連載は続く~SF掌編『もう少々安保知見2015(平成27)版と2万年羊知見』編



小冊子『未来』(未来社・季刊)に上村(1941(昭和16)年生)氏の連載が続いていて、副島氏(1953(昭和28)年生)が時々紹介される述懐のことと照らし合わせる感じで目を通している。
いづれにしろ列島版コンスピラシーセオリーを参照出来れば、世界の諜報脈利害がそう仕向けた個人たちの離れ業の事例、とシンプルに受け止められそうだ。映画『スパイ・ゲーム』でのエピソードのように少しずつ関与されて扇動される要素ではなくそう扇動する要ポジションの要員すらが変化しつつあるような昨今を押さえることができるならば、これからのグローバルな世の中も少しずつ変化せざるを得ない。荒っぽいことで社会工学パスカルの原理応用の場面は極小に向かうし、けれどもその作用の場は廃れることは決してない、当面。一方で、巷感のヒトの営みが試行錯誤とはいえ、ある落ち着き範囲の中でより人生を全うできるようにするのではないか。ただし、全体構造の軋みとか変化とか過程自体をどうできるかにかかる、と素人っぽくしか言えないけれど。
2008年のリーマンショック後を相当につぎ込める脈は機能している、でも、確かにリーマンショックは生じてしまった。ここを押さえておきたい。
資金循環知見を要素に持ち込まないと、経済の学は、色々世論の中の一つの意見程度で消費されがちになる。政治経済学に意識的な要素として含められればことばにできる。
公共事業の放漫さが実際には生じがちで、これこそが19, 20世紀版の世界経済における海流での深層海流に近い。わかったからといってそれで何かしら懸案が解決するのではないから、もしも世の中を上手く(営む意味から)やっていこうと思えるならばその為の秘策でもいいし提案でもいいからできるところから考え出していかないと旧態の惰性に依存させがちにする。ネット発信から知れるように、人々を大きいところで支える経済の営みが実は補助金だったりとか巨額である税金収入に依存している。それをどう回すかの工夫の残影を少し時々振り返れる。けれども、人々の自発性が発揮される機会がそこかしこに実地に見ることができる世の中の営みは貴重なはずだから、そこも実は外せっこない。そういう軋みをどう楽しく、しかもより工夫の余地の所で営めるようにしていけるか、ということは試され続けている。人々に持てるだけ持たせる手法では、必要なところに必要な時に必要な支払い手段が集まるかどうかはかなり不確かなことになる。そういう状態ではない相当な年月の経験後を今の状態と見なせることは、一応、ラッキーかもしれないし、大変な生活をかこっている諸氏もおられることだろう。その情報を理解できることは大切なことだし、だからやはり学ぶことは必須だ。と言って学ぶ内容とか学ぶヒトの発動因めいたエネルギー次第で、教科書的整理では合わない場合も多々ありうる。けれども、とにかく情報を見つけることもできるし、理解もある程度できてそれがお互いに練り合える程度のことば理解のあり方を持ちあえていて、というくらいは必要条件くらいには指摘できる。そういうことを素朴なところからも希求できるような住み方だと、制度を強制しないとできない、とか暴論に走らせないで済ませる。大抵はどういうやつらだって面従腹背程度の矜持を内部に育てているから、他人からする押しつけのまずさくらいは共通理解にしておける。映画『ロードオブウォー』の古典的武器商人に近いところを、新武器商人の失敗を踏まえた人々は通りつつ、だけれども、別の危険要素を極小にしておけるやり方ができるタイプとして成り立つようにしないといけない要請くらいは、映画を参考に指摘できそうだ。
巨大化したネット系企業や内部告発的情報発信源の担い手がたまたま暴走しなかっただけ、というのでは将来不安は払いのけられない。
USイメージならではの、個々からのネット情報発信をしてくれたことでの今日、ということは多くが指摘されることだろう。利用されるようにできている19、20世紀型ジャーナリズムはたとえば『スパイ・ゲーム』とかその手の映画からすぐ気付けるように、世界の諜報脈が現場現場で紛れ込みやすくする装置として非常に機能する。危険を冒して現場へ出向くジャーナリスト諸氏が大勢いてくれるほど助かるわけだ。一方で啓蒙の力の為にはできるだけ隠されていない事件現場が要る。争点についてある程度客観的に多くによって判断可能になる情報が発信される必要がある。
