連載は続く~SF掌編『文書に埋まって・・の悩みのないころ』編


 文書が行き交う官僚組織を前提に出来ない時期を想像しまくる必要を素人老人は古代列島っを振り返ってみたいときに、とりあえず、想起するわけだ。
 やがてそういう古代の時期が到来したことも一般的に知れ渡っているけれど、確実に木簡研究の現状において、ぞの急変以前、前史のことも実はだれもが意識はできるようになっている。
 聖徳太子の時期はそういう前史の頃のことだ。
 日本書紀記述からは蘇我氏が文字使用となじみやすい環境をより早くから自発的な要素込みで取り込んで応用し始めている。
 その蘇我氏との関係の中の聖徳太子という見方がよりリアルに近そうに思える。
 文字使用に熟達した僧が何人もやってくる。元興寺(飛鳥寺)、法隆寺はそういう文字使い諸氏を迎えることが出来ていた。
 特定の人物にとっての日常にどれほどの文字使用が関わっていたかという条件次第だろうが、子供年代に特定のことばを習い覚えられる機会を持てて、しかも相互作用的な環境も並行しているならば、それが普通のことば運用の状態としうる。
 親世代にとっては貴重な通訳となりうる。それくらいの違いを生じさせるのがことばの生々しい世界だ。
 ただ下手とすると生々しいこれこれをことばにするとして、どのことばをつい用いてしまえるかの体験(ことばの通有性・関係性と密着した運用・自己で完結する内話内での欠損などなど)をバイ(マルチ)リンガルゆえに欠いてしまうようなことも起こりうる。
 全人生を棒に振るようなこともごく稀に起こる。
 600年を堺のそれぞれ20年間ほどを、聖徳太子は渡来のことば・文字運用に熟達した僧たちからかなりを学べたのかどうか。
 ことば運用をかなり学べたとして、仏典についてどれほどの学習が可能だったのだろう。
 優れて、しかも独自性を含むようなことは不可能な条件だらけの時期と察する。
 仮にできるとしたら、むしろ多くに過去目を通し、様々な解釈ともことば運用の中で交流できてきた渡来僧諸氏だ。
 もちろん、その渡来の僧諸氏から多くを学ぶことは、数十年の人生だから可能だ。
 当時の仏典の使用漢字の種類、数はどれほどだったのか。解釈内容について学ぶことはできても自らが相対的な立場からの解釈となると、今どきの文字運用に慣れた人々の想像を絶する、やっかいさがともなったと想像できる。
 そこで素人考えということで持ち出せば、渡来して更に学んで、それなりの著作が可能な僧の実績を、法隆寺と関わりの深かっただれかに仮託して、聖徳太子と名乗った、とした方が、ことばの当時の制約状況からして、受け入れやすいのではないか、と想像するわけだ。

 文字の行き交っているわけではない行政組織が、どれほどのことを可能とするのか。
 そこらはともかく、"倭国"とその役割を濃く意識できる人脈諸氏が、日本と名を変更する時期までいたことは鮮明なのだから、その人々がどう移動してきたのか、たどれれば、古代史の一面の不思議が、明確な事実となって現れてきやすくなる。
 列島は、各地の独立した経営が、歴史のもつれの中で、地元というわけではない有力層も混ぜて複雑な人脈化を伴いながらも、各地利害からの発信が絶え間なく続いた土地柄だ。
 それが西欧風時代区分の中世や近世の出来事として派手に飾る。
 列島流なのかどうかは、より学問系が研究を重ねてほしいけれど、同じ中国といっても儒教系を厭(いと)い、仏教系を受け入れてきた。列島内部での抗争上も、儒教で打って出ようとする動きをけん制しつつ、時に圧倒され、それゆえの易姓革命発想的戦乱を生じさせてしまうものの、武力も使ってしまうのだけど、表向きの仏如何にかかわらず、統御しようともしてきている。
 半島が仏の輸出先であるよりは儒教系が濃いような時期になると、交流のあり方さえ変化してしまう。
 伝染病とも無縁ではなかった列島生活において、仏は食事の場での派手な会話を慎むような習慣を世間に広めた。手洗い他の清潔系な所作はお馴染みだ。
 仏の底からの圧を働かせ始めた江戸期において、肥溜めの農業応用も盛んになった。
 イエズス会+遠隔地貿易商人の組み合わせが、一方でアルメイダ(外科医)氏のような逸材の招来を可能にしたけれど、一方で、わざとと素人は見ているけれど、宗教利害からそれは禁止しても止まないにしても、しっぺ返しが起こるよ作戦に使えると性病の質(たち)の悪いのを列島にも流行らせた。
 おおらかな列島風仏教下での乱れていたかもしれないしそうでないかもしれない恋愛事象に衝撃を与えることになる。(蘭学知見での杉田玄白氏とかかわるエピソードからもそこら知ることができる)
 素人の今の時点での見方は、660年以後数年間の出来事ゆえに、九州域や近畿域での、特定の人物と関わる事蹟はなかったことにしよう作戦が敢行されて、もしそれが起こらなければ元北九州域にも、現法隆寺っぽくオリジナル観世音寺がわかる程度に残りえたと思える。実際の現北部九州域はその特定の人々と関わる遺跡はあいまいになってしまった。
 いつ、対外性を意識した"倭国"の"役割"の記憶伝承をこなす人脈のどれほどが、どこへ移動して、持統~文武の展開を可能にしたのか、を探りづらくしてしまう。
 その移動の様を追跡できる発見とか読みが起これば、即、時代描写が可能になる。
 文字使用のない土地柄では記憶頼りの伝承がもっぱらと思えるが、そこへ文字とともに物語りが記憶へと介入してしまうことの圧倒性のことも想像できた方が、今どきの勘違いの修正には使えそうだ。

連載は続く~SF掌編『三内丸山住民は温暖好き』編


 三内丸山で育った子供たちの一人に過ぎないキミの子孫がどういうわけか倭国~日本を動かすだれかとなって・・・という噺。

 三内丸山住人諸氏は氷期の極期を過ぎて急激な温暖化を経た海進の進んだ頃を安定的に営めている。
 そういう温暖な落ち着きを体にたっぷり浴びて世代継承を為していた。
 が・・・そういう環境条件もずっと一定していてはくれなかった。
 現代の気候に近づくように海退が始まる。
 ここからは素人老人の勝手な想像になるのだけど、ヒトの体に正直であるなら、多分、列島域の南西方向へ伸びる方へと(三内丸山住人諸氏は)移動したのではないか、と想像したくなった。
 ついでにタイプとしてちょっと呪術系じみている。
 氷期から間氷期の短期の激動を体験した列島在住の人々は、適地を求めて各地に移り住んだ。
 だから三内丸山的適応をとげた諸氏以外にも列島各地に集団なりの適地を求めての定住がありえた。
 で、激動期ほどではないけれど、同じ列島つながりなのに北に行くほど寒くなるとか、今体験できている四季ごとの各地の特徴を成すような過程が形成されていくその変化を体験しながら、居住地の変動もこなす。
 物の動きを成したように人々は各地で交流もこなしてきたので、そんな伝手も使えたと想像しやすい。
 やがてある一派は南西、南西で九州域にまで達する。これもちっとも不思議なことではない。乾燥して水を極端に得にくい土地よりは水を得やすい土地が選ばれやすい。
 そういうヒトと居住地との相性とかが絡んで、ある気候上の規則性としての落ち着きを得たころ以後は、(集団性や個々の事情という)自らの選択に基づく人為による移動が目立つようになる。


 遺伝子データを踏まえたヒトの移動を語る知見を読み直す工夫さえできれば、三内丸山のような温暖な土地に慣れた人々の中のだれかにとっての住みよい温暖な土地が、九州であってもちっともおかしくない。
 それに魏志倭人伝が伝える倭人は呪術系だ。
 倭国が中国から権威付け込みの役割をもらうことで半島域の諸活動を含む一定の想定された圏内について偉そうにする力添えを得たとかの性質ではなく、他所の諸活動から一定の信用を得やすい立場を得ての自らの活動が可能になるとともに、それがその人脈内において継承され続ける。
 明確には旧唐書に記録される倭国までは、倭の文字のニュアンスなどおかまいなしに、それを名乗ることでの権威として受け止め可能と思い込めていた。
 が、660年を堺に、やってはいけないことをしてしまった倭国の中枢(斉明、中大兄)の処遇で倭国人脈は大混乱することになる。
 列島は各地に集団の自発的営みも可能にしていたので、倭国人脈とともに百済関係を濃くする集団の営み人脈のみが慌てた。
 まず対外的に名乗る名称を倭国から日本にした。
 観世音寺や川原寺やと斉明・中大兄と関わる事業については"抹殺"してそれら関係者がいなかった扱いに近づけようと工夫された。
 ここらは、ずっと続く木簡発掘によってより明確な事態の推移を後付けられそうだ。
 六国史の上では、改訂の流れの中で斉明も中大兄も復活した。
 けれども考古からは痕跡がたどれる程度に抹消作業が為されている。
 ここらも考古発掘作業がきっとリアルな事態の推移に近づきうる発見を成してくれそうだ。
 元の頃にはしっかり東アジア圏の役割分担ネットワークが作動して、事態をおさめることにつながる。
 けれども話題を他に振るというのでは酷い事態ということでバランスを欠くから、多分、別の思惑から(役割分担の範囲を外れた)乱暴狼藉の類として秀吉主導の暴挙が為されてしまう。
 それでも東アジア圏での役割分担の共有された発想は継承されていたようでそれは江戸期まで振り返ることができる。(大変な費用負担を継続し合っていた)
 列島内での継承性を含めた流れとして振り返るならば、倭国~日本の役割意識継承人脈はどこかで希薄化している。
 子孫の数が累代となって増えれば増えるほど、内部に外部性が大きく膨れ上がってくる。
 内部の人間関係に社会関係が生じてしまう。そうなると穏やかな権威認証などインチキっぽく感じられる外部が内に膨大に育って、継承そのものがうまくいかなくなってしまいがちにする。
 けれども、形に意義を認め、その継承を成す人脈はあり続けたようで江戸期まではそういうことだった。
 けれども、将軍名称もすでに列島内部の内輪での役割と化している。偉そうに振舞う要素すら身に着けてしまった感すら伴わせている。信用の支えの下秩序へと誘う巧みな古来のシステムという辺りはどこかへ吹き飛んでいる。

