連載は続く~SF掌編『ときどき介護(を営む際)の話』編


 いろいろ企みを豊かにする諸氏においても、一般の膨大な人々においても今時の出来事からして、とにかく忙(せわ)しない日々を送られているのではないか、と想像する。
 多少急がなくても済む束の間と忙しない日々を繰り返す人々という境遇にとっては、とてもじゃないが介護理念が含ませるヒトの関係性に感応しつつ介護を引き受けられる心身、なんていうことを想像することすら無理とか苦痛とか、そのうちにの類、とかで流したくなってしまうと察する。
 お互い様のある状況を心身として表現型にもっていけることはそれなりの失敗とかを重ねて、ケースバイケースでの対応力を身に着けられるヒトにとっての場面かもしれない、ということでは、普段の生活を直結できるようで出来にくい分野と言えそうだ。
 だからといって、だれもがそこと関わりうるから、できないこと、無理なことを強いられて、ダメ技で応じて介護理念とは遠いところでお付き合いがせいぜいのような事実を受け入れざるを得ないな、と落胆することもない。
 それなりの段どりを踏めば、自らとして技量は身につく。ないし、他人に任せることもできないわけではない。
 仮に、後者にもう少し希望を持とうとした場合のことを、少々。
 ストレス源といっても様々だし、人それぞれの面も含む。
 ただ夜勤というか夜中、ずっと目を覚ましていないと仕事にならないタイプの介護の仕事の性質は、口出す人々が少ないとしても、かなりのストレス源になっている。
 人事上のシフトでの就業時間帯配置への工夫によって休憩1時間込みの9時間就業が可能になったからと言って、ヒトの体にとっての夜間ずっと、はきついものだ。
 慣れは、睡眠リズムの狂いへの慣れに通じることと実態上同値だ。
 だから、医療部門にしろ、介護部門にしろ、夜勤は辛(つら)いものになる。
 けれども生き物であるヒトは24時間をずっと人生分繰り返すのだから、夜間も介護という観点において特別ではない、連続した日々の一こまだ。
 そこをだから、だれかが担う。ロボットに任せるとか監視装置経由でのヒトの仕事にしようという試行錯誤は今時の一面だ。
 ヒトが最晩年の変化の過程を他人に委ねているのが施設での介護の状態だから、その変化に応じられる介護する側の条件が整っている必要を指摘しておける。
 夜間はだから、だれかしらが必ず担う。
 現状は、雇われた時点で、多くの場合、それも業務の一つとして(先ほど指摘した)シフトに組み込まれる。
 そういう働き方を選んだだれかにとっては、介護仕事の日々は、時々日勤、時々夜勤、時々その中間帯のような感じになる。
 同じ夜勤といっても、給料支払いとの絡みから、実質二日分を働いて夜勤明けの日と翌日を休日にするやり方や、日勤と同じ9時間働いて、週休のどれかで休日を得るというやり方やが機能しがちだ。
 夜勤の性質についてヒト相手の事象として特別なプラスの給料を介護保険やその他の分野での職業で普通に可能になっているというわけではないので、そこそこの歩合プラスで、それらが世の中の全般として継続している。基本給に対する歩合だから、それぞれに相当なばらつきも生まれやすい。
 夜勤だけなら介護の仕事を引き受けたい、という諸氏もそれなりにいらっしゃる。
 介護のスキルがしっかり身についているなら、是非、ということになりうる。
 それくらいシフト交代での夜勤はより辛いものだ。
 そこらが介護現場の人事に影響もしやすい。
 そこで介護施設を営む意欲のある経営にも熱心な諸氏においては、介護施設立地の近辺に介護スキルが間違いのないだれか”たち”を確保できるかどうかが、第一条件と言えそうだ、と指摘してみたい。
 そこをクリアできない場合、そこでの開業は止めるべきだ。
 さらに、条件が要る。
 介護施設での入居者の変化についてはちょっとふれた。
 その変化に応じて、緊急出勤が必要になる。
 入居者諸氏に更なる出費を請求出来て、緊急時用のためだけの費用負担が可能になる場合、それなりの工夫は十分に可能になるけれど、通常は、介護保険内、および、少々の余分とかで済ませたい諸氏ばかりと想像する。
 すると既存の人員による変化対応になり、夜間では介護保険指定の最低限での人員で対応している施設が大半と想定できる。
 その場合、近場で、介護スキルの水準を一応クリアできていて、緊急呼び出しに直ぐに対応できるだれかが、居てくれる必要がある。
 そのだれかが、先の近所の頼める新設介護施設要員の中に複数してくれる必要がある。
 当番がどうしても不可能な場合にも、だれかが補助要員として現場に駆けつけることは必須だ。
 だから施設の規模から判断して、その何割かが、近所に居住しいて、その中の複数人が夜間緊急時対応にも応じられる陣容を得たときに、立地が可能になる。
 だから逆に、そういう人材が揃っていて、しかも介護需要を見極められる場所があれば、そこに立地するということもありうる。
 そして実務が始まれば、休む暇はない仕事性質ゆえ、施設の設計(防災・避難や喚起やの条件については少しだけ以前ふれている)とか、事務系等と現場(看護部門、介護部門(食事等も含め))の事物・情報の共有のシミュレーションの積み重ねや事前に直観的水準で応じ合えるようにしておく必要を指摘できる。
 もちろん、介護担当者個々への個々性に応じた介護技量の達成度の確保も事前に必要なことだ。現場に出たら、だれもが同じように入居者諸氏から厳しい目で判断される。ただし、列島の大人たち、ご老人諸氏同様に寛容だから実態はなかなかつかみにくいようなことにしがちにして、万が一が発生して、気付かれたりする。ここらを予め避けられるなら避けるに越したことはないわけだ。
 準備万端でも介護の生々しい現場では意外なことに満ち溢れがちで、とことんスタッフは振り回されがちになるけれど、技量を身に着けている限りで、その場の対処をなんとか工夫くらいはできるようになっているものだ。だからストレス源としては、多少緩和されている状態。
 つまり、準備さえ怠らなければ、それなりに介護保険の範囲と少々のサービス提供に応じた収入によって施設は円滑に日々が過ぎていくようなことにできる。
 作り急ぎして、スタッフを準備できない場合、亡くなる頻度とか、入退所の頻度とかの指標が率直な事態を説明してくれることになる(入退院の指標は、変化の一面だから、そこでの指標としては、退院時のリハビリ度合(介護度がどれくらい落ちた状態で退院してくるかどうかなど)を見ることで、その施設と利用病院等の質を測れることになる。)。

