連載は続く~SF掌編『2月なのに花粉症?』編

例えば年金という仕組みなり制度なりに焦点を当てて老若を競わせたり、争わせたりする政治的思惑が実施に移されがちなように、ヒトにとっての順序だつ年齢というのが影響して若者年代ならば、逆にとも言えそうだが、いつまでも若者でいられる気の方に錯覚できて、その政治的思惑なりに一時にしろ誘われがちにする。
あたかも老若の間に、利益の分捕りあいがあるかのように濃く意識されてしまう。
リアルに近いところでは、当たり前のことなので指摘されてもつい流してしまうかもしれないけれど、実に通年の年齢の積み重ね現象に過ぎない。ヒトは必ず、老いていく、ないし熟していく、ないし成長し続けてしまう。
つい先日BS放送(再放送だったかもしれず)されていたアルツハイマー認知症のある程度については回復可能性有りの辺りを紹介していた番組を介護職ゆえということではなく、年寄りの方の関心から見ていた。
ミヒャエル・ネールス著『アルツハイマー病は治る』('18 筑摩書房)でp20を見てもらうと、(ここから引用[羅列])
”二〇一四年に発表された、カリフォルニア大ロサンジェルス校(以下UCLA)のアルツハイマー病治療計画の研究は、小規模ながらこの病気の治療に新しい道を開いた。”
”この研究チームを率いたUCLAメリー・サウス・イーストン・アルツハイマー病リサーチセンターの神経学教授、デール・プレデセン教授はどのようにしてこの結果を得るに至ったのだろう?”
(ここまで引用)
と紹介されていたプレデセン教授を中心に取り上げての番組だった。
ドイツの同じ関心を持つ研究者が先駆的な研究としてオリジナルとして紹介していたその主人物を数年越しに見ることができたことになる。
で医療分野では起こりがちなのかどうか、USですら、プレデセン教授のプログラムは商業目的であるかのように見なされていたようだ。ところが、この番組の終盤において、去年('19)か、USでのアルツハイマー病に関わる大きな組織も関心を持つに至ったように紹介されていた。
そこはパーキンソン病、パーキンソニズムに関わる複雑怪奇を紐解く努力を怠っていないUS事情を紹介していた医療ドラマ『ニューアムステルダム』の初回放送から気づけるように、USはそれまでの断言からは想像できないくらい急展開をやってのけてくれる土地柄のようだ。
上記著作p284を再び見てもらいたい。
ネールス博士はプレデセン研究をも踏まえて、遺伝的原因とされてきたApoE4について、原因ではない、と指摘した上で、糖質制限食の考えの底として指摘されるヒトの食に関わる起源的な発想における肉食を否定している。
遺伝子研究は日本人がどこから来たのかなどの知見からも一般が推察できるように、歴史をたどらせうる。
ということでApoE4はヒトが他の動物と異なり長寿を達成した頃に出現したとして、その働きから推察を加えている。
(ここから引用)
”ペジタリアンのような鉄分の少ない食事では、ApoE4は貴重な鉄分を脳に運ぶのを促し、そこで重要な機能を果たすようになっているからだ。いっぽう、現在のように肉の多い食事だと、この遺伝子的な特性は問題となる。というのも、鉄分が過剰になり、脳に炎症を引き起こすからだ。 ”
(ここまで引用)
さらに博士は海馬が回復する事例も指摘している。それとプレデセン教授の研究が地道に広がりを見せていることも紹介していた。
ところでドイツでの事情も紹介されている。
糖質制限食について反対するための指摘ではないから、博士は糖質制限食の知見もアルツハイマー病知見の中に持っている。そして2015年初版だった引用著作の雑誌紹介の際、雑誌がクリスマス用菓子を特集していたので、精製糖の悪影響については控えるように求められたそうだ。(p285以下を参照できれば、その後ドイツでも事情は急変しつつあるらしい)
二酸化炭素原因説同様に結果を見て原因とするヒトにありがちな錯覚をアルツハイマー病治療研究においても研修者の世界で生じさせていたようだ。
BS放送の方では、列島にもプレデセン教授によるReCODE法を採用する治療実践がちらほら行われるようになっていると紹介があった。
医療現場の趨勢と出版啓蒙の中身との間に乖離が列島ではどれほどなのかよくわからないけれど、介護現場での知見からすれば、コウノメソッドの試行錯誤(まさに進行形で試行錯誤込みの実践だ)やプレデセン氏らの試行錯誤の方向性に分があるように思える。
栄養構成から小麦主食よりは米主食の方が無難に思えるし、動物・魚肉食もそれなりに受け入れられそうだ。
とりわけ動物肉食の方が流行勝ちな昨今、魚肉も怠り無くと若者たちの嗜好に指摘しておきたい気がする。
というのも、ヒト、とりわけ列島の人々はかなりの長寿だ。だから微量に日々摂取する栄養素の摂取を怠ることの害悪が晩年期に出てきやすいと想像させるのだ。