* 列島各地ということでは三内丸山ほかの先住系(大型動物を食いつくした系統を含めて)諸氏がまばらな棲み分けを成す(物の交流からして頻繁な交通も想起できる)。そこへ稲作を自らのものにした時期の集団の営みが渡来してくるようになって、たくましいくてかしこい先住民系がモテモテの位置を成したことはいうまでもないので、流れは自ずからネアンデルタール人がたどったようなことになる。混血だ。
 農耕民の人口圧はとにかく元気とかげぜわな話抜きに、働き手要請の圧が機能し続けて増え続ける。でも生産能力との相談だから、今日の人口規模ほどには膨らまない。
 一方、沖縄系の人々がいた。やがて北方への移動を為した集団の営みを生じて、ことばなどの制約から通婚に制約を伴わせて混血が生じにくかった。沖縄の方は混血を生じやすかった。そこで、遺伝子からするヒトのちらばり具合知見の読み直しも可能な知見を得る。
 アイヌは決して孤立した集団の営みではない。沖縄の人々ときっと先祖を共有できている。しかも、移ることで形成される、ことばの動態についての貴重なケースを生で保ってくれてもいる。
 列島の先住系は、氷期を終えた時期の温暖さを体にしみつかせて覚えてしまったので、つい今どきの都会的利便性の方に向きがちにする。その実際が、人口密度のばらつき方としてモロだ。
 今どきの経済活動はモニターとにらめっこしてデータ処理してぼろもうけできるかもと期待できるタイプへと誘われやすい。けれども列島育ち諸氏はちょっとした野外での息抜きでも再活性するほど自然との対話が得意な人々で、その性向は古来から変化なしのようだ。
 PCの達人たち(つまり海外勢を多く含む)でさえ自宅での仕事の自由度を味わってしまえるほど自然との関係が濃いようだ。
 農業の成り手にこまる今日この頃だけど、農業のあり方へのひと工夫さえこなせれば、戻せることは簡単そうだ。
 それ以上に、今の仕事が為す、ヒトの生活への貢献の密度を保ちつつ、その仕事のあり方への激変をもたらせれば、やがれ必ずやってくる気象の激変へも、それなりの準備を集団としてし易くすると老人からは想像できる。

連載は続く~SF掌編『広瀬本年寄り系読者がSuiスイFuらふら』編


 できることならば推古の頃から道鏡騒動の頃までの考古知見が整理されてくれているとありがたいわけだ。
 たとえば、(九州王朝("王様"がいたかどうかハッキリしないという意味から、ないし共和制志向の側が想定する確固とした形だったのかハッキリしないという意味から)と王朝概念を安易に持ち出すことには慎重になりつつも九州の地の倭国以来の権威筋を素人が追う上では九州王朝説の諸氏の知見に接せられることは貴重だという意味合いから)九州の北部域での寺院建築に関する各地元考古系の掘っている実力はどのあたりまで(時代特定など)追跡可能になっているのだろう、と期待とわからない加減が混ざった感じを持ち続けるようなことにしがちなのが実情。
 そこらは、関東域での古墳についての時代特定は措いて、とにかく活発な居住や移住やの動きがたまたま見られる地域ということから、居住の跡や寺建築の跡などがかなり緻密に時代特定とともに進行形の状態らしいことを出版物から知ることができる現状ゆえ、九州でもどうなっているかなど、ネットから探ろうとしている素人老人からは、いまいち探りにくい感を持っているあたりを指摘できる。
 確かに米田氏ほかの仮説提供はあるのだけど、その確度を押さえるための掘ることが九州現地でどれほど為されているのかがわかりにくい辺り。
 つい先日も昔放送されたNHKの番組(よみがえる新日本紀行)の4K再生版を見ることができ、薬師寺の作り直しに取り掛かる以前の三重塔の事業を知ることができた。そこでも少し若い西岡常一氏が棟梁として関わっており、おじいさんの頃からの継承も紹介されていて、父親の代の時に、今作業されている三重塔の(建築資材集めとか)再建準備は始められ整えられていたような話にもふれていた。
 中で、鬼瓦のデザインを九州の古い建築から採用して、というエピソードまで登場。
 再現の作業に九州が参考にされている辺りが、なにげに興味を誘う。
 九州王朝説諸氏においても難波副都説とか一定の権限の移譲とともにの活動域の集団的移動を想定するような考えを柔軟にされているので、既知の660年の画期(平凡社刊の東アジア民族史2(ネットでも入手し易い))での当時の半島各国での出来事記述を知ることで、中国との関係も鮮明にできるし、日本書紀のまったくふれない時の流れとしての密接な交流を持ってきた各国の同時代史の中で列島の一面を押さえることも可能になる。
 そこらを押さえておけば、各国のだれそれと関わらせた強引な論についても、自らが判断可能にして、当時を振り返りやすくする。
 ただ高志書院とかの出版物で簡単に読めるようになっているのだけど、関東でも当時の超有名な人物肖奈福信氏と絡めて高麗郷と関わらせた、ないし貴田氏の著作で有名な仏像エピソードとも関連付けられそうな、国分寺が建てられていく時期の諸相とも関わらせられるような考古掘削作業が結構地道に継続的に整理されながら進行中であることを先の出版物から知ることができる。
 エミシ知見もそういった考古系の最近の作業の積み重ねによる知見提供に当たる。
 とにかくその昔の仏教伝来の幅のあるころについては、渡来系の出自の地こそが、文字や文字をしたためたなんらかの財が作られていた。
 それをなんらか術中にした人脈諸氏ならば、渡来後もきっと扱い続けたはずだし、文字と関わらないで生活が成り立つ渡来系の諸氏においてはそれはそれで、技術系を育てることは可能だったはずだから、周囲からは重宝されたと想像できる。
 土佐日記紀貫之氏との絡みで、ある範囲内の人々が文字を術中にしえた生活が成り立っていたとして、しかし、今読める古典と古文献の文字の群れに接せられる範囲で、その読みづらさ、しゃべり言葉としてならこなれていなくて、わかりにくいとか、濁点なしの文字の羅列とか、江戸期においても、文字を使いこなしつつ、共有財産のようには使いこなしていなかった質の辺りは隠しようがない。
 そこらを踏まえた、古代の再現の難しさを学究諸氏ならばこなさないことには事態記述すら難しくなるだろうから、なんとかこなしてもらいたい。素人は本当に素人なわけで、諸文献とか一次資料に接しやすい境遇諸氏ならではの接近が求められる。
 列島(各地。そして世代間の現象として、簡単に別のことば系も育ちやすい性質を踏まえることも欠かせない。たとえば方言のあり方の条件次第の変遷とか、語彙として記紀とかに影響されずにずっと継承してきた意味系がありえたとか、そうはいかなかったとか)では、どう発音が文字として落ち着いていったのか、その特定領域での整理、というのではなくて、列島(各地で)のある程度の活発な部分での落ち着き方として描いていただければ、それなりの時代相が浮き出てきそうだ。
 しかも各地に活発な半島・大陸各地からの渡来系の人々とが波状にやってきて住みついて共同性も発揮し合っていた。広域な交流をこなしていた。
 関東知見では、鉄や古墳と関わる石材の流通とかの考古知見が紹介されている。
 そして高麗郷でいうなら、高句麗ということになるけれど、やがて或る時、中国でも宋と元が南北を構成していた頃、列島住民との間で事件を生じさせているが、高句麗ネットワークが機能しないはずがない!と素人は少しだけ若いころに教科書的知識を越えない程度の知識の中で、勝手に想像したものだったが、広瀬本の自分流読みの流れの中での気付きだった。
 列島内では上手に諸地域の人々が共存できているのに、なぜか半島ではケンカっぽくふるまうし、現に国境すら作るようなことになっている。近代のルールの中で、国境となると、それなりの手続きを伴わせる。
 もちろん原因は明解で、超超大国のUSが冷戦仕掛けを持ち込んで、一応の落ち着かせ策としてきたからだ。(ナッシュ均衡の条件に見合った均衡の状態で落ち着いてくれるかもしれないし、ざわざわさせるかもしれないし、とにかく、真実の思惑はどうでもよくて、一応表向きの役割分担として敵味方関係でのライバルとして設定てくれさえすれば、大国は安心できる(こういった一方の大国発想タイプと唐の高宗氏や武則天氏のころの大国発想の違いを質的につい比較させたくしてしまう。練度(こなれているかどうか的)とかも想起される。戦争戦争で人類史を繰り返していると観念系の進化は望みにくくなのだろうか?))
 完成品ではないグローバルな仕組みの苦労を無視して、USだけを責めるわけにはいかないにしろ、半島の人々にとってはいい迷惑だと思える(弁証法役割分担発想の副産物)。
 核を限定的に持ち合うことの平和策だったのが、走りすぎていたシオニズムの余波が例外を生み、それを隠すためにか、他国にも持たせる動きとなって、今はやや落ち着いているものの、限定的にその内部で緻密に使わない工作が為されて初めて成立する戦争をできるだけ極限化しておいて、平和状態を保つ模索は、騒がしい事態も込みで、突発的なイレギュラーを制御するようなこともこなす。
 それだけに依存するようだと厳しすぎて疲れてしまうはずだから、その他の要素も副次的に機能させて、気持ちだけでも、そちらに傾けるようなやり方が採用されている。
 USに限らないとは思うけれど、たとえば映画でも紹介されているナッシュ均衡(お任せシステム運転の大儀に使える発想源。素人が対比的に出せるヒントとしては、ヒトは毎日が更新の機会を要する的なことを指摘しやすい。たった数分間の極端なストレス負荷によるそれ以後の人生丸つぶれのようなこともヒトの生身は生じさせる。介護知見からだとイレウス原因から出るものが出てくれず、それがたとえばおならだったとして、それが出したいのに出なくて七転八倒の苦しみへ直結してしまう。喜び系も逆にたわいないことで元気につながるとか色々指摘可能だけど、大変な方も忘れない方がいい)とか、市場原理主義的にお任せで、勝ったら、そいつが一時占めるけれど、直ぐに、他のだれかがその争点での勝者を目指してという参入の自由度を、法治的行動範囲の中で可能にする仕組みを一応民主主義という風に見做して、核の限定的持ち合いの厳しさを隠す、イデオロギー対立の構図をも援用するように使いこなしているのが実情のようだ。
 列島の若者たちは、かつては広瀬本を出す必要を感じた多くの人々の問題意識(欧米では既知のことが列島では知れらずに歴史をなぞっていた事情)をクリアできるくらいの列島出版事情を踏まえて出発できるのだけど、それでも、欧米流が育てた黒子役を担うグローバルな組織での異常な位に厳しい面を広瀬本読みの素人の足りなすぎるけれど、ひょっとしたら少しくらいは参考にしてもらえそうな想像の辺りをちらっと、読み流してもらえるならありがたい。
 ただもう少し、市場原理主義的な発想を支えている辺りにふれないと、構造のところがわかりにくそうだ。
 USのテレビドラマを見ている限りでは、市場原理主義なんてくそくらえ位の馬力のあるやりて諸氏もプロフェッショナルとして仕事にまい進されている。限りなく。
 それでも、市場原理主義には埒外の立場が可能なので、そこらのしくみくらいは若者であっても集中して諸事情を学んで、そこらからうっすらとどうして可能かを気付けるようにできそうだ。(市場で敵味方的に競り合っている膨大なだれかたちを操作的に高所から接近できるだれかたちがありうるという事態性質)
 毎日のように見ることができる大リーグの野球中継も参考にできる。
 ファンとともにだけど有り余るエネルギーの持ち主たちでもある大リーガー諸氏(野球が一線の娯楽であった時期だとスポーツ身体の最良の時期を野球と関われる時期に迎えた若者たちがそこへと集中したので、硬式野球のプロに近い連中は(特に投手の場合)長距離走も強いし、ダッシュ力も抜群だし、内外野、捕手などどこでもこなせるくらいのゲーム勘やからだのこなしが人一倍だった)は、いっしょにだけどそれ以上に体を動かしまくって、野球を楽しみたがっていることがひしひしと伝わってくる。
 だけど、契約とか移籍とか、本人希望でない場合のつまらなさ圧力も並みではないようなので、結局、市場原理主義圧が相当に働いてしまっている現場の要素もぬぐえない。
 巷感覚ではスポーツ系で実際に体が動くタイプ諸氏が集(つど)ってプレーに汗をかけば、それなりに熱気を共有できたりする。
 良い疲れ体験になりうる。
 ばくちのりに気持ちが持っていかれている状態の諸氏には通じにくいかもしれないけれど。
 それではプロではない、という諸氏もわずかいらっしゃるかもしれないが、たとえば野球ならば、その実力に応じた編成が可能ならば、プロも素人野球も変わらない。お互いが、その実力を引き出しあえる関係が成り立ちやすい。インディ500のプロレーサーの厳選と同じ。
 技に差がありすぎると危険だ。
 たとえUSの一面がやばいとしても、そこで生きまくる人々の多くは市場原主義に染まっているわけではないことに気付ける。
 でも埒外から参入を誘われ続ける仕組みになっている。
 そして超大国の事情だからグローバルに各国に影響が及ぶという仕組みだ。
 だからこその工夫が求められているとも言えそうだ。
 つまり適応して、その危ない方のプロを目指すことも列島の若者諸氏だって可能だけど、オルタナティブを目指してアイデア込みでの参入といっても既存の巨大条件を無視するわけにはいかないわけだけど、工夫してみる挑戦の有意義度合くらいは歴史が語っている。
 素人老人的には介護施設で働いて、(介護に関わる様々を習得しつつ)まず自分を知ることから出発してもらいたい気がする(年をとって、自分はそろそろそちらのお世話になる側だと息まける元気すぎる言論系諸氏も是非!)。


