連載は続く~SF掌編『年寄りは・・考えた』編

D.J.パーカー事件というのがあったようだ。
事件の真相は?という感じで番組(BS-NHK)は運んでいた。
時代背景にも触れていた。
旅客航空運用が盛んになりつつある一方で、セキュリティーに関してはザル状態だった。
だからこそ可能になった事件の一面を指摘していた。
しかし、それだけでは足りそうになかった。とにかく飛行機旅客輸送の実際に通じていてそれは民間の政府系のシステムに通じている。
そして当時のFBI長官ないしそこの権力者は?となるだろう、な。
だから探偵の推理としては、だな、これは決して捕まることのない計画的なやらせ犯罪だったはずだ。犯人役はもろ公務系かもしれないし、イチかバチかにかけられるくらいの報酬目当ての”実力者”に様々な特訓を経させて実行させたかもしれないし。
とにかく世論を動かし、その後の航空交通についてのセキュリティーの重要な一歩を踏み出させた。膨大な世論の雑多さにいちいち気を遣うことの堂々巡りは避けたいのが人口多の諸国行政事情のはずだし、急ぐ場合、事と次第では、ありかも、の事例に違いない。
だれも傷つけていない、という不思議な事件だったのだ。
それに味をしめて真似る、なんてことは余程のアホに違いないけれど。余程の条件が揃っていることを確かめられる能力も必要だし、スタッフの一体感は時代と共に個人判断の方へと移ろっているのだから、基礎条件のところで難しくもなっている。公務系とは言え、多数の協力関係は難しい。映画的編集で見せかけだけがせいぜいの時期だ、と推測するね。

こういっておいて、もう少し、年寄りじみた重い話をさせてもらいたい。がその前に、またもやこの間少しふれたので多少しつこさを漂わせてしまうけれど、新型コロナウイルス(sars-2)が巻き起こした COVID-19 感染症現象に関わるマスクの話だ。
列島版のマスメディアもトラップ氏が指摘する、もう一方経由の情報源からの内容をブロードキャストしがちなのかな、と探偵、むしろ一年寄り視聴者、と言っておいた方がいいかもしれない列島に住む一人は感じてるんだ。でもってさ、だから、かな、マスクについても、なんだか、さ、しろしろ、っていう煩いタイプのニュースを良い情報発信のニュアンスで出すのが目立つんだよ。これって、いざインフルエンザのような年寄りにも子供(免疫を持つし頑健でもある若者層は例外だ)にも辛いウイルス系が流行ることに、これまでと違うことがこの列島で起こるとでもいうのだろうか?ということをこれはグローバルに問いかけたくなる、ぜ。ほんと。ちょっとネット検索で、japan influenza (flu) とでも入力して感染者数とかインフルエンザ原因死者数など調べてみるといいんだ。列島でもかなりの数に上ってずっと推移しているはずなんだ、よ。
たまたまインフルエンザよりも犠牲になりにくいタイプの新型コロナウイルスだから、なんとなくマスクで防げてると錯覚してるんだ。
たとえば外食して食卓を囲んで、新型コロナウイルス騒ぎの中発信されている動画から知れ渡ったようにおしゃべりですら相当の唾を飛ばし合ってる。それを気にするような極度な神経質タイプ諸氏にはマスク着用、シールドの類は安心感を持たせるのに役立つだろう。でもさ、多くの人々にとってはそれは気にならない。むしろ親密さの方で十分にカバーし合っている。そして、インフルエンザかそれ以上に広く世代と関わるような重病かとか高熱で唸るようなウイルス性の感冒のなにかしらが流行った場合、マスクを流行らせてそれで安心しきったつもりの人々の油断のところに直結して流行って、大騒ぎになることは目に見えている。不可欠なという意味でのエッセンシャルワーカー諸氏が必須の日常生活には向かないタイプのマスク着用とは事態が異なる、ってことをしっかり今の時点で押さえておかないと、やけに無意味な強制圧をこの市民社会試行錯誤中の貴重な”時代”に試行させてしまいそうな気配もないわけじゃない、ってことを年寄りは声を大にして、グローバルに届いてほしい、と願うね。ここらはサイエンスだし、寛容だし、整然と判断してもらいものだ、よ。

