。
 しかもこの二人は唐との外交上、極端なくらい不都合となることに加担してしまう時期をリーダーとして過ごす。
 中大兄から天智となる668年という時期に意味合いを読み込めるかどうか。
 672年という時期を経ることが何かと通じるかどうか。
 その時期に壬申の乱が生じて天智の息子は亡くなり、生年不肖の天武が673年に継承する。
 ここらは外交上の相手に読まれる巻物に記述される内容だ。
 相手から学びたい、もらいたい大切な時期だ。
 権威筋のリーダーのトップということではない中大兄を名乗っているのが問題の時期で、新計画都市には斉明、中大兄を想起せる寺院も旧計画都市に置き去りにしてあり、ない。
 真の後継者を乱にて亡くす。
 そして天武としてその後を継いでいる。
 ここらが仮想の記述として可能になるには、文字・巻物継承による半島・中国外交の担い手はごく限られていて、一部勢力程度とできる規模、ならば、記紀の仮想記述は内輪の真実を共有している脈と言わなければ知りえない知識層とで充分に編集可能と素人老人は一方の極端として想像してみたくさせる。
 でなければ、偶然高宗、武則天の時期だったから百済の主流も帰国して彼ら次第のような推移を得ていることを詳細として知りえているならばともかく、残党たちと内輪もめまで生じるような混沌とした戦争を惨敗する方で仕掛けた内部の部分リーダーが心配無用と受け止められていたかどうか。素人考えだと、それは無理そうに思え、むしろ心配過剰から外交を相当に工夫することになった、と見たくさせる。
 しかも、実際には高宗、武則天の時期だったから余計な圧を加えられるよりは助勢してもらえたはずだ。
 未だ人口密度がそこそこでしかなかった頃に半島東南部から渡来した加耶系の人々のかなりの人数は人口圧として列島の定住組からは捉えられてもおかしくない。
 人間関係の難しさから威圧効果、権威付け効果作戦が採用された可能性を素人は想像したくなる。
 そしてお互い馴染んで定住し合えるようになりながら、更に色々が半島では起こるから渡来の波が途絶えることはない。
 そうやっているうちに付き合いの濃いことをいいことに百済の残党が窮状を訴え、列島棲み分け勢力としてはごく一部の、外交では密な関係を保持してきたリーダー層へ働きかけて・・・。
 人口密度が薄い時期であれば、互いのネットワークが交差することもあったとして、それが邪魔にはならない程度の付き合いを可能にしながら、より旧来の地縁、そして血縁の濃い脈がより固定的ネットワークを渡来して移住して定住した各地に張り巡らして、その固定脈内では似た記号を交換しあっている、ということは充分に成り立つと素人老人は想定してみた。
 松本氏のヒント発信は、本州で括れる程度に似たり寄ったりの生活文化的な営みが為されている。そういうそれぞれ固定のネットワーク間の棲み分け状態を想像したい。
 今時の過疎地の悩みが列島の露骨な一面を時間軸通時として見せつける。
 野生動物や野生植物はヒトがいれば気になるけれど、薄くなれば勝手を始める。自分たちの都合でバランスを構成するようになる。
 そして深めの水堀が無ければ(あってもかもしれないが)柵程度は飛び越えたり穴をあけて入ってきてしまう。ネズミの場合は、深くてちょっと広めの濠があると邪魔になりそうだ。だから濠・堀を労力をおしまず巡らした、と素人発想からは捉(とら)えたくさせる。
 が、とにかく、それなりに稼いで引退後の生活に入った諸氏においては、張り巡らされた鉄道網を使いまくってか、夢の超小型で超低速の安全自家用車(*)を走らせて、各地の古代ジオラマ見学と遺跡や遺物の実物を検証してまわれる。