  たまには川柳もどきを
   川面シリーズ、早速追加は群れた、ニゴイ
   もひとつ追加で、不良してるわけじゃない、若者のヘラブナの群れ
   ヘラもニゴイもオイカワも、側面の輝きを見せたがる、のはなぜ
   涼は向こうからやってきた、今年も団扇一本
   猛暑予報でかき氷、夏日予報でアイスクリーム、暇な老人のひととき
   夏場、きゅうりのまるかじりは美味い、半分だけならばが年寄り事情
   残暑、餌の子オイカワ達と亀やスッポンが、寄り添っていっしょに暮らしている

連載は続く~SF掌編『福田氏に依る春日局』編


 福田千鶴著『春日局』('17 ミネルヴァ書房) p214 から

 春日局、辞世の歌二首

 けふまでハ かわくまもなく うらみわひ
  何しにまよふ あけほのゝそら
[漢字かな交じり]
 今日迄は 乾く間もなく 恨み侘び
  何しに迷う 曙(あけぼの)の空

〇何しに:なんのために、どうして、(反語的に)どうして
〇恨み侘び:恨みつづける気力もなくなる
・・・『岩波古語辞典』('74)
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にしニ入 月おいさない のりをゑて
  けふはくわたくおのかれぬるかな
[漢字かな交じり]
西に入る 月を誘い 法師を得て
  今日は火宅を逃れぬるかな


●今昔物語十三の三
くゎたく(火宅):欲界・色界・無色界の迷いの世界を、燃えつつある家にたとえた語
"我、長くくゎたくを離れて人間に来たらずといへども"
東大寺要録(天平勝宝四年)
 "のりのもと花咲きにたり今日よりは仏のみのり栄え給はむ"
・・・『岩波古語辞典』('74)

 いつかは死ぬをわかっていても、そのいつを今ほどには切実に受け止めていなかった日々としての今日まで。
 そして自らのこととして死を自覚している今日という日。
 そのそれぞれを歌にして並列効果を死の間際において"あそんで"いる。