出方としては恐らく、なんらかその個々にとっての不足がその不足ゆえに機能不全を生じさせた部分、器官に現れる。とだけ指摘しておきたい。健康・元気な老年こその長寿なのだから、老年の元気さは若者の元気さとは違うのだけど、バランスを欠いた元気の状態だと、とかく思うようにことを運ぶのには不都合すぎてしまうわけだ。
安保氏らが指摘してきた働き方、生活の仕方の無理は免疫系に影響して様々に有名な生活習慣病系の病気をからだに生じさせてしまう。
それに加えて味覚・嗅覚・視覚・触覚・知覚などなどの大事な働きを担う器官の老年期における急激な衰えにも通じてしまう。
大災害時であっても非常食をけちってはいけない。たとえ1年とか数ヶ月であっても非難時での食事は坂本廣子氏、奥田和子氏(それに醗酵研究の小泉氏)らの知見を最低でも応用できるようにしておきたい。
環境が急変して冷静さのいくばくかを使いこなせない最初の一週間は電気も使えない。
その時でも今の列島でなら代替燃料は用意できるし、食料についても非常食に使えるものが行く種類も流通している。ただそれらを揃えているかどうかでしかない。水も懐具合に拠るけれど、ボトルでの準備ならだれでもできそうだ。自分ですることだからうっかりもありうるけれど、余裕がある諸氏ならば配達タイプのたっぷりの水を生活に使い続けるということも可能だ。
数ヶ月、一年間とかになるとインスタントな似たような味に辟易してきそうだ。だからこそ日ごろから飽きないで食べていてその中で非常時にも使えるものを常備できるようにしておける。我慢の生活にしてしまうともたない、ここらが奥田氏らの指摘の肝の一つだ。
東南海巨大地震タイプだと特に西日本地域の多くで家屋崩壊のようなことが起きてしまいそうだ。そうであってもキャンプ生活の日常版と思って楽しむ事だってできる。それまでの安楽生活とは違いすぎて慣れるまでが大変かもしれないけれど、キャンプ生活をいかに応用できるか挑戦モードに気持ちを切り替えられれば、それなりに日々に手ごたえを感じられるようになる。そしてキャンプ生活モード、ということでなら、やはり列島ではそれなりに用具が揃えられるわけだ。
ここらも日ごろの準備次第、ということになる。借家系の人々なら、緊急時ゆえ、きっとキャンプ場っぽいのも準備しようと組織立てばできる。その方が避難所集住生活維持よりも人々の自発性に任せられるのでいろいろ好都合でもある。ただ問題解決班っぽい機能があった方が無難かもしれないけれど。それと信頼度のより高い発信元・集約元の維持も大切とは思える。
持ち家系な諸氏ならその土地を早速片付けてキャンプ地にする。そうするしかないだろう、手っ取り早くは。
そして回復を待つ。電気、流通と順を追って回復していくはずだ。やがてガスや水道も機能しだす。配達系の水はその時、どうなっているのだろう。供給し続けられる知恵を構築できていたら大したものだ。
でもって、昨今のウィルス騒ぎ。これも災害時と似た現象ととらえるなら、それなりにオルタナティヴ手法を要する。
性質を知ることとその性質からどうしたら当面良いかなど判断できる基礎教養くらいは親世代は必ず身につけられる啓蒙の状態を保ちたい。そこらは日ごろは学習嫌いな連中でも実践的な内容だと心に決めて、いざとなったら当然役立つしわが子の状態を平穏に保たせられるから、奥田氏ではないが本気で啓蒙にさらしておいた方がよい。
新種だからめったやたらとうつって、かかり易い。感染症状を示すやつがやたら目に付くようになる。
ではその症状の進行具合は?ここらは見極めに使える。
どう重症化するのか、どう軽症のまま治癒してしまうのか。
免疫知見は列島出版・マスメディア発信のおかげでより多くの諸氏が知見を得ている。
感染症恐れるに足らず、とりあえず克服の後には免疫を得られる(極端な変異が生じてのようなこともあるにはあるだろうが)。
他人からうつされる、これだけでも嫌だな、という潔癖タイプ諸氏はともかく、そうでない諸氏にとってはどういう風に移りやすいのかを探るくらいの余裕は持っていることだろうと推察する。
ここらもヒトは観察上得意としている。危険察知系統では勘違いの解釈をしてしまうかもしれないけれど、現象は押さえたりする。
で用心と具体的対処をすることにつなげる。
流通は途絶えたままだ。だから臨時のキャンプ生活ということでは同様だ。水はどうなる?
水道水から移ることは無いとなれば、とりあえず電気(・ガス)・水はなんとかなるか。
その今は猛暑の夏だろうか急冷の冬か。雨が続いている夏が始まろうとする頃か。乾燥続きの寒い時期か。
それぞれに対処可能な準備を日ごろのことにできていればサヴァイヴァルとかなんとかうるさく考えることも無く達成可能。