 いつでも短いかもしれないが燃焼してというタイプ諸氏もいらっしゃるけれど、最近の超有名な諸氏の亡くなった年齢は90代が目白押しだ。
 90代が珍しくない時代到来だ。
 しかも、老人は確かに脆い、ちょっとしたきっかけで急展開してしまう。
 けれどもだからこそなんだけど、その急展開以前は結構肌ツヤ良くご自分のペースで安全確実に移動も自在にこなされて、食欲もその方なりに旺盛でということが、より多くの諸氏において到来、ないし可能態として到来していると言えそうだ。
 11何歳なんていう方々がそれなりの肌でもって今日のテレビ画面に登場されていたけれど、もっともっと見た目元気そうな100歳はたくさんおられるわけだ。
 ただ脆いだけだ、ちょっとしたことで崩れる。
 そこらをお互いの物にして、その時はその時でお互いの了解事項として納得できていれば、余計な関与も不要できままな付き合いすら可能になる。
 そして救急対応に慣れていれば、最晩年のその瞬間すら、一応、本人の願いに近い形で応じられる、という具合だ。
 大雑把な話でいかにも素人話になってしまうけれど、それが事故っぽいケースならば、3条件(意識・呼吸・心拍)をチェックしつつ、出血なら止血を試みるかわからなければ、わかるやつに頼む。呼吸が怪しければ、看護経験のあるだれかを探して、場合によっては気管確保とかの緊急対応する。AEDで済む事態ならば、それを探して即応用する。
 脳梗塞系の症状かもと思えたら(救急が先だけど)、いくつかの指標(ろれつ試し、左右バランスの失調)を試してみる(救急要請の際にしてきできるかも知れないし、救急到着時に急いで!と促せる材料にできる)。
 その他、動かさない方がいい転んだ時とか、介護技量に必要な知識として、介護を仕事にすると色々学べるので、是非、これからを目指す諸氏においては仕事にしていただきたい。


 川柳もどき

  動物たちはいかにもな死にざま、植物はというと、多分、繰り返しの方がいつもか
  じめじめ印象の環境を思い浮かべて "苔"で区切ると、なぜかあじわいふかく

連載は続く~ SF 掌編『昔を知りたいときの昔の資料など』編


 古代を探れる文芸作品ということで
  懐風藻(75?頃):『懐風藻講談社学術文庫版 江口孝夫編・訳
  藤氏家伝(76?頃):『現代語訳 藤氏家伝』 講談社学術文庫版 沖森・佐藤・矢嶋 訳
  古語拾遺(80?頃):『古語拾遺岩波文庫版 西宮一民 校注
           『現代語訳 古語拾遺』 新人物文庫版 菅田正昭
  日本(国現報善悪)霊異記(82?頃):『日本霊異記』 角川文庫版 板橋倫行 校注

 これらを歴史資料として扱うには、それなりの手続きが要る。
 で原典そのものではない場合の確からしい度合いを探れる研究史などをさらさらっと"軽快"に目配りしてみた。

 懐風藻については最近('18、'21)になって土佐朋子氏が2冊(*)研究所を出版されている。'18の「まえがき」を汲古書院ページで読める。
(*)'18 静嘉堂文庫蔵『懐風藻箋註』本文と研究(汲古書院)
  '21 校本懐風藻(新典社)
 素人の読みからだと、倭国以来の努力の底流を外れて傲慢かましている序の著者という扱いになりそうだけど、一応、序の短い文章から歴史をどう掴(つか)んでそうか等探れる内容だ。けれども、土佐氏が紹介する通り、(現代語訳を含め)現存する『懐風藻』をいかに扱いうるかは、未だ専門家諸氏の作業次第のところがありそうだ。

 歴史を紐解く資料としていかに扱いうるか、そこらについて素人には戸惑わせるのが『藤氏家伝』。"四 諸本"の章(p135-)にて現存本を概説してくれている。
 この三氏による『藤氏家伝 注釈と研究』(吉川弘文館 '99)が出ている。

 同じような地道な調査・研究の一端について『古語拾遺』に関しては岩波文庫版の西宮氏が"六 諸本"の章(p208-)において、紹介されている。
 序の章にて齋部広成氏は、文字を採用する以前を具体的にイメージしながら、文字導入以後の周辺事情を比較対照しており、原典があったとして、それの継承の厳密度など、より確実な辺りと著作時期決定の精密度などより文献上の落ち着かせ方について方法をとその結果を示してもらいたいところだ。

 『日本(国現報善悪)霊異記』についても、序文にあたる一章が置かれていて、仏教養と儒教養の置かれ方についての見解が示されたり、興味を惹くのだけど、やはり"霊異記諸傳本のうち・・"(p209-)ではじまる諸本に関する概説からして、この貴重な指摘のいくつかを歴史に落ち着かせるには、専門家諸氏の相当な研究が必要そうだと思わせる。
 『日本霊異記諸本の研究』(清文堂 '88)として小泉道氏がより詳細に検証作業されているようだ。


 文字ことばを用いて以後のヒトの営みに関して、近藤健二氏がちくま新書にて仮説を紹介されていたが、素人はそこらも含めて、アイヌ語のことも想像したくなった。
 仮に、相当に沖縄の人々が経てきた移動も含む歴史性を共にしていたことがより確実に証明されるようなことになると、もっぱら話し言葉を用いることでの伝え合いを事としてきた集団の営みにおいては、記憶の筋は強力だ。内容も相当に精度良く伝承され続ける。
 一方で、話し言葉は、それゆえに、状況に左右されて変化も蒙り易い。
 変化しつつ継承の中味だけは強く作用する記憶ゆえ継承され続ける。
 ここらは強引に『古語拾遺』の中での指摘を援用したくさせる。
 だから途中の長年月のより身近な環境とのやりとりからその影響を取り込んだりも起こりえたかもしれないけれど、その記憶の原典の継承をたどれるのでは、ということは、多くの神話の中は、その出自の土地柄のことをより濃密にしているのでは、という仮説に行き着く。
 そこらが文字使用になって、記憶頼りの相対的軽減を伴わせて、過去は過去、現在は現在での記憶と留め置き仕様に変化させてきたヒトの営みの一面へと想像を誘う。


