連載は続く~ SF掌編『年末、温かい予報の割りに寒い』編


 数十億年を経験してきた生き物の系統として学問の筋から認識されている生き物たちがいる。
 土中の微生物群。
 その数え切れない種類のごく小さな生き物達が住み合っている状態自体を、その数十億年の経験がそうさせている、と見なしうるならば、と素人老人はNHKBSのヒューマニエンス"土"の巻にて視聴できた内容について、勝ってに想像したくさせた。
 すでに進化の論については素人流を付加しての解釈の辺りは何度もふれてきているので、以前の書き込みなど参照していただけたらありがたい。
 とにかく今生きているなにがしの意志、志向とは無関係に、進化フィルターは作用してしまって、結果的ななにがしとして残り続けてしまう、というようなニュアンスで進化の論を押さえて置けるならば、生き物が織り成す現象について、今の時点でより多くの知見を紡(つむ)ぎださせるに違いない、など惰性のように素人老人は大げさに持ち出しがちにしている。
 土の中の膨大な微細な生き物たちは、数十億年間という時間のフィルターを経て、お互い様を自らが演じ合っている。そのことをサイエンスの現状として専門家諸氏が開陳されていたように、素人老人は受け取った。
 単一の種が、特に我が侭というのではないにしても、好きとか食べられるとかで、多分、消化にも好都合な限られた食物を食べて世代継承し続ける場合、お互いが無限に世代交代し続けられているならば問題は生じそうなさそうだけど、万が一、食の方の都合が、相当な時間を相手にした場合、制限付きであったなら、追々、食うものに事欠くことになって、食えなきゃどうなる・・で気づけるように、生き物を消滅させかねない。
 だから思考実験的には、地表面(土壌は地表面扱いしてよいくらい地球測量の巨大数値からすれば、ごく薄い。ただだだっ広い)での生物種の消滅した別の地球のあり方の今日、ということを空想しておけそうなのに、むしろ、色々を経つつも、膨大に生き物たちがせめぎ合えていることを結果的証明と見るならばの辺りへの、先の素人観点も取り込んだ進化の論と関わらせて、こちらへと誘った経路への関心を置き去りにするわけにはいきそうにない。
 ただ素人老人ゆえ、沢山の事例を膨大に記憶にできているわけではない僥倖(僥倖)だからか、よりシンプルに、一方が食って生きながらえる惰性下にあり、もう一方、そのほかも似たり寄ったりの場合、時間のフィルターにかかると、追々、明確にそちらへと傾いているとかは鮮明でないとしても、密かなバイアスとして、食いすぎずに済むお互い様関係をバランスさせているような群のところがより残り易くて、ただし、色々な環境条件によってそうだとしても、絶えてしまった群のところも当然含ませつつ、より長大な時間のフィルターを経た頃のある時期においては、確かに、現土壌環境のようなことに近づいていたと見なせそうだ。
 これを動的志向性を発揮しつつの生命活動と見なして一般化するような強引な論に替えてまう素人老人流が許されれば、現状のヒトがいかに愚か者達かを知らしめさせられる気にならないだろうか、と素人流、老人流に問いかけてみたくなる。
 列島は狭い土地柄へ人が密集しがちにする特徴的地形(棚田が象徴的で、人家のための土地は列島の中で限定的だ)すら持ってきた。そういう集住の中で、仏との交流もあってか、独特の集団をやりくりしていく上での知恵を育ててきている。
 とはいえ、時期とか土地柄とかが関わって、ある種の単発的思い込みを過激に育ててしまうこともありえたから、どれがその知恵に当たるかを探し出すのは、個々の思いつきじゃないのとかの確実さと伴わせた事例持ち出しをやってのけたとしても、論を落ち着かせることは多少難しそうにも素人老人的には思えるが、でも、試行くらいはしておくとそれなりに参考材料にはできそうだ。
 近場の集団間での戦闘が絶えない長年月を生きてきた土地柄育ちには、戦闘向きの体つきが継承されやすかった、とここで突然、素人的には関連させての引用なのだが、持ち出してみたい。
 動物達の戦闘的狩猟生活が長い場合もその可能性を指摘しやすくする。
 一面、現スポーツ身体として適してそうだけど、戦闘向きスポーツの場合には、そうだろうな、と思えるが、戦闘っぽい要素以外が多く関わるスポーツ競技の場合、別の身体的特徴も不可欠と察せられる。
 特徴的に顕著な列島育ちの人々や、ヨーロッパを含む、体つきが似た人々も珍しくないということからも、ある程度の察しはつきそうだ。
 ただ今は氷期の只中というわけではないので、生活習慣病予防にこだわれば、太り方はそこそこで制御できていることの方が、生きていき易そうだ。