君:介護施設、どうなる、かしら?


若者が年寄りの面倒を見る、という辺りに多少無理があるのかも、という仮説を持ち出しておきたい。それゆえに一向に施設での介護の実際は、好転する傾向を生めない。
一人ひとりに応じて介護に当たる程度のことは最低限の用件だけど、それへの発想を育てられないでいる介護現場、列島の環境ってなんだ?そりゃ若者に依存してるからでしょ、という仮説。若者で一括りにしてしまうと人によってはの個別性が見えなくなってしまうのだけど、大きな集団としての若者層を含めた施設介護の現場という現実を踏まえると、そういう指摘も可能になる。
決まりきった内容をてきぱきとヒト相手なのになにそれ、っていう強引さに目をつぶれば、若者たちはそんな具合にこなしてはくれるんだ。それらがとりこぼした膨大量について気づける年寄りな介護職たちが穴埋めして回れればなんとか取り繕(とりつくろ)うくらいはできる。そういう年寄りな連中の働き方についての自由度があればの話だけど。
話は逸れるけれど、施設で生活することが規則とか決まりごとでがんじがらめ、というのでは日常生活の場である施設という本筋からは反してしまう。けれども、先のように決まりきったパタンで仕事することはできるけれど、長く待たされるのは嫌という率直な人々が普通に多い施設ならば、それに応じられるのはどちらかというとじっくりこなせる年寄り介護職連中ということになりがちだ。道具系を準備することを怠らなければ、ヒトの移動はギリギリでもどうにかなる。そこらの見極めに得手不得手が生じる。
逸れついでに昔の集団扱いになれた老人諸氏は実に面倒見が良い半面、かくあるべしの集団で囲う発想が強すぎる。皆そろってでないと我慢なら無いタイプに近い。そういう人々がその施設では多いか少ないかでその施設の習慣のあり方に影響することもあるようだ。そういう場合はギリギリ作戦は注意が要る。個々の事情などおかまいなし。早めに集まって、少しぐらい待つくらい我慢しなさい、になりがちにする。実際には、個々の事情の違いは我慢の限度の極端なくらいの違いとして現れる。そういう介護が必要な人々の集まりなのだから。
公式的立場の人々がどう耐えその立場を全うしようとしてきたかは映画『シャイアン』での老リーダーの我慢と死の様を見ることで列島の人々にもよーく伝わるのではなかろうか。
当方的な受け止めは、いつの時代であってもそれは養生としてちっともいいことじゃないと指摘したくなる。そういう我慢ではない、パフォーマンスを各集団間で工夫しあっておいた方が良い。ヒトのためだ。
だから答えとしては個々の事情に沿って対応できるかどうか、っていう話になってしまう。
一緒くただと、避難所の集団生活を更に窮屈するような話になりかねない。そしてストレスに弱い高齢者の寂しい晩年につながり易い。もし勝手なパフォーマンス可能な個人空間を確保できるなら、それなりに生を全うできるんじゃないか。