 古い時代のある土地柄の様子を再現できるかどうかの前提に、それはいつごろのどこにありえたのか、辺りは確定しておく必要がありそうだ。
 宇佐市の一部に古代列島っぽく、廃寺の跡が残っている。
 小倉の池廃寺跡
 法鏡寺廃寺跡
 虚空蔵寺塔跡
 四日市廃寺跡
 ごく狭い範囲にそれらが分布している。
 できればカシミールとか地図ブラウザを使っていただきたい。
 そして大分県宇佐市の辺りを探る。
 海岸沿いに東から大き目の川の河口が三つ(寄藻川、駅館[やっかん]川、伊呂波川)見える。
 宇佐市はそれぞれの川筋について洪水ハザードマップを公開している。古代からは変化してるかもしれないが、一応の参考にもできる(立地条件など)。
 素人の第一印象。高麗郡に似ている、だった。
 相当に古い時期の廃寺跡が複数確かめられている。
 米田氏は現東大寺ほか木造大建築への素材を提供していると仮説されている。
 移築に関する話題は騒乱の史実ほど賑やかに話題にされないので、わかりにくいままだけど、啓蒙(enlightment/aufklärung/émancipation intellectuelle) 発想も控えさせているはずのマスメディア発信では時に、民間の知恵として移築を手際よくこなす技術が継承され続けている辺りを紹介してくれている。
 ただし、米田氏においてはそこが元々の地、ということになるのだけど、読者からすれば、もう少し説明が要ると思える記述が多い。
 それはそれとして、宇佐市駅館川と伊呂波川に挟まれた直系にして5~6km の円で囲える地域内に少なくとも4つの廃寺跡が見つかっている。
 伊呂波川沿いの東西を山並みに挟まれた領域は特に左岸はより洪水の危険有りとハザードマップが示している土地柄だ。
 見つかっている廃寺跡は一つだけ例外、四日市廃寺跡の場所を調べ切れなかったため、残る2つは、安全圏に立地している。
 官寺扱いだった法鏡寺廃寺と見なされる立地は、やや洪水をかぶりやすそうだ。
 現ため池小倉の池の中に立地していた小倉池廃寺跡は、西側の洪水をぎりぎり凌げる相対的高さの平地が、小倉池(台地上のくぼ地)の台地(小山でもある)下の景観として広がっている。
 この池の南東に展開する山地の東裾野の山本地区に虚空蔵寺塔跡(伽藍配置が若草伽藍ではなく改築後の法隆寺伽藍)はある。
 ここら辺にはその昔、宇佐神宮宮司や女禰宜を担ったいくつかの有力な豪族がいた。
 大神、宇佐、辛嶋ら(渡来系とされる)。
 考古知見から、近畿圏との濃い行き来も指摘されている。
 いまどきのネット地図(今回はgoogle)は、3D空間として実写の中を歩けるので、宇佐市から入って、小倉池に近づければ、ほとんどの道筋に実写で確かめられるルートが張り巡らされている。
 一応素人観からは、昔の道は水害を避けるような等高線続きの道作りが為されている感じだ。
 つまり水害とか自然災害への観察が相当に働いていた人々と見ることができそうだ。
 そして、古代の寺は多分、水源とかを押さえる役目も果たしてたかもしれないが、台地上とか相対的高さの選択が為されて、平城京興福寺東大寺春日神社やの立地も大いに参考になる。
 洪水は絶対的標高でより土地柄での相対的なことが原因になるから山地の村落でもとてつもない被害が出る。そういう観点のもっともっと鋭いのを働かせたプロフェッショナル諸氏が古代の建築を担っていたはずだ。
 カシミールならば、断面図表示(も、ぐにゃぐにゃ距離)も簡単にできるので、その土地の微細な生活感を引き出すヒントにも使えそうだ。
 現国土地理院地図はレベル15-17辺りが地名表示も詳しく便利そうだし、標高のデータも5mの分解能のが公開されているので、ちょっとした小川程度まで凸凹表示可能になっている。


 宇佐市宇佐神宮の大宮司をめぐる覇権争いだけでも有力豪族諸氏の間に盛衰がごちゃごちゃしてしまう。
 素人見的には、その流れの中で必ず血が混じり合って、相続記憶の継続性から連続をことばにはできるけれど、実態は円満に手広く、子供をわんさか作りながら混血しまくってきた感じだ。
 戦乱とか力任せの迫られた動きとかを伴わなくても、追々、ヒトの営みはまぐわいつつ混じりに混じっていってしまうもののようだ。

  川柳もどき

   動かないぞ、と決めてかかった植物でさえ、気をきかせた鳥たちがとりもつ、とりもつもぶたもつも美味い。

連載は続く~ SF 掌編『前提を探る』編


 列島では閉じたタイプの個室がもっぱらだ。
 前回の続き。
 そこらをこまやかさにも大雑把にも押さえたい。
 そして対比的になるけれど、医療現場、介護現場を想像してもらいたい。
 隔絶する。
 いつもじゃないかもしれないし、比較的いつものことにもなるかもしれないし。
 閉じた個室に慣れた心身にとっては居心地は決していいとはいえない日常を敢えて受け入れるような事態に近づく。
 病気だから、年取ったから・・で流せるものだろうか?!
 意外とそこらは専門家諸氏においても流してきた場合が多そうだ。
 けれども、病気のために一時的、というわけではない介護の生活においては、お年寄り諸氏は、ある諦(あきら)めを密かに迫られる、ないしそういう通過点を経る。
 そこらを芸術技を駆使して、スカッと展開を持ち込めるかどうか。
 観念処理と実際上の工夫の向き次第で、なんとかなってしまう。そういう現場に改良をも誘ってしまうような未然のなにがしを、芸術仕立ての上では成ってしまっていて、年寄りたちが落胆を経ないそこらを生きている。