 福田氏については、先日、NHKBSにて放送された綱吉エピソードの番組で知ったばかりで、この番組の立ち上げにも関わったと自称されている学者氏とともに、江戸期の一時期の詳細と関わる一端を指摘するようにことばを選んでおられて印象づけられた。
 もうお一人の学者氏はどちらかというと儒教系からの読み解きをこの番組では担うように登場されており、素人関心からは、人選間違いの感を持った。
 ここらは何度か指摘しているのですが、仏教系、それも藤原氏脈のなんらかが作用したそれとの絡みで、江戸期の趨勢と関わらせて語りうる人物と綱吉氏およびその頃を見ているので。
 進行役の学者氏は"綱吉"把握における開き始めた扉の数々という可能性をちらつかせることばを沢山発しておられたので、そのうち読み物的な専門家著作を読めるようになるのかどうか。
 一方の福田氏についてはネットにて、『奥向研究の現状と課題』から問題関心の幅を読める感じだ。
 素人読者的には、早速、図書館を利用していくつか目を通すことができた。
 或る種特定方向へのおさめ方を匂わせつつ、可能性のその先を閉じようとしない関心の持ちようくらいは、素人老人的には受け止められた。
 できれば、先の学者氏同様、綱吉の時代とその前後の数十年間のどよめきを一般読者も含めて専門知識をどっと持ち込んだ時代読みとして提供してもらいたい気がする。
 今どきのどよめきを追う"老人の視線"的には、イデオロギー系のことばをわんさか動員して今はとかかつてはとかでラベルを張ってわかった気にさせて今のあり様の合理性と可能性の辺りを納得させようとしている風について、660年画期の頃の、高宗氏や武則天氏らがことばにしたその当時の超大国ゆえの構えをあらわすことばたちと比べて、今がどれほどその後の試行錯誤を育ちとして経てきたのかちょっとぐらつく感じがする。
 各地の独自性や自発性の継承や育ちはかけがえのないヒトならではの営みだ。
 並行して、そこには他の視点からして過不足が当然把握されてしまう。
 それぞれが補い合い、補正し合い、次のステージを用意して、その上での試行錯誤を可能にできるかどうかという落ち着かせ方はとても大事なことのように思えている。
 戦争戦争で荒れていると、人心は自ずから同じように荒れがちにする。
 粗雑に流れる。指導層はそこらをいち早く感じ取って、軌道修正を図るかもしれないが、そんなことをずっと同じように繰り返していていいものだろうか。
 列島版の未完で進行形でもある中央集権化試行錯誤は、そこらへかなりのヒントを提供し続けているように素人老人的には思える。
 たまたま列島では波としてやってくる渡来系集団の営みが各地で育った。
 だから放置しておいてもそれはそれで自力で集団の営みの歴史を積み重ねることくらいは可能だったはずだ。
 でも、集団がまとまっていたとしても、思惑の様々の内側が同様に寛容に我慢強くとはならない。軋みを生じさせやすい。ないし、そういう歴史を一方に記憶として持つ大陸系、半島系の渡来民諸集団の中で、たまたたま倭国として大国から認知してもらえていると押さえることが可能になった人脈においては、今でいう藤原京近くに集住するようになって以後も倭国だからこそ半島系の小国たちとの独特な付き合い方が可能な辺り、列島においてはそれら渡来系が共存できてしまう不思議を可能にしていた。
 ところが660年の出来事が起きて、百済系の中に大きく二つの脈を生じさせた。
 列島の倭国を担う人脈の主流がなんと!?和睦を達成した脈とは別行動を取り後には内部分裂まで生じる残党の脈に加担して多くの犠牲を払う。
 対外的な大失敗だった。
 けれども大勢は、大国と和睦した主脈が生き残り、超大国の理念の通りに自発的に平穏に国を営むことを推奨された。
 その流れに乗って、列島は様変わりするきっかけとできた。
 半島でのように日々争うようなことのないようにまとまりを形成する試行錯誤に出た。
 大負けした百済倭国と名乗り続けるわけにはいかなくなったけれど、当面はそのままで倭国やの引き上げ兵隊たちを統率して、大土木工事を可能にした。
 プランの先には、各地に役所を設け、お寺も建てる。
 もともと自律的集団経営を可能にしていた列島各地だったから、まとまり形成の困難をいかに進めうるかが問題の急所になりうる。
 端折りに端折って、藤原氏プランの仏教理解の列島版を元に、争いごとを可能な限り回避しての国の経営を目指される。
 そこに藤原氏プランを叩き込んだ女性たちが大活躍する。それは江戸期まで、ひょっとしたら今日まで延々と試行錯誤されてきたかもしれないと素人からは想像しやすい。
 そして奥義を共有できた新規天皇を担った元呪術系でずっとやってきていた九州脈の指導層だからこそのノウハウを活かして、まとめ役を引き受けてきた。
 この両脈を持ち上げすぎることは多分失礼に当たる。しっかり明晰に計画的な作為に基づく事業だ。それに列島ではたまたま各地に集団の営みが育っていた。実に幸運だった。
 それらを平和裏にまとめておければ大成功だった。
 ところが古代列島では文字以前の諸地域を多く含み、地名が文字地名として落ちつきを持つことすら試練を伴わせたはずだ。
 そのためにかどうか、今どきの中央官僚層と同様に、生まれ故郷を超越した渡り歩きのような人員配置が古代からずっと試行錯誤されている。
 収入源、という性格もあるだろうが、他の性質も見逃せない。
 素人老人的には列島の実相のなんらかが今日においてより鮮明になったとしても不都合であるよりは、可能性を開けると察する。
 というのは若者たちのやる気に関わらせうるからだ。
 故郷を持ち、幼年期やその後の十年くらいをいっしょに過ごせた仲間たち、同世代経験は多層世代との濃い付き合いも伴わせるから、自ずからやる気に誘える(当然大人たちの付き合い方次第と関わる)。
 いきなりグローバルに活躍する人材とか言っても、映画が教えるように、むしろ危ない利害関係に巻き込まれやすくして、人格を壊す方へ誘われやすくする。ないし危ない人脈の手先と知らず知らず誘われがちにする。他人の大儲けのために、小金持ちにさせられるタイプ。
 戦時感覚で性別役割分担を明確化する強力な動機付けが働きやすいようにしておけば、余計なお世話の性役割分担論がまかり通りやすい。
 グローバルになんらか試行錯誤をはじめたいならば、平穏持続の条件付けも重要な一要素としうる。
 ただしヒトの営みのことだから、ワンパタンな持続は飽きへと簡単に誘われてしまう。考えることにおいても停滞させやすい。そこらを混乱ではない誘いかけを工夫し合えて、しかも放っておけばヒトの営みは軋みだらけで、コツコツ技を蓄えて新知見へと、などというのは埒外ともとられかねない。だからそこらはこれまでを踏まえて、工夫し続けることも求められる。
 教義というか、生活習慣というか、その含むそれぞれ性のどこらまでをお互い様で流しあえるかどうか、その包容力ということも、列島が試行してきた列島版仏教の"ほどよい"加減さタイプの締め付け要素性質は、多分、今どきの各国、各土地柄において参考にできそうだ。
 たとえば、財産を贈与とか工夫して、相続対策を済ませ、残った資産を自分たち一代で使いつくして差し支えない状態にできたグローバルなリッチ層の中で、宗教的縛りのゆるい土地柄で晩年の長期間を過ごしたいと思うなら、今どきの列島はうってつけだ。
 事前に住む土地柄の性質くらいは調べておく必要がありそうだけど、今どきは田舎でも個々の生活を尊重し合う風に傾いている。
 たとえ山奥でも列島サイズでのことだから車か空の便で人、物の往来は容易だ。
 台風・地震・洪水・地すべり・噴火(・竜巻)への備え方に熟知しておくことも老人生活には欠かせない。
 今どきの家電ほかの生活器具類は、完璧ではないけれど認知症老人でも安全に使いこなせる方向性をめざされているから、それなりに老人のみ生活でも列島生活を保ちやすい。
 ここらが肝心なのだけど、ある程度の支払い可能な人々に限ってなら、列島介護の世界も人が必要分採用されて面倒を見てもらえる、或る種のゆとりと環境が整っていれば列島の場合それなりの熟練が育つ可能性大。
 今どきのグローバル環境は地球統一国家の中心と各土地柄での自律的集団の営み群というあり様ではまったくない。
 各地の営みがあって、その中で選抜的にどこかしらがその大変な役割を担う格好だ。
 だから無理は言えないだろうな、と素人でも想像くらいはつくし、一方に、お互い様感を忘れてほしくない要素も持ち出せる。
 他集団が散らばって躍動しているという状態を想定できる場合、ある小集団におけるリーダーをことばは悪いけれど、ヨイショくらいは工夫の一つとして初期の段階では使いこなすと察する。
 どこまでやってくれるか他の構成員が協力しつつ見守る。
 経験不足の面が少しずつ各所で露見するようになる。
 でも皆我慢して見守る。そこをどう修正するかの辺りへの関心が働く。
 修正の仕方が下手だったり、修正すらできなかったり、間違っていることに気付いているのかどうかさえ不明な対応が続くような頃、個人的に近づきやすいだれかが、ささやきとして注意を促す。ヒント発信する。
 それでも修正の兆しが見えない。それが続く。
 関係者以外の視線にさらされている環境は避けて、問題を表立って事が起きたときに指摘するようなことが起こり始める。
 それでも問題の大事なところを気付こうとしないまま、問題の"伝染"が始まっている。
 たとえば別室、会議室、事務所などを選んで、強めに注意を促すような段階になる。
 受け止めるリーダーは既にストレスをためている状態なので、注意の内容が届くはずの強さを逆にストレス源の方でとらえがちにして、注意する相手の問題行動(リーダーへの反抗)のように見做してしまう。そういう問題として事業所の上層へ話が伝わりやすくなる。
 現場に無知な事業所上層のような仕立てだと、問題ははぐらかされて、他のだれかの問題行動として処理されやすくしてしまう。
 そういう現代的問題群も膨大な日常の中に埋まっている。
 大きな重層的組織ほど、果敢に潜入的監査のような手法が欠かせない残念な時期の一面も老人的には指摘できそうだ。
 グローバルには、使わないことで大中小暴力への威力として機能する核兵器という独自性を20世紀に発見できた現生人類は、限定的に持たせることに成功したことの半面として、その持つ諸国が弱小化して維持に苦労しかねない時にどう対応できる??という深刻な問題を抱え込ませた。
 現超大国と現(資源的にも)大国の旧冷戦の主だった面々が、やがて経済的な営みにおいて不利な立場に陥るかもという趨勢が見えたとき、使わないからこそ使えてしまう核兵器という戦争抑止装置の置き方問題浮上にどう対応できるのだろう。
 今どきの原発装置の危険性は事故で証明されている。だから核兵器反対運動も貴重だけど、その一方で実際的などよめきとして、使わないままにメンテナンスは欠かせない限定的核兵器の持ち合いの状態維持がいかに可能かについてのこれからの俊英諸氏の思索も重要と察する。理念的試行錯誤と実際的装置性に関わる思索は欠かせそうにない。

 そして列島版中央集権化試行錯誤は今になって、過疎問題を抱えてしまった。
 超大国主導のグローバルな営みの副作用の可能性大だ。
 まとまり感の手法にアイデアがドンつまりな場合、他の構成諸国においては、いつでも混乱の種が渦巻いていてくれた方が営みやすい。自国でさえ国内的には混乱の種作用を応用させがちにしているほど手詰まり状況なのではと心配させられる。
 でも列島を見てもらいたい。極端な民主主義的発想で、国を大事にするのが一番と息まくタイプは明治のお土産程度になりつつあるけれど(戦前の列島はむしろ江戸の記憶世代が相当に貴重な知見を残してくれたということでこれからも記憶されつづるはずだ。ただし切腹したがり屋的自己主張タイプとか陽明学系のおっちょこちょいタイプも含まれるから注意は要る)、戦国の混乱にもめげずにというか戦争する人々が密かに工夫し合ってとしか思えないが、ずっと住み続ける人々を絶滅するようなことはせずに、なんとか、中央官僚層タイプや、なんらかの機縁で移り住んできた集団や、地元でも動いた人々とずっと地元の人々が混成して、工夫して、今どきの自治体運営をこなしている。
 地元の慣れが、プライバシーということで発想される個々の情報の扱い上の繊細な要素をお手軽にしていたのを、いつのまにか気付かせるようにして、多面的に個々を尊重し合う試行錯誤くらいはこなせるようにしている。
 元々が中央においてすら影の実力者だった女性たちが、欧米化の中のごく一面を切り取って、"女性"を貶めたりしてきたけれど、今では、グローバルに、そこらに気付いて、女性だって一流でやってきたことに気付くようになって、春日局氏じゃないが、現役時代は火宅の人を強靭に滑らかに生きつくすわけだ。
 欧米系だと分裂させる夢判断を流行させたから、その回復には時間がかかりそうだ。

 

