連載は続く~SF掌編『交差してくれそうでいて・・』

 テレヴィドラマ(それも探偵刑事ものとか医療もの)づいている探偵氏、最近のUS系ドラマにも目を通していたらしい。

 

 冤罪とか圧政とかのツールともなりかねない正規の力系現場公務組織の面を時代とともに安全だけど頼りになるあり方へと変容させる必要はほとんどだれもが希求してきたとは思うけれど、その過程には違いない”現代”において、たとえばルーサー刑事をご覧になっている諸氏ならば、列島テレヴィ版の探偵刑事ものがあまりに稚拙な技量を用いた探索の担い手たちが担いすぎている感を否めないのではないか。そうでなくてもその立場上のしがらみからの困難を描かざるを得ない事態を多少啓蒙の志向からリアルっぽく描こうと試行している向きを感じさせる海外もののこの十年とかの流れを振り返れるドラマ鑑賞ごく短期間の体験からして、ギャグにもできないそのキャラの描き方は困りものだ。リアルというか絵空事にしすぎている感を指摘できそうに思う。

 そのリアル描写が工夫されて、ただ現実に渦巻く悪意との知恵比べごっこという落とし穴に落ち込まないようにする描き方試行もいつも試されていると素人でも行っておけそうな気配だ。

 と探偵氏は相当に力んでいるようだ。とにかく老年だ。若い人々がこれから、ならば、老人にとっては先が見えている、そう幻想できる。だから・・・。

 そんな老探偵氏だけど、時代物にもそれなりに興味を持っていたらしい。とりわけ江戸期に関心がある、というのではなくて、通じる、流れのようななにかしらへの興味らしいのだけども、その過程の一区画、杉田玄白氏著作周辺の人脈についてもそれなりのネット経由の知識を踏まえていたようで、しかも、偏屈なのか何なのか、その偉業すら、知ることをめぐる新鮮さゆえの一過程のようについついとらえたくなるビョーキのようなのを発揮してしまうようなのだ。

 つまり、探偵氏に代わって要点をかいつまむと・・、当時の欧(すぐ後の米も含め)医療場面では変革・変容の過程であったことを振り返る必要を指摘して、ここらは今どきならではのネットでの検索によって即日確かめていただきたいのだが、そうしてもらった上で、一応イブン・シーナー/アヴィセンナの名を挙げておけばその線くらいの最短の察しはつくのではなかろうか。

 その過程というより、もっと以前からと今ならば言えそうだけど、全体把握の技量と細部へ分解してそこから構成しなおす技量のそれぞれの育成を両方まとめてこなすということはヒトにとってはかなりの困難なことだったようで、片方に寄って、だけどなんらか不足感を伴わせつつ時代を推移させてきたようだ。

 解体新書によって、個別の解剖図を発見できて、これぞ答えの近道と錯覚させられたご本人諸氏はそこのところを気づけていない。今ならば、全体像抜きに一体どう近道にできるというのだ?と絶句することになるのだが。

 そこらを今どきのUS医療ドラマ、たとえば『ニューアムステルダム』の無料放送第一回を見るだけでも知ることができる。既にUS医療オルタナティヴは権威的な力関係も応用しながら全体像知見の重要さも取り入れて”(一応)難問”パーキンソニズム/パーキンソン病について率直な現状知見を馬鹿にされがちな老医師の口を借りて披露していた。

 同名に近いので発想上混同しかねないけれど下手すれば相反する反応を生じさせる治療の詳細を簡潔に一般向けに紹介していた。ほかにも他のドラマだったけれど医療オルタナティヴで列島でも翻訳ものでは紹介済み(だから今素人の代理でふれている当方がこうしてことばにできているわけだ)でおなじみだろうが列島では代替医療の膨大なあいまいさの中に埋(うず)もれがちにしている。

 名称が腸だとか歴史的順を構成しているのでつい専門筋すら勘違いさせがちと察するけれど、全体像ゆえの脈絡からただそう名付けた内臓は同じ内臓という名称すら異なる脈絡を探索できないとまずい。全体的把握ならではの経脈を察知できる知見を踏まえて全体知見を理解できないと分解系発想の足しにもならない。

 一方、分解系発想は個々について詳しく知るためのヒトの癖を知ってか知らずか踏まえているからそれなり詳細を極めつつの過程をたどっているように錯覚させ、延々と時間を費やさせる。後者はある意味、直観的につかみやすくさせる。全体把握はそこで直観を働かせるための奥義めいた熟練過程を必要としてしまう。そこらだろう。

 解体新書の詳細な解剖図が見た目をリアルに描写できたことはそれとしておける。

 医療に近づける場合、それは実は答えになりにくい、ということに気付けることが大事になる。知的作業の過程において一応全体把握(関連の脈絡を実用的時間内で把握できること<量子コンピュータ的計算が医療に響く実用的時間内で達成される夢の話ではなく>)ができることを伴わせて実際的医療となりうる。その基礎研究においてすら、見通しが肝心だ。

 ヒト(<たとえば>の思考くせ)とは?が基礎の基礎にもなるということに気付ける。 全体的把握癖を発揮していた時期の描画かどうかを峻別できた上で、そこでの思考が目指していた読み方に工夫が要る。名称が似ているからと分解思考と同じようにしての類推は錯誤の元だ。

 筋膜問題はおそらくUS医療研究では相当な具体像、応用場面まで推測できるくらいの志向水準なのではと憶測させるのだけど、列島では未だひょっとしたら程度かもしれない。個々の医療研究・探索は別として。

 ネット発信では痛み研究・探索に近づけて筋膜知見が知れ渡っているかもしれないのだけど、なんらか空気”圧”ともかかわることから体内的”密室”における全体的関与系を構想できれば、その働きが様々に感覚・現象することを想像できることはすぐ先と察する。生き物の生育・成長は微細に個々別々性を伴わせる。そのぎくしゃくを想像できるならば体調知見にも近づけたと察する。

 分解知見からでもこう全体把握の凄さに少しだけ近づける、ということとも受け取りたくなる。

 おいおい、俺にも言わせてくれよ。

 と探偵氏、口を挟んできた。

 とは言え、聞く側の忍耐にも限度がある。そろそろ幕引きの頃合い。

 老探偵氏、残念ながら、今回も最後まで話を聞いてもらえなかった。

 それに引き換え、話すことをこなした代理人の方はかなりご満悦。

 

 

君:って、それあなたのことでしょう?!ったく・・・。

私:聞き疲れ・・・・。

君:なによぉ。・・・・・、当たり、・・だけど。

私:・・・。

君:散歩、しましょ。

私:・・いい、なぁ・・、いい、なぁ・・。

君:お茶、も、よ。