 ある種のニセガネ作りが、金本位制を止めることで可能になって以後を地表面の人々は生きている。
 それがべらぼうな額として支払い手段化の過程を経て、巡るようになって長い。
 正規の方についてなら、刷って沢山出して、とか引っ込めすぎてとかで問題を生じさせたり解決させたりのようなかつてをイメージしたままで支払い手段について、ジャブジャブとか形容を使っても、勘違いの可能性を指摘できるし、多分、大方はそこらを熟知した上で、経済学の出る幕が遠ざかってしまったか、口出しするにしても、経験からとか、数式表現できた規則性の指摘とかの原則の当たり止りで、実際の経済現象への関与は、現象を追いまくる様々な指標産出用の道具を使い慣れた人々からの発信任せのようなことになってそうに、素人老人からは伺える。
 しかもそれが意図されて初めからめざされていたのかどうか、今日の様々なお金のかかるサイエンスとも濃く関わる事業すらが可能になっているし、どこも似たり寄ったりの超高層ビルが核となったような拠点大都市が地表面各地に出来上がり続けてきた。
 インターネットの携帯端末がかなりの程度普及するほどの(ご当地資金循環技とか分配技とかを巧みにしている集団の営みが育っているかどうか等リサーチが不足したタイプだが)一種のばら撒き策としては機能させてきた。
 現代版、なんとかの塔とは、簡単に持ち出せそうだけど、そう言えたからといって、なにかがわかりやすくなるわけではない。
 なにしろ、観測装置の数々でさえそれら現象に依存している。
 莫大なニセガネ発生装置によって世の中が回っている。
 需要ばかりが走りすぎたり、求めても生産がついてこないといった辺りを制御できていれば、たとえニセガネ膨大量だとしても、動かせている限りで、支払い手段の流れについて見やすい観測が並行できて、問題発生を抑制状態にしておきやすい。
 じゃ、それでいいのか、という話が要る。
 今でも余剰はひどい貧困を沢山含む格差問題の解消役にはなっていない。
 地表面各土地柄において円滑に各自が経済活動に参加できるような経済状態、めぐりめぐって状態を可能にできることの方が、ヒトをあきさせずにだけど、欲望が欲望を生むタイプの危なっかしさも巻き込みづらくして、そこそこの世の中運営が可能になりそうに思える。
 怪しい分野が次々に生じて、そこをめぐって更に怪しい支払い手段の循環路まで育って・・という想定も可能で、そこらの心配が、だれもにとってのそこそこの豊かさが蔓延することに躊躇させる動機となってそうにも思え、それこそ杞憂(きゆう)だと素人老人は指摘してみたいけれど、どう説明することがより説得的かどうか。
 挑戦は、失敗も沢山ともなわせてしまう。
 多分、それこそ普通にありうることと察する。
 それでも、いかなる集団の営みの組織化だろうが、一般化して、投資に当たる支払い手段の集り方の必要と、それを集めることの必要が支えとなって、人の力、道具の力を寄せ集めて、なんらかへと投企(とうき)できるようにする。
 そのためには目指すことへ向けて自ら働くこと、振り返って、経営上の支払い手段の流れについてのバランスを図れる力量も注がないと成り立たない。労使ということで弁証法を働かせたくなるかもしれないけれど、円滑にヒトの営みとしての経済活動が動き出すと、だれもが両方の要素を持って、やりくり上手になっている様に近づく。
 実際に使う側、使われる側がそこに成立しているよ、ということだけど、片方の利害からだけの論は単に不毛だ。両者が両面を踏まえた発信を必須となることに気づければ、むしろ問題群の中から、より急所の部分を見出しやすくする。
 大抵は、そこで生じているのは、意見の通り易さにおける方向性の片方性だったりするものだ。そこらを権力とか力の論で一面は説明し易い。でも足元を見詰め合える間柄を想定できれば、むしろ話し合い術の巧み如何、という観点も持ち出せそうだ。
 柔(やわ)そうでそれこそ迂回になるかもしれないしショート可能になるかもしれない、相応しい辺りに近づけうる。
 列島は歴史的偶然が初期段階に働く環境を得ていて、各地に独自に自発的に活動性を持てている人脈が、その後の中央や、各地からの移入者、乱入者をごちゃまぜにして、だけど左右中どの立場の指導的立場の諸氏においても一目置いておくことへと誘われるような、それにもかかわらず一つの国の営みとしてのまとまり感くらいは保ち続けてきた。
 ただその核、軸について特定化し過ぎて、うっかりするとそこを至上に見立てすぎる論を張って抗う他者性へきつく出てしまう失敗も時に生じさせてきた。そこらは、ある種のあいまいさを応用して巧みとできたゆえに、途中の紆余曲折はあったものの列島広域圏でのまとまり感の裾野を含む形で保ててきたことを、仏でも特定の宗派というよりは時代時代に生じさせた、移入された仏系の試行錯誤がつなぎの役割をかなりこなし、その基盤には、各地が神社的中央集権圧を相当程度受けながらも土地柄や各人脈に応じた"神々(この名称はここでは暫定的に用いている)"やその支えとしての対自然観とも関わる日常感覚に治まるようにして大切に扱う生成し続ける諸事象との付き合い方が答えとなるような観念がなぜか継承され続けてきた。
 脆いがゆえに強固だしあいまいなまとまり感がどういうわけか可能になっているとしか言いようがない、と素人老人からは受け止められる。
 そして実際の行政的な営みは、各時代ごとの工夫の発見に基づいて、それが採用されて実務に活かされてきた。
 そこらのカラクリの列島版については最近の以前に、ここで、そこにずっと長年月住み続けて、土地柄の諸性質に習熟した人々や、地元性を欠く中央役人系や、なんやかやで他の土地からやってきた勢力や、近所の土地から移り住んできた人々やが、巧みを発揮できればそれなりに長年月を地元の知恵を応用しつつより改良を重ねて世代交代も成功に導いているだろうし、それをこなせなくなってくると過疎地とかに誘うことも起こるだろうしのようなことで指摘してみた。
 ただ列島の"日本"での出発に当たった時期はとにかく東大寺のイヴェントのことを想起するだけでも、海外を大国のおとなり中国を意識しつつもそこに集ってくる諸外国、諸土地柄の人々の勢いをも感動を持って迎え入れてしまうような、列島人脈における好奇心に治まらない熱気が感じられるような偶然も含ませている。視野としての地球表面を今時の一般教養ならことばにできそうだけど、当時の知見からの広がり観が当たり前にできた沢山の"(対外的に用いた)日本"の指導層を持てていた。
 しかもそのより具体的な意味合いからする長い目でみたプロジェクトの行く末は、確かに六国史で閉じてしまう。
 今見ることができる国分寺跡的な、活動の衰退を伴わせてしまう。
 ただその同時代を共有できた観念たちはその後も元気に活動を継承し続ける。
 地表面は温和に共同性を保ち合えるはずだ、の理念を、自らも発揮、継承して、世界とずっと対話し続けている、と素人老人的には想像する。
 果敢な今を盛りの欧米系な諸氏において、そこらを汲み取って、応用できるところは採用しつつ、だけど油断とか隙を生まないかどうか、多分、その向きからして心配になってしまうと想像する。
 各過程が、練りに練った帝王学を身につける単位となりうるようならば、あせらず、逞しく、共存可能性を探り合い続けるかもしれないけれど、そういうことは時間的に無理とも思えるので、やくざな野心で手下たちを乱暴狼藉に使うことも厭わないだれかたちの芽吹きに注意しながら(ミクロ局面)、大局を営む、というやり方の難しさを試行中という一面くらいも想像したくなる。
 核を持って、メンテナンス継承を可能にしている諸国は表向きは時にお笑い系、時に恐怖系、時にずぼら系、時に、しっかり者、時に・・と様々を演じつつ、相当に厳格に管理機能はお互いのものにして継承技を磨き続けているはずだ、と素人は一応の信頼を置きたい。その上で、世の中の基本は個々がある程度自由に自発的活動を相互的にこなし続けるわけだから、なにかしら不可抗力的に危険要素も持ち込んだりしかねない。そこらをめぐって啓蒙系の映画やドラマが色々な危険を材料に物語を作って楽しませながらも、注意報役をこなしたりしている。