連載は続く~ SF 掌編『もぉー、いいかげんに、しょっ』編


 猛暑にコロナ騒動?!
 しかしそれが現実のようだ。
 コロナカゼは季節性を持っていないようだ。
 喜田氏は変異して安定的に侵入先を見出していける過程の難しさから、既存状態が環境条件との対話の中で選択的により勢力を拡大してしまうタイプが登場するという過程を実験研究から見出してデータ整理によるワクチン対応が可能な辺りを一般に紹介してくれていた。
 今回のコロナ騒動においてはあたかも喜田氏知見へ2点で挑戦してくるような形を採っている。
 報道の範囲では(だから報道内容における実際事情の説明に関わることばの精度や如何)、新種が次から次へと登場してくる。既存の中からではなくて、新たに登場した変異種という出方だ。それまで無かったところへ、僅かに変化したのが混じってきた的ニュアンス。これが一点。
 そして喜田氏の知見は新型インフルエンザ(ウイルス)に関するものだけど、今回のはコロナウイルスだ。以上2点。
 ここらの検証は、多分、喜田氏の説に寄せたほうで、マスメディアの啓蒙力量不足の辺りには直接触れることなく落ち着いてしまうのだろうな。
 他にも列島マスメディアの啓蒙力量ということでは、引っ張られすぎ、と素人にも気づけるタイプが目立った。
 とりわけ欧米各国は列島ほどに上手に対応していない的ことばをつい使いたくなるような推移を表ざたにしてきた。
 そしてそこらをその通りにほうどうしつづけてしまった。
 その結果が今時のコロナ対応に関わる姿だ。
 列島は比較的正しいことをしてきた・・・ということはつまり正しいことをし続ける圧が暗黙に働く。そしてわかりやすく正しさの定型イメージの添うように誘いがちにするものだ。
 いい加減な欧米諸国や、もっといい加減にしか対応できなくてかかり易い人々は大抵が感染して自然免疫をつけてしまった土地柄の現状は、忘れ去られたまま、欧米では、放置の間獲得してしまった自然免疫ゆえの強固な応用性を得て、なんとかしのげるようにしてしまっている。
 列島でもその初期から、もっと危険度の高い感染症でもヒトは伝承知をたくみに応用して、急場を凌(しの)いできた辺りはしっかりマスメディアを通じて何度か紹介され続けていた。それも過去のことのようになってしまっている。
 現場で活躍せざるを得ないスキルの持ち主諸氏は、感染症知見の限りを尽くして、自然免疫獲得作戦が緊急時には要る。そこらのごくごく当たり前の知見について検証に足りる挑戦をどれほどこなされてきたのだろう?
 しかも食って出して寝て起きる(ないし出して食って起きて寝て)ことは不可欠だ。
 だから食品類生産や流通に関わるスキルの持ち主諸氏も実はエッセンシャルワーカーだったのだ。
 ここを欠くと焦りばかりが先行しだして対処の上で長続きしない。
 司令塔諸氏だって衣食住を欠かすことはできない。当たり前のことだ。
 しかも緊急時が去って平常に戻ったとき(事情は平時へと急変してしまう)の衣食住のサイクルに過不足が生じるとそこでまた大変なことになりかねない。つまり緊急時に直ぐ次に来る大量の消費生活に対応できる備えができている必要が欠かせないのだ。
 正しいことの中味次第だけど、緊急時対応のそのごくワンパタンにだけこだわって一見成功したかに勘違いさせられて次のステージにおいて苦労してしまうというのは駆け引きを持ち込んで勝敗を競うことが好みの土地柄相手だと、同じように準備万端で応じておかないとおかしな正しいやり方へと誘われて失敗しがちにする。
 ただ素人老人的な感想として、統計のプロがたびたび登場していたのだから、自然免疫を偏った緊急時イメージの前提であっても、その条件の下、無理を避けつつの按配加減を過程と関わる数値とか計算式とかで提供してくれてもおかしくなかったのでは、と思える。当面の列島内各地ごとのエッセンシャルワーカーが何人、どういう働き方で居て、そのだれかたちが、仕事への影響をできるだけ避けられるようにして自然免疫を予めつけられるスケジュール作り。人によっては免疫をつける過程が体調に影響してしまう特異な諸氏もいらっしゃっておかしくないから、そこらはできるだけ事前に点検して、安全策とする。
 そうしておけば、既存ウイルス群との接触から生じた感染だから多くの検査によって知りえた変異種以外も含めた備えを既存にできる。
 既存からではなく変異種として安定的に作用できるタイプが育つのは並大抵ではない。
 症状が軽いのが急変してというタイプへの対応を怠らなければ、重症化以後の難しい対応が必要だった今回のコロナタイプへのある程度最善策としえた。
 残るは老人(一般というよりは免疫と関わる弱者タイプ)諸氏や、体調上免疫弱者に当たるタイプ諸氏。
 この人々へは接触が命取りになりかねない危険性を持つ。
 つまり今でもそうだけど、軽症が急変して(ということで大人(子供たちだってそうだけど)がいれば即気づいて対処可能)重症化のサイクルへと向きやすいタイプたちをどう扱えるかは、数的に無茶な事態とはなりにくい。(以前にコロナ治療に用いた薬品やワクチン接種した身体ゆえの感染後の姿という想定だってしておくことが求められる。後日、コロナ騒動の実態がわかってくる)
 軽症当たり前対応可能なコロナカゼの場合でも、新規の感染はそれなりの症状を呈することになる。その際の対処法を啓蒙できていることが大事だ。
 軽症症状の感染者が免疫弱者タイプ諸氏と濃く接触して移す、という事態が、インフル同様に困った事態を招き易い。
 免疫に自信のない老人諸氏は外出を避けるとか、行動制限を伴なわせそうだ。
 ただ医療用のウイルスすら通さないタイプのマスク(目・鼻・口まで覆う)を着けて外出という手もありそうだ。
 免疫に自信のない生活習慣病タイプの諸氏においても、同様。
 年をとることはだれにも起こる。
 生活習慣病は、個人だけのせいではないけれど、避けられないわけではない。そこらは国を挙げて機運作りが要りそうだ。会社の仕事のきつさとか、人間関係とか色々要素はありそうだ。
 子供たちは認知症の重いご老人諸氏さえも元気に活性させうる。
 だから子供と逢える子供好きなご老人は回復の機会を得ることになる。
 ということは、ウイルスを渡さない工夫さえ採用しておけば、かえって免疫状態には好都合ということだ。(子供をうるさがる老人に無理やり逢わせることはないわけだ)
 生活する中で適度に感染して、免疫条件をクリアして成人の現役生活をまっとうでることはヒトにとっては好都合な事だ。
 感染症!で慌てるのではなく、各専門家、事情通諸氏が短期に実用的な時間内において精査して、性質をつかみ、啓蒙できるところまで整理しきる実力を持ってもらうことが必須だ。騒がせてというよりは、いつものように、日常であっても不潔とかへの一定の緊張感を持っての接近はなんらストレス無くこなせる事態だ。新事態へ、できるだけ実用の範囲で平常へと誘える専門家諸氏ほかの活躍が求められる。
 騒がせるだけの知見の持ち主もプロだろうけれど、それだけでプロと見なすわけには行かない。


 外へ出かけると水分1リットルくらいは簡単に消費するくらいの熱気が充満している今日この頃、よくみかけるのが、ということで川柳もどき

  うだっちまうぜ!カラスもイヌも口を開け・・・子供や大人は(塩して)スイカをがぶり
  今夏川面を漂う魚(うお)たち マルタ、オイカワ(群れ)、ウグイ、コイ、メダカ、ソウギョ、クチボソの類
   ちとかわいそうとも思えたが川岸に上がったヘラブナ一匹をどう運ぼうか迷っていた小型烏(カラス)の姿
  毛虫少なく葉繁る桜並木 猛暑のツーリング そういうコースばかりではなかった
  だれもがエアコン全開にして、この暑い夏をやり過ごせば、体が重くなる方の生活習慣病がお待ちかね
  川原寺の件、660年画期から筋は読めそうだ
  白鳳仏、高句麗不比等光明皇后、福信、仲麻呂の事件後、高麗郷、プラス武蔵国分寺で・・

連載は続く~SF掌編『過疎化と時系列把握』編


 過疎化という問題は継続中。
 たとえ一人前に育てて世の中へ投げるタイプの個々尊重が働いていてもその故郷なりでのなりわいを得て、土地柄での改良も含む関わり方を人生と出来てきた時期もたっぷりありながら、今は、そうはなっていない。
 経済の営みがそのくせを発揮して自ずからそうなってしまうのさ・・ということなのだろうか。
 列島独自の趨勢なのだろうか。
 相続ということの内実をとことん突き詰めて性質のリアルをあばくような研究・探求を欠いた時期的要因というのがあったのでは・・ここらが素人観測になる。
 観念としての含みが継承され続ける中で、形だけ、形骸化させてしまう。
 長男だから・・とかだけで、他は出ていくタイプ、だと、それなりに齟齬を生じさせやすそうだなとある程度簡単に想像できる。
 土地土地の人脈が好作用して就職の機会が人生の歩みとともにのような事態を誘いやすくすれば、ぐれたりする機会もいつの間にか過ぎ去った戸惑いの瞬時程度のことで流れ去る。
 ヒトの観念系が既存のしくみを規定の重さ度合として据え置くように仕向ける傾向を持つと想定できるなら、今見えていないけれど他では十分に可能性含みに機能していることはイレギュラーな事態だし、今見えてしまう可能性ということも既存でないということで、当人にとっては一歩踏み出すことすら自らの観念系とすら反発し合うような経験となるはずだ。
 社会改革の脈々はそこらのヒトのくせを汲み取って、ばらけさせて必要な集合へといざなうことを試みた一面を想定可能だ。
 ただ惰性ゆえにしぶとく世の中の営みの苦難にも打ち勝って持続的な努力の辺りも普通のことと意識できてしまうような"不思議"をとらえ損ねて、過疎化への趨勢に加担してしまった方の可能性を想定もしやすい。
 資産をいたずらに食いつぶすような試行錯誤タイプでは困る。といって試行錯誤はいつでも必要だ。
 そこらをめぐって伝統的な集団の営みの各地、各土地柄の諸条件に応じるタイプでの制約を形作ってきたと大雑把な言い方は可能と思える。
 それを足枷(かせ)・手枷と大げさに受け取るか否かはそれなりにその後の展開に響かせそうだ。
 江戸期における試行錯誤のその先については、わからない、としか言いようがないのだけど、英米流により寄り添った近現代化というグローバルに局地的に散らばって生じてきた趨勢のみでは、過疎化は加速してもそれの代替はなかなか生じさせられそうにない、と素人老人は見る。超大国イデアとかがあるとすれば、そこにはなんらか欠陥を含むことが今になっては明確になってそうだ。
 しかも情報授受の諜報ネットワークを高密度に機能させて各部門の中枢に近ければちかいほど各人において(人事や給料査定やと)疑心暗鬼を生じさせやすい事態を招きやすくしてしまうという決定的な欠点も多分相当に働かせてしまう。
 隠して統治とオープン基本もちろん隠し味込みで作戦では相当に世の中の出来方に違いを生じると、表現としては大雑把すぎて、諸氏においては一体どういう営みになっている事態を指しているのか?と疑問を持たれるかもしれないがここは不親切を通して、このまま流す。