 ちょっと以前までのプロ野球のファンは、ちょっとだけ技術的な話題をかませて野球を語り合えていた。だからプロ野球観戦するくらいなら、自分でやったほうがはるかに体を楽しくするというタイプもそれなりにいたし、より沢山のファンからして、そのように技術のことも込みで楽しめていたわけだ。ある時期(と素人老人年代ゆえ、そのいきさつを先日ふれたけれど)以後、急速にファンが減少して、プロ野球興行は危機を内包した時期を持っている。その後US事情や、バブル資金の循環が関わって、ファンの内容に変化をもたらして今に続いている。
 ここらは以後の環境の中でファン獲得してきたサッカー興行も似た条件を請け負っていると言えそうだ。突然、不人気になることも条件の中に含ませている、と素人老人の指摘程度でもお察しいただけそうだ。
 けれども、その内実に気づけていれば、ファンイコールそのスポーツを自ら嗜好してこなしている人々であり、その数がかつて実際にありえたように大人も子供も膨大に日々楽しんでいて、その興味の上にテレビ画面を通しての試合観戦ということが起こってもまったく不思議な事ではないことを押さえておきたい。
 かつての苦渋のごく一時期に、素人老人もその経過を見ているのだけど、かつての草野球っぽいのとは違う、リトルリーグっぽい子供相手の指導を引き受ける大人たちが活発に動いて今日のファン層の基礎の所を支えている感じだ。だから大谷選手のようなタイプ(メジャーリーグでも通用する体格プラス技量)が現れれば、沸騰しうる。
 とはいえ、ファンの中味の大半はお付き合いの勝ち負けプロパガンダに乗せられた諸氏なわけだから、飽きられるとか、世代継承を失敗した時には、瞬間的に落ち込むことは目に見えている。Jリーグ人気も同様の性質が含まれている。
 WEリーグはその心配はない現状だけど、女子サッカーの担い手諸氏がどれほど世代継承しつつ、列島各地に溢れてくれるか次第ということも、サッカー身体の日常性と関わらせて、かつての、イメージとしてのブラジルの巷の年少なサッカーの担い手たちということを持ち出せるといい感じだ。巷のごく近くにスーパーな技量のプロ選手たちが活躍している。そこから学ぶし、自らも面白がってサッカー技量が更に身についてしまう。
 ここらについては、ちっとも天才じゃない小野(元)選手と(先輩の方の)中村(元)選手を対照してみるとわかりやすい。
 ご両人が努力の人だ。けれども、素人老人的受けとめからは、中村選手(と現役のように呼んでしまう)は苦労人の努力家タイプだ。恐らく性格がそう仕向けた。
 一方、小野選手(同様)は、技量が身につくに応じてできることの数々が面白くてたまらなくなるタイプだ。すると、正確さとかなんとかは後からついてくるくらいの感じで、なにかを志向したときに、結果なにかが成せる、ということに向けて、楽しくて楽しくてしょうがない(傍目(はため)には努力の様なのだろうけれど)過程をいつでも経ている感じで今の技量を身につけてしまっている。だから、体が許せば、そしてプレーを楽しめる相棒達に恵まれればいつでも、その技量を発揮して、お前ならどう返してくれるの?でその交感すら楽しみにしてしまいそうだ。
 技量を身につけるには、しかも、人一倍の段階を目指すなら、まず小野流に、自らの嗜好と向き合って、面白くてたまらない過程に入り込めるかどうか、辺りが、そういう経路への自らの現適正への検証材料にできそうに、年寄りからは、若者向けに発信できそうに、現状、思えている。
 ただでさえ極寒期の過程へ突入した場合、人口維持は、超小型の、各家庭に一台の核融合暖房、湯沸し装置が普及しない限り、激しい気候に晒されながらの寒冷過程なのだから、難しいという仮定をおけるならば、今の争って出しか、騒がしい人々を落ち着かせることができない現代人のままである場合、土壌中の微細な生き物たちのようにして、お互い様で行き会える身体を持つことなく、今のサイクルの間氷期氷期の中で、激減させかねない。ホモサピエンスの都合からはそこらを率直に指摘してみたくなるのが素人老人の今のところの知見整理なのだが、地球の生き物たちの都合からすれば、ヒトがどうなろうが、うるさいのの一つが失せようが、ちっとも気にならないという類のはず、と察する。

 U-12の男子サッカーとU-15の女子サッカーの両方をJFATVがライブに限ってネット発信中だ。
 観て楽しいからだのこなし方を披露するゲーム展開だから、関心を持つ諸氏は是非ご覧ください。(これから体ができてくる年代なので、そこらは踏まえていただければ)
 ユーチューブのJFATVで検索すれば簡単に行ける。

 

   川柳もどき

    老人の生活を続けても、寒さには慣れない
    日中のポカポカが本当につかの間にしか感じられない
    それを挟む前後の時間帯は冷え切っている
    ただし、外に出るにしても、なんにしても、今時、軽くてポカポカタイプの衣類が実に手軽だから
     この程度の寒さで氷期が続くならば、どうってことないな、とたかをくくっている
      ・・・と
       老人風をふかせても、空想か妄想のたぐいだろう