君:だけど、普段、自分のお部屋、居室っていったりするわよね、そこにすんでるわけじゃない?


耐震とか設計されてるから崩壊してない前提で、流通とか不都合が生じている仮定の話になるけど、その時に、果たして個々の事情を汲み取って落ち着いた実践が可能かどうか、ってことだよ、な。探偵氏、どう考えてんだろうね。


君:逃げ、てる。話の筋、から。


っていうか、さ。年寄りは、さ。いつまでも現場と関わっていられるわけじゃないから・・・。なにかと直面して、物を言える立場とか関わりってのは、実は、本当に貴重なわけ。そこから離れた途端に、外野からぶつぶつ煩く言うっぽい実際になってしまう。関わりの中で少し何か個々の必要に応じられるかもしれない程度のかかわり方はできるけれど、それができなくなる。様々な長の立場とか、行政の立場とかでは当面の要請にこたえ続けられない。仕組みを仮に変ええたとしても、現場次第のところが濃いのが介護現場。
何かしらを懸命に生きてきた若者たちが老いて、なにかしらの縁から施設生活を受け入れることになって、そこで個々性を台無しにさせられがちになるって、今時の若者たちは想像できてるんだろうか?それに抗う介護職も沢山いるけれど、そういう気持ちの状態の担い手と毎日付き合えている保証はないから。だから逞しくして、どういう介護に遭遇しようともそこで悔やまないでいられることが求められてしまう。でもこれって寂しすぎるし、ね。
リハビリ研究の大川弥生氏の発信をヒントにするなら、介護が必要な状態の諸氏においても無理せずできることやりたいことの相談の上で、リハビリの具体像ができあがってそうやってやりたいことをこなしつつ最終晩年に向かうことができる。
多くのターミナルケア研究をして発信してきた諸氏の発信もヒントにすれば、食べたいのに食べないのは無理なダイエットと同じだろうけれど、おのずから少食になって、だけどしっかり水分摂取して、衰え方の普通にゆだねられた場合、結構、順路が明確で、亡くなる前の一ヶ月間くらいは他人依存になる程度のことも可能になるそうだから。志ある若者ならもっと数日間にまでその期間を短縮できるような(具体的な方法を開拓した)生き方を工夫してしまうかもしれないし。


君:答えにはなってないけど・・いいわ。お茶に・・
私:しましょ。
君:天気悪そうだけど、ふと、気づいたの・・雨に当たって、冷たく感じなかった。もう春?って。
私:・・・どうりで、そのぉ・・、鼻がむずむず・・。
君:えっ?!それって花粉症。もぉぉ・・。やだぁ。
私:なぜ、なんで、よ。
君:たとえば、よ。お茶してるでしょ、であなたが、鼻水、ずるずるって、水っぽいから、花粉症の場合、だから、押さえきれずにテーブルめがけて・・、もぉー・・・やだぁ!
私:・・・って、それって、キミの想像、でしょ。そうでしょ。もう少し、キレイに、想像できない・・・できない、よな。花粉症。リアル。くくっ。
君:苦笑に、なってない。ただ苦しそう・・・ふふっ。
私:重症化するまえに、花粉症のことね、散歩に出て、お茶して。どぉ?
君:いいわ、行きましょ。
私:アリガト。