 ニュアンスを伝えやすい時系列で見ると実に参考になる事例を今日のニュースと昨夜かおとといのニュースかで知った。
 集約的に表現すれば、見誤った、という事態。
 ウクライナでの現出来事については経過順のいくつかの要素を引用的に指摘させてもらっている。
 超大国 US がなんとネオナチを国際的諜報工作利害の都合からウクライにて使ってしまった。そのネオナチ人脈はウクライナでは中枢人脈にまで育っていた。
 ロシア系のウクライナ国民には辛くあたる勢力と化していた。
 で素人老人にはわかりにくいUSとロシアとの駆け引きが戦争へと誘う駆け引きを濃くして、戦争は始まった。
 精度も破壊力も桁違いのロシア製の兵器をもってすれば、ひょっとして短期間で戦争状態は解消してしまう、とUSもロシアも考えた可能性が大、と素人はニュース情報から想像できた。
 ところが、ウクライナの大統領は政治に関してど素人もいいところだった。戦争ということのリアル感を欠いていた。言い換えれば酷く野蛮だった。
 で精度の落ちる兵器を猛烈に使って対抗に出た。
 だから欧米から高性能なつまり狙ったところを外さないタイプの兵器をもらってからのウクライナ軍とはまったくことなる野蛮な戦争で応じる事態が生じてしまった。
 ウクライナ軍が大綱の措置という大儀の下、ウクライナ人の犠牲はしかたないというしてロシア軍へ向けて攻撃し続けた。
 そのころのロシア軍の攻撃の結果はニュースからもわかる程度の精度を多くの現場で発揮していたと想像できる。
 が、USが制裁の具体的な手法に含めた精度と関わる部品の調達を困難にする制約が、戦争をはじめて双方が引くに引きずらい時期になって効果を表しだす。
 お互いが攻撃してその際、ウクライナ国民一般の犠牲を伴うようにした。
 そしてウクライナ軍に精度のよい兵器が提供され始めると、ニュースの通り、ウクライナ軍がウクライナ国民一般を犠牲にするタイプの攻撃は激減する。
 時系列的に少し戻って、ウクライナ軍が精度の落ちる兵器でウクライナ国民一般を犠牲にしているというニュース報道が機能すれば、戦争が想起に終結した可能性も指摘可能だ。
 戦争に情報統制が組み込まれて、欧米発想でのどちらかについて応援しなさい圧が機能しやすい世の中だと、こういった事態の収束へ向かわせる応用力の一端を減じさせる。
 未だに近過去の超野蛮な攻撃に出てずっとそうしていた現ウクライナ大統領のままだ。
 どちらかにつけ圧作戦が機能している間は、頑張っている(ウクライナ)大統領像で通せるけれど、戦争自体の趨勢ということでは、込み入ってしまった現状のはるか以前の頃での、判断として、リアルに検証されることになる。
 そして現状ということでは、精度のよい兵器で攻撃を続けられるウクライナ軍と欧米メディアが当時の野蛮な兵器による犠牲のリアルを伝えなかったことに腹を立てたかどうか、精度がいまいちのも混じるロシア軍との込みいった戦争状態となっているようだ。
 時系列から察するに、ネオナチ勢力退治に欧米は、ゼレンスキー氏の政治的無知とか野蛮さというリアルを見誤って、ウクライナ一般国民の犠牲をほとんど生じさせない短期解決という過程を実現しそこねた。と広瀬本読者発想からは憶測する。
 ここにはマスメディア機能の使い勝手の問題を控えさせている。
 国際的紛争を避けられないとして、犠牲を生じさせないやり方が可能になっている時代であっても、事態を構成する主要な人員のキャラの把握を怠ると、犠牲をともなう迂回路を生じさせてしまう。
 表向きのストーリーと裏のストーリーを使い分ける旧態の手法は現ネット社会でのリアル把握力との間に齟齬を生じさせやすい。だからオープンに適格に情報を整理して混乱に誘うことも抑制できるタイプの手法への移行は大切な要素だ。

 列島での必須の要素とも関わるのだけど、底上げが要る。
 ニュース報道では、再就職支援を応援できる具体的政策が提案されていた。
 ここらは、有効需要にも直結してくれる安定的に稼げる人々の層的な裏付けとしうる。
 再就職しようにも手に技能がないし・・何についたものかなどなど不安を抱えている諸氏がきっと大勢いらっしゃる。そこへまず技能を身に着けることでの挑戦の機会が経済的苦境を邪魔としない条件で可能になる。数えられる程度の数試す。自分にはどうやれこれが向いているかもというケースがありうる。ないし、技能を身に着けては再就職を試し、現場感覚から、自分の適正を補正しつつ、いくどめかの挑戦で、ここに落ち着こうとなるかもしれない。
 就職できた現場の多くは、今でも、現場に年月をかけてなじんでいくことで事情通にもなり自らが関わってそこが成り立つ実感を得やすくするし余力があれば改良へと打って出られるような立場も不可能ではない。
 介護現場の問題は、機会を見てふれるつもりだけど、そういった新人諸氏が試行錯誤できやすい先達が育っている現状と多くのところがいいずらいのが多分リアルだと察する。
 知ったか系が煩くしてヒトの育つ過程の芽のところを摘んでしまいがちにするわけだ。
 そこらを含めて機会を見て。
 で、通常の安定的収入構造の中にいる諸氏ならば、景気・馬鹿げあ物価上昇と同調させた一時金(退職金計算にどう組み込むかの応用話も必要)払いでなんとか生活水準は保てそうだけど、そうはいかない人々を意図していない層にまで広めてしまった経緯を列島は持つ。
 或る種の自由を欲して、終身雇用の形態に組み込まれることを意図して拒否した層も実際にいたはずだ。けれども、そうではなく、そういった移ろって就職機会を得るタイプの人生を想像すらしていなかった人々までが就職機会の得にくさから、その志向性からして不安定性と受け止めざるを得ない就職のあり方を受け入れるようなことになって、生活のリアルとして貧困の状態をかかえてしまう、そういう、列島の特殊な事はできるだけ早めに解消して上記と同様に経済的にはしっかり有効需要を発揮してもらって、しかも納税者として活発に人生を謳歌(おうか)してもらうことで、元気な老人たちが満ち溢れている列島のある時期が可能になる。
 そうなればそこらのおじさんおばさんのりで介護仕事について、ストレスに耐えきれずにトンでも介護に走って、お互いがばれないように隠しあうタイプのやばい介護施設化も元気な年寄りたちがいざというときには団結して外部の知人友人親類縁者の加勢も得ながら(死人が出る頻度とか(知りたい側がとことん疑問解消になる詳細)死亡原因とかからある程度の質を測れる)暴虐介護現場担当諸氏へ筋を通させて、危ない度合いをかなりの程度抑えておけるはずだ(これも機会を見ての話だけど、家族とか関係者が警察とか消防とか倫理の厳しい公務系として、或いは熱心に新人深く宗教布教活動をご一緒した関係者の家族だったり親類縁者だったり知人友人だったりの同じ人脈だったりが介護担当の現場にいたところでそれらはなんの役にも立たない(元気なころには気付きずらいし)し、かえって言いそびれたりでストレス源ともなりかねないし、うんざりさせられてか逃げの投薬に誘導されたことによる死期を早めることも珍しいことではない)。
 しかも多分、グローバルに介護の達人技が達人にしかできないことだと勘違いしたままで(NHKの放送からもおおまかには気付けるように伝授は十分に可能、教えじょずを沢山育てて各地でいつでも習得できるようにしておけば、いつか実(みの)る)、ひどい介護現場が成り立ちやすい状態ではないか、と時々報道されるより工夫した介護施設のケース紹介から素人推測している。多くはそうなのだから老人諸氏よあきらめなさい、だとこれから年を取って老いていく、頼りにしたい現役世代への示しがつきそうにないと思える。