 川柳もどき

   打ち出の小槌は 手品の種っぽい だからなかなか手の内は見せてくれない
    でも 太陽エネルギーは億年かけて様々に形を変え

連載は続く~SF掌編『ギリシア風彫刻』編


 いつでもその手のことは繰り返されてきた。
 ある時期において、だれもが空気のように貴重だけど、気付こうともしないあり方というのが起こりうる。
 時期時期に流行る人々の所作における形式というのはありがちにする。
 そのあり方次第で、あることはすぐ気づかれて、それを表ざたにしてことばにすることは作法上よろしくない、とか、逆に、いちいちとりあげるまでもなくごく日常の所作の一部でうっかりすると視野の中に納まっているにもかかわらず、気づいていないかのように流してしまう。
 けれども、あるべきそれが仮にない場合、違和を生じさせるのには十分な要素となりうる。
 家の外にトイレをわざわざ作って利用することが日常の土地柄だと、家の中のトイレを画面におさめて日常の含まれるだけの一シーンであっても気にするだれかが居る可能性を指摘できそうだ。
 わざわざ映すことなかったのでは、とか類。
 近現代では衣食住の様の当り前感がほんのりで表現できるように、ちょっとトイレ・・くらいのシーンは時々入り込んでくる。
 何度か引用してきた映画のシーンをここでも使いたい。
 旦那が開業医の夫妻。内面の個々の意味系まで探らないとお互いが誤解とか難解とかで悶え合いそうな会話までこなすご夫婦だ。だからその日常のニュアンスを観客に感じ取らせるには、欧米風のトイレの使い方を踏まえたご婦人のトイレ利用のところも、普段着のご夫婦の寸景として取り込まれている。なにげに見ている方には世話しない夫婦だなぁ…と受け取るしかないようなシーン。
 多分、ほとんどの観客諸氏にとって、なじみのある日常を切り取った、でも、それなりに夫婦のあり方が伝わってくるシーンのように受け取りえたのでは、など振り返りたくさせる。・・・・・『アイズワイドシャット』から
 最近は若い男たちもかなり化粧するようになっているというから、より話にしやすいと察するのだけど、女たちはずっと近現代の流れの中で圧化粧の万全を心掛けるような方向性圧みたいなのを他性からすると想像したくなるように関係性を保ってきたように思える。
 それも自分たちにとっては当たり前だからストレスとか面倒とか思ったことないよ、ということばの方が出てきやすそうだけど、今に至って振り返れる老人目線からは、多分、特殊だっただろうなと思えている。
 列島はじめ各地でこれから人口減少を趨勢とするようになる。
 だから生業としてのサービス業のある部分は自ずから減少する。縮小する。
 巷にヒトがあふれて、仕事探しに困る頃ならばサービス業の応用が賑わって、なんらか吸収領域となっておかしくなかったけれど、条件が違ってくれば、そこらにも変化が生じておかしくない。むしろ、必要な職場に円滑に人の流れを生じさせる工夫が必要になってくる。しかも徐々に減っていく趨勢に応じた継承のあり方まで工夫が必要になってくる。
 でも規模としてはかつてたっぷり経験した姿なのだから、けっして慌てることなく、現代版での適応っぽいのが必要になってくる。
 化粧関連産業にも多分その線からくる変化のなんらかを意識されていそうだ。
 芸術媒体は、何気にそこを避けてしまうことの一種の安心感とそれ以上のそれを覆い隠してきたことのストレス蓄積面を秤量して、ヒトにとっての開放的で持続性のある姿の取り込みを試行錯誤できる分野を構成し続けてきた。
 欧米生活にとっての窮屈さの19世紀、20世紀初頭をクールベ氏は斬新に突破させている。
 でもその後の紆余曲折は人々の影の面をも誘うような経路を取らせた。いきなり晴れ間てギラギラのまぶしさを心身に浴びるような体験ということにはならなかった。
 ないし闇への偏見の一つくらいを払しょくし去るような経験ともしえなかった。
 でも芸術活動の前途には、いつでも、そういった日常が実は隠しつつでもそこは突破できてお互いの視野にとりこめる事象として受け入れ合えるようになれば、近代試行錯誤のその先のなんらかの一つとできるような積み上げ経験を図れたりする。
 市場原理にもてあそばれないように、という内実は案外お互いに分かり合えそうだ。日常での様々についても、"煩い奴ら発の巧み技に遊ばれないように"で禁じる方を逞しくして集団の営みの結果的失敗を招きやすくするよりは、観念系の工夫の方でいくらでも開放的対処可能だ、くらいはわずかずつではあるけれど、ヒトの集団の営みは古くから試行錯誤して経験を積み上げてきている。心配するよりは慎重さを忘れないようにしつつ試行錯誤とか挑戦してしまう方が手っ取り早くヒトに気付けるようにする。

 大量の出血で失血による死へと至りやすい。
 呼吸がなんらか邪魔されて窒息の状態を招き死に至りやすい。
 もう一つ、介護知見からは、心が砕けてしまうことも死へと追いやる、と指摘しておけそうだ。
 ここらは、立ち位置は異なるけれど、込み入った今日を生きる言論系のお二人(浅田氏と矢崎氏)の発信に耳を傾けながらふと思い浮かばせてもらえた。
 お年寄りの心身状態は、脆い。なんと元気なご老人!だけどちょっとしたきっかけでガタガタっと崩れ去る。去っていく。
 それでも、こけて骨折して、病院でろくにリハビリを得られない諸氏はやはりその後早い場合あ多いけれど、適度にリハビリを得て、退院して、自らも動くことを億劫がらずに地道に慎重に動けることを意識した動作を続けていると、その骨折が無かったかのように立ち直ってしまう。ヒトの身体は馬鹿にならない。否、凄い面を有する。
 ところが、ちょっと心を砕くような強圧的な介護指示っぽいのを何度か程度でも浴び続けてしまうと、直ぐにボロボロになって骨までボロボロになるような衰弱が訪れやすい。生きる意欲が砕かれてしまう感じだ。
 老人では露骨に表現される。
 若者だって同じだろう。
 そこらを回避する思潮は渦巻くようになった。一方で自発的に目指すことを探し、取り組む過程が、より多くということにおいては、頼りない条件付けがはびこっているようだ。
 部品組み立て業の技能保有者を沢山育てたい趨勢を、欧米のりの方で用意して営んできた流れを指摘したくなるのだけどどうだろうか。
 ここらへの異論としては、万が一の際、とにかく手仕事に慣れただれかが多ければ多いほど緊急時の回復は早く可能、ということで、多くを感じ取っていただけるとありがたい。
 出来あいの部品を組み立てるのは特異だけど、材料を細工して・・となると二の足を踏む、どころか、手が出ない、となると回復は遠のく。
 強風でも吹き飛ばない程度のバラックをありあわせの材料を工夫して建てられるくらいの技量はより多くが持っていた方がなにかと安心材料にできる。