事業は時代と共にで、既にネット商売系の行く末がいかに不安定で形態変化が待っていることは、予測よりも確かな事前の注意報になっている。それでも既存の条件が次への制約ともなるから、そこらは心配しておいて間違いない。どう必要を満たす意欲も伴う起点を担うだれかたちが支払い手段なりを得て、我慢強く事業を本モノに育てられるのか。ここらになると、もう若者たち、ないしこれから若者年代になる幼少年齢層に委ねられる話だ。単に想像力ではなくしっかりヒトと接することができて、幼少期、子供年代ならではの生々しい肉感、実感と観念でもって、ある構想を得てもらいたいものだ。しかも、若さならではの早とちりや(子供ならではの観察はむしろ微細な可能性ありだからそれよりはアンテナの時代的育ち方とか具体性に属する)微細さ不足をその後に地道に補っていく。





ところで、高倉氏らの毛細血管研究はがん細胞による貪食の様を掴んでくれたのだろうか。
そこらから列島版の研究ががん細胞知見のパラダイムチェンジ役を担いうる。そしてがんについてのこれまでとは全然異なる対処がいとも簡単に可能になる。
それくらいのヒントを安保氏は残している。2015(平成27)年以後の出版を皆さんにおいて是非何度も読んで、サイエンスレベルで押さえられる基本のところや仮説やを仕分けつつ、今日の研究を期待を持って近づけるようにする。一般向け啓蒙書だからご本人が整理されて簡潔にしてくれている。その簡潔さ、わかりやすさの背後に隠れている氏の基礎知見を読み取りつつ、だから読者自らが応用できるような読み方ができる。
安保氏はヒトにとっての栄養知見の拡張として太陽の光を浴びる現象を電磁波的な要素においてとらえられている。そういう影響が栄養のようにヒト生体に作用する。
免疫を扱う上で必須だし、それこそ医療の実際においてやっかいものにもなりかねないMHC(主要組織適合遺伝子複合体:major histocompatibility complex)についても、胎盤での別の在り方知見など紹介している。ここらはネットで”北大、異なるクラスのMHC分子の特徴的構造をあわせ持つHLA-Gの新規構造解明”などHLA-G知見として直ぐに参照できる。生体において異物を異物としないようにする働きが生じる。解糖系は細胞分裂に向く。そういう細胞にはミトコンドリアが極端に少ない。赤身か白身かで見分けられる。ヒトにとって予め無茶とわかっていることを避ける合意形成はいつでも機能させてきたけれど、現知見に応じて働き方へ誘えることも大事だ。自ら望んでの長時間の仕事、であっても無理を感じて直ぐに骨休めできる条件を持っているか否かは重要事だ。後者において折角の快が困る方でのストレスに変わってしまう。
徹夜はヒトにとっての無理と一般論にできる。けれどもでは家族のだれかを次の日の仕事出勤を控えながら徹夜で看病、という人生だって多くがきっと持っておられることだろう。それが人生さ、と流すだけならいつでもできる。けれども、そこをちょっと工夫できないか。起きている時の交感神経優位な状態が、夜勤業務を続けることで、体調変調に結びつくなら、そこもやはり工夫が要る。低体温、低酸素について安保氏は注意報を発信している。ヒト生体が解糖系に都合の良い状態に傾けば体調不良に陥りやすい。バランス問題ではあるけれど、今時の世の中の営みのしがらみからは解糖系に傾きやすいのだ。好ましくないストレスによる緊張がそうさせる。手段要素も無視してはいけない雇い雇われ仕事について、生活を円満に過ごせるために仕事で稼いているのに、体をその為に壊す、では本末転倒ということだけど、仕事の実際の都合は、少しは身を入れてくれないとくらいにはプロフェッショナルだ。だからこそ制度設計にプロフェッショナルが要るし、その都度の素早い反応的変更も欠かせない。介護職が特別なはずはないけれど、列島での老年期の一時期の在り方と直結する職場と見なせるくらい現場は生々しいから、自ずと仕事上の張り合いを得やすい。こなしきれない残念感も一緒なことは言うまでもない。そして他の仕事だってきっとそうなんだけど、雇われ仕事というのはなぜか自らの関与実感を持ちにくくする。給料払ってるんだからその分は働け圧のように受け止めさせがちにする。それだとお金の額に均されて、仕事の具体性への近づき感を削いでしまう。そういう失敗を近代は持ちがちにしてきたし、そこを他で修飾することも試行してきたはずだ。そして失敗し続けている。