連載は続く~SF掌編『中央集権化を試みる際の留意点など』編


 純粋型の自由は・・、純粋型の民主制は・・、ととりあえずその目指される収束域を想定できる概念については、多くの場合、実際的ではない、暫定的に押さえておけそうだ。
 またある時点で構想しうる世の中のあり方、集団形成のあり方について、これぞ答えとたどりつけていると思い込めている集団の営みがありえたとしても、今の時点での考究の成果としては、軽重とか測れる尺度を持ち込めるか否かに関わらず、その尺度に乗せて判断して見せることが、そのうちのどれかを全体として選ぶということの指標にすることは不適切であるくらいが指摘できるようになっている。究極どう相対的に適切なのかの判断は、大抵の場合、実際的な時間内では解決しえない。ないし、ゆずれない頑固さが後々集団の営みにとってはより相応しく受け止められるようなことがしばしばヒトの営みにおいては生じがちだ。
 産業を育てて工業化の先には、だれもが適度に働いて、相当に暇を持て余すほどの生活が可能になりそうだ、との判断は、今どきの視点からして、無茶そうだ。ヒトを忙しくして、より忙しくすることで、多くを支えあえている。そしてわずかの余力を便利ななにかしらを使うのに費やすようにしている。
 ヒトが一生の間に様々を習得出来て、それを伝承させることで、世代越えでの余力を生んできた事象とは好対照な事態とも映る。この話はまた別の機会で。
 とりあえず純粋型の自由や民主制は、実際的ではないとハッキリ共有できると想定し合えるはずのことを押さえておき、更に、人々の成す集団の営みも、それぞれの家庭ごとの習慣をいかに尊重し合えているか、しかも集合性において、好循環を達成できているかどうかなど少々の検証をしてみるだけでも、それぞれの自発的エネルギーを基本において尊重し合えることがなによりもより大きな集団性を支え切る大本らしいことに気付けたりする。
 そこらから、いきなり中央集権化へ向けた試行錯誤ということばの群れを持ち出す前に、各人なり各集団の営みなりが思念する"こうあったらいいな"的営み上のビジョンなりを無理やり他の営みへ強いてどうなる?という疑問は恐らくかなりの頑固もの諸氏においても想像くらいはできると察する。ただ接しているだれかたちにとってはより切実な事態かもしれない。距離をおいて、そこらを懸案としてどうこうできる人々は、まさに距離感をもって問題を扱えるけれど、身近に軋轢を生じさせて、どうしましょう?!と戸惑っておられる諸氏においては、どちらか一方からするもう一方への順応なりを適用させたくなっているかもしれないが、この程度の想像事例からしても、棲み分けの巧みが必須な辺りには気付かされる。
 ヒトは多くを学んできて荒々しく民主制のなんらかを形にしてきたと自負する欧米系諸勢力においては殊更、その勝ち取ることこそが学びの機会となるとか思い込んでその思い込みの急所をつい啓蒙させがちだったかもしれないけれど、そこらも更に学んで、今どきは社会学者系が以前から発していた包摂概念へとたどりついているように素人の老人からは察せられている。
 18、19世紀の試行錯誤を経て、20世紀のある時点から超大国の位置をUSに継がせることにした諸勢力の企みのことは、そういうことだったはずだ、ということでここは受け流してもらいたいけれど、善悪あれど、USからはいつでもごく少数ながら20世紀の超大国が含ませる理念のいくつかを表向きの法治の網目に収まりきるか切らないかなどに躊躇させられることなく理念の試行錯誤としてオープンな発信に加担してきてくれたおかげで(ということは、これからの有力勢力は当然、ここらを生じさせうる理念も継承させ続ける必要があるということになる。表向きにしつらえた法治とその表現型のシステムがそれらを受け入れがたいと見做すような制約を露骨にしているとしてもそれら"勇気"とか"元気・活発さ・沈着さ、臆病・弱小でも通用する営みのエネルギー状態"が、オープンな受発信へと誘(いざな)う)、20世紀の超大国USの国家的利益に適うからということで、傍若無人なことをすることは、追々無理として忌避されるように誘いこまれる(何度目かの引用になるけれど映画の『イコライザー2』でのエピソードのようにヒトの営みに欠かせない測りがおぼろげにされて、他人を傷つけてこその商売人になるようなエリート層がそだってしまうかどうかギリギリの行為が人々の知らない諜報の世界で乱打されていることに気付かせてくれた)。実際に進行してる事態をめぐることばはこんがらかってしまってわけのわからないことになっているのだけど、今騒がれている局地の戦(いくさ)が招いた副産物の影響は地表面の経済の営みに限っても大変な付加的な迂回路を形成させてしまっていて、各地が費用負担に喘ぐようなことになっている。
 列島に限らないことだけど、同様のケースがUS国際諜報用宗教団体利用に乗る宗教団体問題だ。麻薬系が主に情報や人事上のフィルターに使われているとしたら、こちらは情報収集や人事上のフィルター役ということでは共通してそうだけど、宗教経営という特殊性を活用しての収益利用も可能にしている。そしてそれはあくまでもUSの公務系のネットワークでの営みだ。表向きはわからないけれど、既知の知見からして、us諜報利害に乗った公務系ネットワークの一端として扱える。
 だからUS諜報系の企みが相当な荒業を容認している時期ならばそれなりの悪業もこなしてしまう。けれども、USの公務系末端だから指令の内容次第では国際政治に貢献するようなことも為せるわかりにくい一面も有すると想像くらいはできそうだ。だから各地で各部門に食い込む努力を惜しまない、けれど、きっと各土地柄においては迷惑な諜報介入のはずだ、と老人的には推測させる。
 歴史の重みとして、現地表面を構成する主力も多くをかなり学んできている。
 だから一般が軽く想像できる共存発想に少しくらいは近いところでことばをかわせそうにも思える。
 コロナ風邪の熱とかインフルエンザの熱に似て、政治熱も多少は唸(うな)らせる。
 自分たちの考えに構成員全体を染ませたい!!!とうっかりすると自らが強いて思い込む。
 でも今どきは多くを学んだ諸氏であふれている。包摂概念だ。
 とりあえず、排他性一辺倒の指向の持ち主諸氏でない限り、ある程度の棲み分けの可能性を探り合えることに時間を費やすことには反対はないと想像しやすい。
 理念的にそう考えられる一方で、この瞬間にもヒトの持って生まれた活発さが、たとえば物やサービスについて地表面すら所狭しと網の目の動態を経巡(へめぐ)らせている。
 ズルすることを制御することも可能な限り法治の下に置こうと弱小国を含めて試行錯誤中だ。
 超大国の"知って何ぼ"の心配性(しんぱいしょう)が各地へ浸透させた諜報ネットワークゆえのわるさに悩まされてきたけれど、その情報のオープン化試行錯誤も可能なはずで、より抑制的な諜報網と各土地柄の自助努力の連係ネットワークでの代替ということだって十分に可能になると想像くらいはできる。
 そこらがクリアになってくると国際ニュースでの視聴者の受け止めも相当に変化する。
 口には出せない諜報をやる方とやられる方の困った状況をどちらの味方かで言葉の使い分けが為されがちだったニュース報道に、ちょっとだけわかりやすい状況説明のことばが適用されやすくなる。
 広く、こっそり、ファン心理を病的に醸成する手法が20世紀の特徴として後世においては説明的に為されそうだけど、芸能やスポーツについつい視聴者の立場だとだれかしらのファンとして近づいて、対象の勝ち負け的な位置関係に関心を集中させがちにして、心を揺さぶる練習を日々、時々刻々摘みかさねて何年めいた人生を送っている。
 関心事については、構成の要素に敵味方をうっかりあてはめて対してしまう。そして応援していたりする。勝ち負けにやきもきしてしまうわけだ。
 でもそれは20世紀の遺物だ。そうやって冷戦を支えさせた、エリート層の中の単調に信じ込みやすい連中の暴走をそれで吸い上げて制御させてきた。相当に酷い事態だった。
 包摂出来ることは良いとして、ヒトの日々は、つい、ぐちったりもしてないだろうか。
 するとやはり捌け口もそれなりに必要と集団の営みのテクノロジーは必ず考えてしまうはずだ。
 テクノロジーの技能がそれらを平穏へと誘えるなら、それはそれでたいしたものだ。
 だから包摂する力量をもった人材が沢山育成され、その中から政治的な力量で束ねる方で活躍するより多くの人々も育つ。
 けれども、ヒトの集団の営みの多様の観点から、とりあえず聞き役が必要になる懸案を嗅ぎ分けて、それら暗黙の政治の中で、ガス抜きしつつ、落としどころへと誘うタイプではなく、ある程度の知見との接合を試しながら暫定的多様の現時点のリアルくらいのところまで肉体的性も伴う議論の場とかが活性して、一応、各人において腑に落ちるかも程度の落ち着きが可能になるタイプが営みとして形成できていると、包摂的試行錯誤の常態が上げ底ではないタイプとして動きそうだ。
 グローバルに向けて、自由を目指そうは、成り立ちようがない。純粋型の自由はまったく実際的な使用には耐えそうにない。
 同じく民主制もだ。
 けれども、各土地柄や更に細分化して、ちょっとしたヒトの集まり方の状態の性質の様々に民主制の具体性がそれぞれとして生じうる。自由のあり方もそうだ。
 法制で決めるそのやり方が思い込めている諸氏がこれぞ普遍的とまではいかなくても一般化可能と見做せる事柄が、他の伝統において代替的ななにかが埋め込まれていると言うことの知見は人類学が結構今日においてはフォローしてきたのではないか。
 一方からするそれは野蛮だと見做される事柄を歴史の観点で押さえると、そんないきさつがあったのか・・・で絶句するようなこともあるかもしれないけれど、相互理解の可能性も開けてきそうだ。
 ヒト一般がついそれを聞いて、見て、似たように反応してしまうんだよね、的知見もかなり積み重ねられている。それの悪用も可能であれば、ことばを異にする人々がとりあえず交感してみることで使って、ちょっとした落ちつきの時間を持ち合えたりするかもしれない(難しかったり、実に簡単だったり)。