 これも何度目かの話になるけれど、1990年代のテレビドラマだと、普通に救急車を呼ばない。勝手に即決で死亡判断していたりする。
 そこらをいたずらなリアル求めとみなしたくするか、流せない気持ちの瞬間的違和を生じさせるかの辺りが当たり前の次元変化をもたらす突破力、芸術業にまつわる突破力とか志向と関わってそうに思える。


 川柳もどき

   動きが鈍い 6日には関東圏も なのか 7日だろうか 風、強いのか そいつは1・1うるさいな、という

連載は続く~ SF 掌編『魚釣り』編


 我慢強ければその論争はずっと決着を目指しつつも、理屈の網目を相互的に追って、夫々(それぞれ)が持ち帰って修正すべきは修正して、元の自論とは違ってきてしまっても理屈の線に沿ってのつじつまくらいは客観的にも追えるような解決を相互性に目指されているかもしれないが、通常、ヒトはそれほどいつまでも辛抱強くというわけにはいかないから、黒白つけようじゃないか程度の落ち着きどころをそれなりに急いで求めてしまいがちにする。
 だから市場にゆだねる悪知恵は、そこらのヒトの癖を込みで発案されていると想定できそうだ。
 たとえばつい先日再放送されていた黒潮に乗って海に生きるカツオの群れを一本釣りで生業(なりわい)にしている土佐の漁民が、まき網漁法の趨勢に翻弄され、工夫してオルタナティヴを模索し続けている辺りを過去の事例として紹介してくれていた。
 その場合、まき網のやり方が既に1980年代を考えて生きているヒト集団において、いかなる帰結を生じさせやすいかくらいは簡単に想像できるので、一本釣り漁法の秀でた性質で論としては充分に成り立つにしろ、弁証法とか市場主義とかを持ち出す大国発の趨勢においては、とりあえず、それぞれが市場で競って、市場が時間さえかければ必ず答えを出してくれるからと突き放されてしまうのが、今日に至るまでの弁証法のり、ないし市場に委ねるべし人脈の思惑だし、それを趨勢にする資金力をたっぷり発揮してきた。
 すると時間的にゆとりがあるため、大量にとれるまき網の方がカツオの市場価格を低いほうへと強引にさそうようになる。需要側は低価格を歓迎するように応じるのが市場で起こりがち。
 そこで一本釣りの漁民諸氏は長年の熟練技を使えない条件を人生時間内で体験するようなことになってしまう。
 追々、市場まかせにしたことの付けをわかっていたようにだれもが経験する。
 採り過ぎてしまうことの帰結が地表面の生き物たちのこれまで生きてきた惰性の条件内でのできごととして現れてしまう。
 養殖で補おう、とか、それまでの大自然の惰性任せでは収量が不足してしまうとか、質的に劣るカツオが混じるようになって、付加的な手段が必要と感じられるように仕向ける。ここらまでも多分、市場ほったらかし発想の人脈においては、市場からの要請上の出来事にすぎなくて、見守っておこうで流される。
 収量が足りなくなって養殖で充分に補えるなら、それで充分と市場原理的には納得される。
 一本釣りは時代に合わなかっただけで、市場が必要としたときには、また登場できるよで、流せる考え方(が市場原理主義発想、ないし弁証法発想から競り合わせる志向)だ。でも熟練ということの性質は考慮外でしかそうは言い切れないし、そこを考えている考えていない等は多分、考えないことにしていると素人的には推理する。
 市場におまかせ発想をつい使いたくなってしまう諸氏においては、様々な利害と付き合って調整役を買って出ることが非常に面倒だ、ないし、利害調整の中で、上手くいって信用を勝ち得たり、失敗して信用失墜に陥ったりが繰り返される人生を避けたいと強く思ってしまうタイプ諸氏じゃなかろうか的な推測をしたくなる。いつでも指揮命令系の上層に位置したい、ないしその位置に居る必要があると思えている。
 そのためには失敗のない位置が要る。で弁証法に集(つど)わせたり、市場に集わせたりする。
 それに、そう誘われがちな膨大な諸氏はといえば、集ってうっかりすると知らず知らず敵味方の分別思考(ファン心理)に陥りがちにする。非常に扱いやすい状態に参加者諸氏は陥り易いわけだ。
 弁証法役割分担とか市場原理はそういう暫定的状態での使い勝手の良さの性質を持つ、埒外位置からすると。


 ところで、食事の際、感染症大流行で苦しんだ過去の伝承から大声で話さないような習慣を身につけた人々であっても、その場の快のあり方次第では、大声でことばをかけあったりが充分にありうる。
 しかし、巷の現象としてありがちにするのが、かくあるべしの思い込みをそうとは意識できていない状態で、対他的に”べし!”と強く出てしまったりだ。
 突然そう出られて、人々はビックリする。当人の面子を台無しにできないからその無理・無茶な圧しの総体について、一々言い返されたりは起こらない。
 けれども、もっと持続的にべしで、気に食わない感情のまま、機会あるごとに言い放つようになる諸氏も混じるようになる。
 そこらはコロナ騒動でも同様で、落ち着いて、じっくり考えていることの中味について相互的に検証しあえるゆとりさえあれば、それなりに落ち着きどころ、個々の心配ごとに応じて個々において判断できれば、それなりの対処法が世の中には用意されていることなどに気づき合える。でも性急に自説は世の中の趨勢としてお決まりのことだと思い込めている諸氏にとっては、引けない感情でしか応じられなくしがちにする。
 でも、落ち着ければ、問題行動はどなた?くらいは簡単に気づける。
 だから経験的によかれの貴重さと同時に、使い分けの巧みもごいっしょで、というこまやなか使い手として育ち、継承できることが大事そうに思える。