* 夢の超小型で超低速の安全自家用車:これは、今日的には、物品運送用の大事な交通網や通勤通学の交通網と交差してしまうので実現が難しい。
  もし、そこらをサイモン君の頭脳を駆使して(現行AIじゃ無理だろうから)、超低速小型車と大中の輸送自動車が混在することなく既存の道路網上に使い分け的に自在運転を可能にしてくれれば、老いも若きも急がない連中はぶつかってもかすり傷も負わないような超低速超小型自動車で列島中を乗り回せることになる。台風が近い時には鉄道で目的地の近くに行っておく、というのもよさそうだ。そして低廉価格のレンタル超低速超小型自動車で目的地を巡る。
 自転車の面倒を見てもらう費用で超小型超低速自動車の面倒を見てもらえる自転車屋さんのような店が列島中で大流行(おおはやり)。
 ガソリンの排ガス問題が奇跡的な発明発見によって解決されている。
 またメタンの採掘法も奇跡の奇蹟のようなことが起こって、漏れ出しを防ぎつつ必要量取り出せる仕組みが出来て、高効率(熱量をとことん変換して使い切る技術とかも(廃熱処理効率がとてつもなく良くなっている))の内燃機関運用へと誘いだしている。
 だから列島でも自前エネルギー源を得て、世界各地でも似た現象が起こっている。
 経済活動を測る尺度が工夫後になっているから、燃やしすぎは禁物の資源を多消費しないよう制御の仕組みを組み込んで、その昔、大儲けしても過熱しすぎないように税率の設け方の工夫で自動装置を準備させてしまった発想に似て、強制圧を使わずになんとかバランスさせることに成功している(今時だとそれを外してしまって代替も用意しなかった超大国はじめ多くの同様の諸国はトンでも策に走らされがちにしている。低税率を呼び込む抜け駆け疑心暗鬼が狂騒・競争発想を支えに蔓延るよう促しがちにしている)。

 

   川柳もどき

    老人年代だから
    といって、大それたことをことばにするわけでは
     ないよ。
    志木の方から浦和宿にでて
    浦和の宿を北にちょっと行けば
    与野宿。そこから道なりに・・・
     今でも名残(なごり)をたどれるけれど・・・丸っぽりを巡って
     次は荒川の今工事中で不便だったりする辺りの渡しを過ぎて川越へ
    出られる。
    多分、昭和生まれの諸氏は、意識しているはずはないけれど、旧街道筋のそれら
    つながりを生活圏にしていたと振り返れる。
    子供たちの口から出てくる地名がそれを語ってくれていた。
     今では場所によって、自転車専用道のように工夫して復活している。
    関東平野
     珍しくない中小河川の網の目はその昔
    舟運として使いこなされ
    平方も信じられないくらい賑わっていたらしいし、個人的には銀座に住む人々とも浅からぬ縁をお持ちだったような話を聞いたことがある
    新荒川舟運がそうなら、川越の南の方でも新河岸川でそれなりに財を成した人々を輩出するくらい繁盛した時期をヒトの営みにもたらす。
     その途中の水子の台地上には縄文海進の頃、相当に見晴らしがよくて大宮、与野が乗る台地を眺めるとか手信号くらいはこなしていたかもしれないけれど、超有名な貝塚址が公園になっている。
      自慢したがりの縄文系の場合、泳いで渡った可能性も
       舟が苦手だとちょと昔の新羅郡に含まれるか志木辺りから、浦和辺りに出るにも栗橋の方までぐるっと回って南に下るようなルートしかない。ちょっとしたハイキングか。途中服部流の食料調達しながらの小旅行になりそう。
     そういえばネットにて山上りで超有名な山野井氏が服部氏とともに新潟の山に登る映像を見ることができ
      服部氏がさっさと石ころがびっしりの谷川沿いを歩くのを億劫(おっくう)そうに追いかける姿の山野井氏の印象をうっかり
      持ってしまった素人だったのだが、
      急角度の山の斜面を上り始めた途端にルート読みの全体瞬時把握の力量を全開にして顔つきまで変わってしまった山野井氏におーっ!と感動し、山男がその年齢まで現役でこれている慎重さの真髄を素人流把握でだけど感じた気になった次第
     おだやかでざっくばらんで、だけどことばの重みの使い分けは繊細だからアナロジーの安易な持ちかけは静かに流されてしまう
      帰りの平坦な石だらけの道のりは元に戻っている(山?行かないよ!なんてぼそぼそ言い出しそうな、普通にそこらのおじさん風)ようだったから、実に不思議だ