 こう考えてきて、列島版の中央集権化試行錯誤の歴史を振り返れるならば、20世紀の超大国を任されたUSが理念に含ませるオープンな立ち位置をごく少数が勇気とともにしか行使しえないできたことの制約が、中央集権化試行錯誤にとっての必要な時間の足りなさにありそうなこともうすうす気づけるように素人老人には思えるがいかがか。
 お隣中国というずっと(超)大国できたのに、なぜか中央集権化では未だに苦闘しているのはなぜか。
 EUが上手くいきそうで問題を抱えたままなのはどうしてか。
 まとまりを試行はしてそうだけど、各国版のところでとどまっている諸国が、だけどとにかくその枠内での営みを支え合っていらるのは不思議なことなのだろうか。
 既にの条件は上記の通り、超大国が余計なお世話要素も含めて諜報のネットワークを敷いて情報収集に余念がない。だから各国版の自律性といっても、純粋に自律性を試行錯誤しているわけではなさそうだ。
 列島では神ということばを持ち出すことが適切ではない可能性大なのだけど、各地や各血縁集団や各地縁集団やがそれぞれに神っぽいなにがしを象徴的に使いこなして自然現象に圧倒されすぎず、集団のタガが外れすぎないようにとか、逆に自然にヒトが溶け込めるサイエンス知見ではないけれど共有する知見の束の収納庫のようにして尊重するようにしてきたことが、自ずと自律的集団の営みを可能にしていて、しかも個々性の尊厳へのまなざしを生き物個々性への視野から当然導き出して、それなりの社会的営みは可能だった。
 けれども、集団の営みの共存の放置がそのままの自発性では収まらず騒乱を招きやすいなどの想像から中央集権を積極的に目論む勢力も時々湧(わ)く。
 そうこうしてきたところへ、たまたま660年の契機を得た列島では、ある程度まで渡来人コミュニティが分散的に自律的に経営されていたのを、中国の権威を借りた九州系が、内輪の問題からそれまでの半島勢の来訪すら可能にした権威の元となる倭国を名乗りにくくして、リーダーも仏教に目覚めた元呪術王という体裁ではなく、天皇を新規に名乗ることにして、国も日本と対外的に名乗ることにする。全国をめぐる古代ハイウエイを土木技術と集団束ねのプロたちをたまたまその時期には使えて、短い期間で多くを成す。
 中国は大国なのになぜか易姓革命を地で行くため、知見と経験の継承性に弱点をいつも抱えた状態だ。
 列島では、そういう中国を後目(しりめ)に、渤海新羅ともそれなりに往来を持続させて、大乗以前の心身の基礎体力に、大乗の仏教を意識的に"政治思想"としても取り込んで営みの形式は大国を換骨奪胎含みで模倣させてもらえた。
 けれども、書類の山が出来るタイプの官僚組織が自動装置として回転するまでには相当に時間を要することになる。
 遅刻、怠慢当たり前のダメ男たちに代わって実力発揮可能な女たちへ向け紀貫之氏は、文字使用の堰を切る。(ここらは藤原氏利害も濃厚だとしても)
 流されてかえって超有名になってしまった菅原道真氏などは、中央集権化への試行錯誤初段の残骸を編集して、つまり光仁桓武の時期を経た古い文献から万葉集を編集してのける。
 頑張りの時期の藤原氏は冬嗣氏のような万能の人物を生み出している。
 ができるやつらが頑張っても他が付いていけるかどうは別だった。
 各地の自律性と中央集権化案(奥義)の消化度合が異なるいくつかの有力勢力のせめぎ合いを何も知らない勢力が勢力争いのようにしか受け取れずにどこにつこうかなどの思惑を膨らませてしまうのも仕方なかった。
 だから列島で、19世紀の超大国UKと20世紀の超大国USと密接に関わった一面は良い作用を誘う。一応UKはそうだけど啓蒙の知ることが出来ること理念(イギリス本国での学問の発達)は情報についてのオープンな流通、知ることについての尊重など、宗教布教圧に苦悩する体勢を潜めさせていた江戸期の情報面での構えにとっては相当に新鮮だったはずだ。
 それが列島20世紀半ばにおいて、一応の風通しのよい方へ誘える条件づけくらいにはなったように素人観測にすぎないけれど、指摘させたくする。
 人為での試行錯誤の先端役を引き受けた仏(フランス)とは江戸末の偶然を除いて、人脈の広い藤原氏脈は怠らなかったけれど、現仏と並行するような試行錯誤には乗っていない。
 ただ世界各地において中央集権化の試行錯誤がいかに難しいかは今の姿から察するとよい。
 各地に自律的・自発的集団の営みが息づいてくれていて、しかもまとまり感の方も共有し合える動態ということの成しづらさ。
 たまたま列島は、各地に半島以来の神々との付き合いの多様をお互いのものとして尊重し合いながら列島渡来後も各地に棲み分け、段階的渡来についてもある程度乱闘の酷いのを避けながら棲み分けて、しかもその前提をまったく制圧的に改良するのではなく中央集権化を試行し始めて、しかし、奥義の共有と自発的集団の営みの並行利用という明確な知見としての応用を欠いたために、各地勢力と地元じゃない勢力が各地に出張して入り混じる中での中央集権化試行錯誤のような様も出現させて、それなりに江戸期の辛酸努力のような過程を挟んで、20世紀半ばを迎えることができている。だから、勘違いして思い込めている諸氏にとっては、まったく欧米化の偏った理念染の戦後のように反発したかもしれないけれど、それ以前の長年月を打ち消しようがないから、欧米の短い試行錯誤発想からは野蛮に見える八百万信仰タイプのアニミズムとして馬鹿にする風習も中にはあり得たかもしれないけれど、そこらは人類学他が活躍して後の今だから、まったく問題はないと察する。
 そこへ最近ネット発信でわかりやすい表現と思えたので使ってしまうけれど、列島仏教の一般にとっての体感は、心理的にも精神的にもしばりつけてこない、むしろ神だのみは、悪いことに旅立つときにも使われたりまったく、欧米の建前上の"生真面目さ"からしたらトンでもなんだけど、もっとずっと深い理念の含みのあることは人生経験豊富な諸氏が普段のことばで説明してくれそうだ。
 とりあえず、列島という範囲において、中央集権化を中国思想ととの長年月にわたる付き合いを意識できる勢力の影響の努力において、また共存可能性を探ることを面倒くさがらない列島の人々の棲み分け観において、明治が始めた欧米流の統制型国民国家試行錯誤からより欧米が試行錯誤してきた開明的啓蒙の線での近代国民国家の仕組みの学びなおしを経て、恐らくは各知賢において自らの持ち物の(平和下時間的余裕から)再点検が可能となって整理しなおせば欧米流も中国流も併せ持つ列島流の可能性に気付けるタイプの思考がなんとか起点を持てた時期を成し、今日ということで、中央集権化試行錯誤にはなにが不可欠化を整理できそうな段階だ。
 そこらを踏まえられるなら、列島での戦国時代は他国の諜報網によるかく乱が介在したとしてもなんとかやり過ごして、各地の自発性を保ちつつ、中央集権のまとまり感も漂わせながら動態へ身を任せられる。
 現欧米諸国の場合、あるいは、特権層を作ってしまったロシア圏では、まったく列島での経験からわかった事柄だけに注意して順を追えば中央集権化の試行錯誤は良好にはかどらせられる、ということにはなりそうにない。
 列島の場合だって確かに裕福系とそうでない系が並存している。だけどお互い様意識はそれなりに継承されている。それが即、欧米系がイメージしやすい民主主義っぽさを発揮、表現型を持つとは限らないけれど、いつでも可能態としては動いていそうだ。
 無理な助け合いをしないかわりに、結構、なにごとかに応じて助け合ったりしている。
 どさくさまぎれの盗人が派手だったらしい事例もちらほらするけれど、基本、そういうことを避けるのが列島に住み慣れた人々の継承してきた気質だったりする。
 そこらは多分、諸外国から観光にやってきて風光明媚にうっとりしつつ、ムードとしての生活空間観での不思議体験の要素じゃなかろうか。欧米でも根付いた土地柄、落ち着いた土地柄を成した人々の土地ではそういうことが多分育ちやすいのでは。
 列島でも大勢として落ち着かせたのは江戸政府初期を構成した人々だ。そして多分気付ける諸氏には即感応されるはずの群馬県館山氏(国道50号線域に含まれる)の人物が仏教の線で強烈な試行錯誤を為す(相変わらず列島版の女性の実力発揮ラインが鮮明な大奥人脈がらみだ)。
 一方で、列島事情を知ってか知らずか宣教圧が猛烈ということで身構えることを暗に強いてしまうイレギュラーともご一緒の時期を経験する。
 列島の人々における学(問)習欲旺盛なことは不幸な事例を含むとしても、シーボルト氏との交流の様はその良い事例だ(ついでに群馬の和算算額事例は有名だったりする。関孝和氏は児玉だ)。
 グローバルに、或る種の平穏だけど学術用語的な意味での遊びと関わる刺激的な環境を併せ持てておれば、各土地柄に応じて知的な関心が育つし、満たされると想像できる。
 今の列島は、文庫本が少し前の書籍と同額で流通している。
 素人老人はどういうわけか、文庫本は安いと自他ともに認めうる値段の頃に文庫本になった専門書というのを読むことができた世代だ。
 今どきの若者は余程裕福なのかどうか。公的な図書館がそれなりに蔵書は豊富で、ざっと目を通すくらいのことには大変重宝するけれど、手元において時に参照という使い方には向かない。
 少し前に理想のように受け取られそうなことを指摘したように、書物の膨大量のその一冊一冊のすべてが必要というよりは、適時、より相応しい整理の出来る著者たちが資料性を更新し続ける。その更新の内容が、検証の要所に明確であれば、あるほど、迂回路を短縮できる。
 古墳の年代測定は多分、今は脆(もろ)い。
 同じ年代とされる物がいっしょだから、というのは間接的過ぎる。
 物の性質からとりあえず、(一桁かせいぜい二桁誤差の範囲で)年代をはじき出しておくことが最低限要る。
 最新の手段でくまなく測定をしなおした方が資料としては落ちつきがよい。
 ひょっとしたらそれで当たらな知見が出てくるかもしれないという期待を持てる。
 グローバルにも各地で労力の許す限りで、そこらをこなせると、基礎資料の共有という事態に近づく。
 ネットが使いやすい幸運の時期ゆえ、その応用可能性は相当と素人老人でも想像できる。