 蘇我氏はどうやってきたのか。
 仏教に熱心だ。何か事件と関わってしまった。
 そういう記述を検証できるご近所の諸氏はごく少なく、しかも大昔のことだ、としたら、仏教の線から、藤原氏の出自は・・・と強引かもしれないが、素人ゆえ、ついそう想像するほうに誘われる。
 そして倭国を強く意識してきた人々の中枢部分の移動の時期。
 中枢はそこに居たままだったけれど、中枢と同様に自発的に活発に活動するだれかたちが、列島各地へと旅立っていて、それらとの"親戚付きあい”もずぅーっとこなしてきた。だからボキャブラリーは共用している。評とか。
 ここらの素人っぽいのよりは、もう少し展開のリアルなところを、木簡研究があぶりだしてくれるとありがたい。
 使いこなし方とか、文字の使い慣れた感じの度合いの分布とか、色々探れる観点がありそうに素人だと思えてしまう。

 川柳もどき

   9月を前に、台風は11号だ。今そだっている最中らしい。

連載は続く~SF掌編『U-20女子サッカー二試合テレビ観戦』編


 今時の女子サッカーを知る機会を得た。
 とにかく試合展開のこまやかなパスワーク、スピードについての先入観を翻される内容だった。
 ただ対戦相手のスペインチームが先行して3点を取ってしまったため、日本チームの冴えが際立ち始めた後半に、スペインチームの持っている更なる攻め技を見ることができなかった(前半の3得点は、日本チームの固さかもしれないのだけど、オフサイドトラップとか揺さぶることで出足をいくらでもくじいておけるようなタイプの安易な得点提供を二本決められたもので、スペインチームの実力を見られるタイプではなかった。形としてはそれで仕掛けるかも、の辺りを知ることはできるといった感じのもの)。
 後半の攻めで一得点しかできなかった日本チームについては、多分、疲労の要素を指摘できそうだ。
 連戦連戦タイプのU-20ということで最後まで残るどのチームの選手も疲労をためてしまいそうだ。
 しかも後半に仕掛けた形の日本チームにとっては、詰めのところの集中にどうしたって影響してしまいそうだ。
 ただし素人老人ゆえ、勝手に多少辛口批評しておきたい。
 たとえば、11番の選手は他の多くの若手選手同様に足技は相当に巧みだ。
 連係プレーも同様に達者と見た。
 ところが、シュートの精度がいまいちなのだった。
 シュートの勢いの強弱はともかく、しっかりコースを狙えればこの選手、スペインチームとの試合でも数点は取れるパスとか流れの中にいた。
 素質に恵まれた若い選手諸氏は練習量とその質によって更に育つはずだから、次に見ることが出来る試合のころは更に巧みなシュートをはなっていそうだ。
 同じくフォワードポジションの9番の選手。この選手はある程度、技を精度よくこなせているタイプだ。
 周囲について瞬時によく見えているタイプのようで良いパスも出せる選手だから、連係からのほかのだれかの得点を提供できる。体をつかって、スクリーン応用的な技もこなせる。ただ、時に、パス受けの際、粗さが出るようで、そこらは修正しておいてもらいたい気がした。
 11番の選手も足腰を鍛えて踏ん張り力が上達すれば、更に、技が多彩になりうる。
 9,11番両選手とも、もう少しだけ走力アップを可能にすれば、ボールさばき、パス精度が同様に上手な他の選手たちからのパスとか仕掛けに応じる対相手選手たちへの効果が結果得点となりやすくなりそうだ。
 苦言としては、テレビ解説の加藤氏がヨイショしていた6番の選手は、ブラジルチームとスペインチームの試合に限っては、疲労が蓄積していたからだと思うが、パス精度や流れの中での動きや、トラップ精度などチームプレーの中でかなり見劣りする質の状態だった。そこらの体調を見誤って試合に使ってしまう監督の判断はかなり問題ではないか、と強く思えた。
 ここらは、結果勝敗は出てしまうけれど、上手な選手たちの試合が、サッカーの技を巧みにして仕掛け合うことの密度に集中できた場合、それは見ている方にとっても、やっている選手たちにとっての後味形成にとっても、良い方に作用しないはずがない、という素人老人流の考え方が下敷きになっている。
 興行の側の思惑だって多分色々な流儀が渦巻いているはずで、必ずしも大騒ぎに誘ってそれでもうかるはずだというワンパタンな発想ばかりではないと察する。
 プロフェッショナルなスポーツの担い手諸氏にとって、振り返った時に、勝ち負けで勝者というだけの残像は寂しさのみ残す(”ファン”はストーカータイプか、次々と入れ替わる勝者を追いかけまわしがちだ。勝ち誇れる幻の代理人扱いだ)。でも良い試合をして好敵手を得たとかの経験とか体験の心身記憶は、いつまでも人の支えとしやすくする。
 でも自らもそれらを一遍くらいは楽しんできたスポーツのファンだったりすれば、ゲーム(試合)を楽しむ感じで接している。勝ち負けに多少はこだわるだろうけれど、裏でばくちの材料にしているのでない限り、勝敗は二の次で十分に楽しめてしまうものだ。
 たとえば、日本チームという具合に現段階でのベストに近い布陣を普段も可能にできるならば、是非、スペインチームとかブラジルチームを列島サッカー環境に呼んで、興行してもらいたい。
 数試合こなすだけで若い日本チームは更に育つ。相手チームも多分、日本チームの凄さから相当を学んでいくと想像する。それくらい現U-20チームは凄いと素人老人は見た。
 後は監督とかスタッフが選手諸氏の体調をよーく見て、いかにベストに近いチーム編成での魅せる試合に持っていけるかだ。


 当方が二十年ほど前に見てきた地方都市の街中を流れる小河川はそれなりに整備され魚たち住める程度に清らかな流れだった(綺麗すぎてもよくないわけだ)。
 最近の関東平野台地近辺を流れる小河川は以前よりは綺麗になりかかっていて、オイカワの群れも親世代と子世代が群れを成して泳ぐ姿を度々見ることが出来るようになっている。
 群れて、子世代は聞きたくもない親世代のダジャレまで聞かされている感じだ。

 そこで川柳もどき

   ここはどこ?なんてぇえの おい!カワ、だ えらっそぉおに ダジャレじゃん

連載は続く~SF掌編『列島古代文字ことば事情研究への期待』編


 講談社のページにて"AI"も煎じ詰めれば・・・の話が載っており、ふむふむと年寄りっぽく読んだわけだけど、遺伝子の編集技術にしても、先日NHKBSで放送されていた番組での専門家お二人の話から察するに、煎じ詰めれば・・自然界および地質年代の期間の"振るい"以前の一種の(人為的)突然変異のような事態なので、非常に脆い状態とも取れるし人為ゆえの多少は今的環境下での優位を保ちつつ長期にはべらぼうな試練が待ってそうな実験的提供の一つのように取れた。