NHK深夜便放送で羊の話をした回があり、そこで羊に詳しい女史が、ヒトと羊は2万年の経験を持つと指摘されていた。1万年だと間氷期突入後の経験だから少し頼りないことは事実だ。けれども2万年間となると、少し違ってくる。氷期にも使えたし、過渡期を超えて間氷期の今日にまで通じている知恵だ、ということになる。精度の高い、人口の周密を踏まえた動態(集住の形態や移動の仕方やほか)については、中々ネットでも情報を得にくい。相当に租だったのでは、という意見にしがちだ。考古知見もあるから、極端に集住できていた、ということもなさそうだけど、では相当に散らばって住み合ってたのか、都市的な集住もありえたのか。先日放送していたNHKテレヴィ長安知見からすると相当以前からヒトがとんでも密度で住みあってきたことが知れる。それを列島でも相当昔から真似てきている。
氷期から間氷期に移ろう頃の実相は。USの大地での大変動は凄まじい。氷期に渡ったのだから、過渡期にはヒトは生活していた。列島九州南部の大事変と同様のもっと大規模な事態が生じたのかどうか。そういう変動、過渡期の実際も今日この頃ならCGと実写を使って一応の再現くらいはできて、気象変動の(長期減少としては)いつも姿を追体験できそうに思える。
そして2万年とかそれ以上もった知見と技術の類を整理できれば、それを検証する実験場のシミュ―レーションの土台に使えるかもしれない。
プラスチックについての政治的動きは、当方的にはそれが趨勢となりそうなら、只事では済まないと察する。石油化学系自体の問題に届かせるかどうかは難しいのかどうか、それはともかく、プラスチックへの危惧がメジャーな話題になってしまった以上、列島での利便性に広範に波及してもおかしくないし、今は猶予の時期くらいに受け止められるならば、羊知見女史のような構えでかつての知恵を探り、今後への思考実験にも役立てる必要がありそうだ。そういう試行錯誤へ現資金循環の主要素でもあるマスメディアが小回り良く機能してくれるかどうかも貴重だ。シフトさせてしまう思考というよりは、考える材料をふんだんに提供できるし、なぜそうするのかの内容を検討できる素材提供っぽい方が過渡期には相応しいようにも素人は想像する。





君:あいかわらず探偵さん、出てこない。
私:忙しいんだよ、きっと。
君:他人事・・・。
私:キミはあいかわらず忙しそう。
君:そうよ。いつだって。
私:骨休め、して、もらいたい。
君:そうね、そうよ、ね。でも実際、忙しいし。これでも、時々、休んでるわ。
私:だったら、安心。
君:心配してくれて、アリガト。嬉(うれ)しいから。
私:そう返してもらって、ボクは元気になれる、かな、って。
君:そぉお・・・・・。
私:介護現場を経験できる幸運に対して恩返しっぽく言ってしまえば、さ、糖尿病とか高血圧とかその類でなぜか認知症っぽく体が不調に陥る老人を沢山みてたのに、どうしてか、までしか考えてなかった。そこらへ安保知見、2015年に出た本では、糖尿病の老人へインスリンからみの治療が施されてそれが認知症に誘う作用経路を紹介してた。脳の栄養不足、細胞に栄養が行きわたらない。細胞自体に影響している。インスリンを出させるようにする。そこで低血糖。それがもろ栄養不足と結びつく。糖質制限食を実践している諸氏にはこの話は直結しないで済む。ただし代替の食事内容がしっかりしている必要はある。痛みに消炎鎮痛剤系の張り薬、塗り薬を使って、かえって長期にわたって痛みと付き合っているような老人にも合う。これにも安保知見からすれば、プロスタグランジン制御の消炎鎮痛剤によるごく当たり前の結果となるわけ。血流抑制によるプロスタグランジン作用制御だから。むしろ血流を保って、治す過程の痛みをしのげれば、結果良好の方に向かう。
君:私は、あなたとお茶を”ご一緒”してると、少し休まる、かも。
私:そりゃ、すばらしい提案。乗る、よ。
君:で、どちら?
私:そねぇ・・・。付いてきてくれる?
君:いいわ、よ。