 ところで列島版"仏"の話の続き。
 三方良しという深慮遠謀タイプの試行錯誤はいつでもひたひたとで継続中な気がするけれど、怨恨を引きずることのないような工夫の一つと見做せるように老人的には受け止めたくさせる。
 やるからには勝って、それも絶対的に勝って文句を言わせない、という個々における試行錯誤的向き方が生じがちな時代的気運も過去にはありえたろうけれど、ヒトは集団の営みの中で学んでしまうので、そういう怨恨が尾を引いて子孫たちがまずい関係を持ち込んで更にというような悪循環に陥らないような想像力を働かせてきた、その想像ゆえの工夫も相当に持ち込んできているようにも推察される。
 ただ弁証法応用というか、市場まかせっきり主義発想から、帰結として、一時を占める勝者を絶えず生み続ける競い合いに仕向ける作用の持ち込みは、一方に落ちつきのない巷へと働き掛けてしまうだろうし、一時の勝者はまったくごく少数というか一つで他は敗者でくやしいから敗者の中でランクをつけ合ってそれでもって落ちつきを得ようとさえしてしまう。(需給ということのヒトからする制約(飢餓状態以前に体調を整え続けられるとか)を踏まえた、調整装置としてどうつかいこなせるか、使える局面の絞り込みが可能かの具体的品目別の技等)
 ヒトの一面として余程の動機を得られないと、せっかくの時間を集中して、結果、やっておいて正解!とか合点がいくような人生の中の一時的過程を持つことさえ、いつの間にか時間は過ぎてのようにしがちにしてしまう。そこらを半端に押さえてわたったつもりの指導的なだれかたちは、つい、事件とか何かしら不都合に遭遇するとそれの解決のためにヒトは必死に努力し始めるとかの発想を持って、その線で集団への作用を考えたりしてしまう。そして迷惑な世の中の一面を構成させることになったり。
 ただ、多くの場合、様々に必要が明示化されやすい環境であれば、それを満たす手だてを探り始めた順に、じゃ、だれそれにそこらは任せとこう、で、自分は・・となって、集団の営みの中で、広い意味から仕事を探り当てようとする。
 そういう様を全体的に見渡せるだれかたちは、そこらから、得手不得手を個々に探り当てて、より研究的探索が粘り強く、我慢強く必要な分野へと、選択的に誘ってみたりも試行される。
 様々な日常のやりくりの中に楽しさほかの快へと響くなんらかを見出して、自らの人生時間を切り売りして、残りはそちらで過ごしてみたいな、というタイプたちもそれなりに沢山育つ。そういうある時間幅を輪切りにしたときには、ヒト集団というは、面白いほど、それぞれの志向の持ち主としても育っていて、それぞれの志向と世の中の必要を巧みに組み合わせられるような工夫の回路次第で、より円滑な個々にとっての持続的人生の手ごたえを得られやすくする。
 つまり、計画依存以外であってもそれは市場を巧みに使いこなしつつ、市場依存や、市場の都合に振り回されるヒトの位置にしないで済む、ヒト圏内に市場を操れるやり方も可能だという辺りに気付けそうだ。
 その先に一時の勝者を作って、いつでも追い込みまくって、目的化した勝ちほこることへとは誘うわけではない、普段の巷の活動というイメージが持てる。
 ただ公務系が裏方として、黒子として、危ない分野ということでの市場という場を想定して、そこでのせめぎ合いでは、いつでも関与して勝者の位置を外さない工夫が求められるのが現代の未完成状態、制約面とも察せられる。
 公務系の関与抜きに闇の勢力がそこを占めて、闇の支払い手段ルートが成り立ってそれが馬鹿にならない額となって、となれば、簡単に想像ができるように巷にしらずしらずか時には顕著な困った方の影響が生じやすくなる。刑事ドラマだったら汚職警官組織に困らされるどこかの市町村というケースだ。
 お金もたっぷりかかるけれど、犠牲者も沢山だす戦争タイプも、怨恨を引きずらせる。
 遠回りであっても、また実際に時間をかけて話に持って行って、話にしても時間をけちらない手法は、担い手の気質が自慢しないから、表の重要な手法のような振舞い方はしないだろうけれど、派手に力で抑え込むタイプと違って、納得づくのお互い様を目指すということで怨恨を引き面セル手法とは対比的と見做せそうだ。
 ただ直面する事態に不都合を感じて、すぐにでも解決してほしいという願望へはただちにの返答を示さない手法ゆえ、勘違いして、解決の妙を持つ側に向かって八つ当たりを誘い兼ね合い要素を含む。そこらはだから、その深謀遠慮をお互いが理解し合える達人をいつでも必要以上に育てあえていることがそういった集団の営みには必要になりそうだ。
 そうなれば、だれかれと勘違いしそうな誰かへ向けて、良好なささやき作戦が可能になる。
 八つ当たりを煽るようなささやきに誘うのが勝ち負けにこだわらせる手法に付かれている巷の人々のはずで、そこらは、今どきの巷にとって注意が要るともいえそうだ。


 倭国の役割を引き継ぐ必要を感じ取れる人脈には漢字を営めるだれかたちを含んだ。
 それがずっと続いたことを想起させる。
 聖徳太子はその系統なのか、そうではないのか。
 仏教以前から漢字を使いこなすごく少数、ということでは日常会話としての漢字的発想を共有できる相手がほとんどいない特異な境遇の継承を重ねる人々のような感じだ。
 多分職業的とか家業のような継承を想像させる。
 指導層が担って・・という感じではなさそうだ。
 しかし、なぞの記号を読み解き、意味内容を人々の前で披露する、っぽいパフォーマンスをこなすことだって可能だから、まったく指導層が漢字の読みこなしの継承と無縁だったかどうかは断定しづらい。
 中国由来の紙が基本の資料だとするなら、巻物だ。
 印刷しないで増刷するには、書写が簡単な方法。
 だからそういう性質を保持している時代は、特権的か立場上の偶然でもない限り、紙資料をいつでも参照できる立場は得られにくかった。
 こどもが新ことば環境に順応してしまえるのは相互的環境を得ているからの面が強そうだから、特別な場と人数の環境において、(漢字系)文字言葉を自在にこなせる世代が育つことも、そう簡単ではなさそうだ。


 では川柳もどきをひとつ

  涼しくない早朝散歩、11がそこかしこで熱気を発散中