と言っておいて、少し重くするぞぉ。
今まさに変化している。どうこの先、一定の落ち着きどころを得られるのか、一般の立場からは予想すらできない。ここらはちょっとばかり心細い。心細さの底にはこれからふれることが関わっているとも言えるんだ。
何度かここでも引用してきたように吉川氏の文春新書デビュー作は貴重なデータ整理を提供してくれてる。改めて読み直して置いてもらいた、ものだ。
表立っては今はUSという大帝国支配に代わるもう一方としての期待は中国なのだ。相当に中国は頑張ってきた。時間が無いための急ごしらえも必要だったかもしれない。それでも国の名で標榜する民主主義とか共和国とかの類はただの看板で済ませられないのが帝国の主だ。USはUSなりに苦闘して、それらしく振舞うある局面については相当にそれらしく振舞おうと果敢にやってきた、と探偵的推理では指摘できるんだ。
米中は貿易で大変なことになっているし、それだけでは済みそうにないじゃないか、とネットやマスメディアで情報を得ている(わたくしよりも若いという意味で使うが)若者諸氏は受け止めていると推測するけれど、世界についての帝国支配の担い手が、抜け穴だらけだったら、USの熟練諸氏にとって代わりに頼りにできる相手にできるはずがない!!!
(もっと!を付けてもいいくらいだ)
だから相手の実力を尊敬を払いつつ、試す。当然だ。尊敬してるんだ!!ここも大事だ。
ここまでの観点だけだと、油断を誘うだけの状況観察にしか読者を誘えないかもしれないけれど、それでもここらの観点を欠いた、弁証法一辺倒での論評とそのバリエーションで彩られた旧発信源では先細りが見えているからこそ、素人の立場で、しかし探偵業の経験を踏まえて、ここはそろそろということで言ってるんだ。そういう観点を持っていることで、インサイダーではない人々も趨勢の判断に使える。もちろん、インサイダーとなって実務を担い、いつ何時、その機会が訪れるかもしれないが、いざその時を迎えて、生々しい状況で信念以外に、如何に判断できるかの指標には使える。当然、現場を担って十年とか何十年とかの熟練した実務経験・現場体験の素材が物をいう。具体的適用はその人たちこそが要所はどうしても担わざるを得ない。そうでない場合は、双六原理が働いて、振しに戻ってのスタートからの発信で大抵はひどいことも含めた再演が繰り返されることになりがちになる。ヒトの世は経験から多くを学んで蓄積できているから、それなりの不可抗力への対応力をことばの智として伝承されている。そこに時代時代の生々しさ、素材を肉体化した担い手の関与で具体的な形編成へと向かわせることが可能になる。無から、というのは一見、フリーハンドでなんでもできそうに思えるが、たまたま本日録画で見た『フリーソロ』においても、落ちたらそれでおしまいなロープを使わない岩登りの人々は、本当に何度も何度も試行登山して、ルートとその場面場面での必要なテクニックや心の状態などを再現できるように肉化していることに視聴者にも気付かせてくれるような作りになっていた。
熟達は、工学的再現性の中身に更に、工学的にはとらえ切れていないけれど、認識上は精密さにおいて分画できた情報をどういう状況でも再現できるようにインプットすることを含む、と読めた。フリーソロの担い手は膨大だ。そしてそれぞれの肉体もそれぞれだ。だから個々手法が異なる。どの地点が危ないかは同じように予想がつくけれど、そこをどうこなすのかは個々の熟練の内容で異なってくる。(だから年よりじみた述懐になるのだが、フリーソロの経験に慣れてくれて、フリーソロの担い手諸氏は長生きするようになる。あたかも高層建築の鳶(とび)たちのように。ただ、岩登りのルートを作り、個々の技を発揮することにおいての飛びぬけた力量はだれもが真似できるということにはならないまま、ということだ)
主に市民社会の公務系のはずだけど、そこでの現場に即した熟達がある時期に関しては世の中の変化に加担するために使われることになる。そういうこと。
市民社会だから市民参加で、と行きたいところだけど、市民社会のもう一つの一面として、介護業が成り立つくらい、一般の生活が汲々とせざるを得ない。我が子に学歴を持たせたい、技術を付けさせたいなどで、収入を得るために日々、両親ともに忙しい。片親だったりで、しかも片親頼りだったら更にその親は忙しい場合が多くなりそうだ。そして市民社会が上手う運んでいれば、そこそこの年金生活に突入だ。子供たちがそろそろ将来の心配をしている。かつての親たちの実感を我が事としている。
現場の緻密な事情に通じることはそれぞれが限られてしまうのだ。分業だから、ということもある。自給自足タイプでそれぞれが同じようなことをしているのとは相当に異なるのだ。
そして市民社会だから個々が現場でそれなりに尊重し合う生活ができているはずだし。
で、油断しないUS事情を、映画で知りえたことで強引に言ってのけるのが、探偵はやってきたけれどグローバル政治にはとことん素人の列島在住の年寄りには許されるだろうと断って、早速始めるか・・・。
大帝国USならば、当然、各地のせめぎ合う場面(諸国の現場)に諜報の点と線とをこしらえている。それらが今時ならば緻密なネットワークで即応し合っていないとまずい。直ぐに手遅れになりかねない。
仮に、中国が大帝国役を担おうとするかしないかはともかく、自国の秩序に関心を持つならば、その諜報利害発の不可抗力を邪魔と思うのが当たり前だ。
副島氏が指摘する属国タイプの受け止め上手で匠技で捌(さば)く某国のような振舞いは一般にはわかりにくくてしょうもない、と簡単に予想がつくし、少しは忖度が働いて、そっちよりの方策が出勝ち、とも思える。けれどもより自国利害で秩序化を目論むなら、当然、大帝国諜報利害とぶつかる。ぶつかってしまう。その時に世論工作すら、大帝国が敷き詰めた既存のと競う関係にならざるを得ない。
尊敬する関係なんてありえないんじゃない?!と即言い返されそうだ。
だからこそ、支配層は指導者のキャラを選ぶはずだ。様々なわかりにくい情勢を呑み込んで、油断もさせない代わりに、自発的代案を歓迎するし、その内容については厳しく判定する。合格は簡単にはださないし、出ない。
大帝国技は本当に残酷な内実も含ませてきたのだから、それを市民社会的にどう克服できるかはこれからの試行錯誤だ。ないし只今進行中のはずだ。
当初批判にさらされたし今でも(もう一方のマスメディアの構成からは)批判材料にされているみたいだけど、市民社会は暴力には厳しいのだ、元々。リベラルはワルをついのさばらせるとか、かつてのNYCでの出来事を持ち出す向きも少しはあるかもしれないが、経験的にリベラルも含めて、潜航的に対処してきたはずだ。漏れはどうしても防ぎきれない。そこは逆に市民からの発信が大事だ。今、インターネットが即時性において、質を問われることなく新聞、雑誌、書物など紙メディアを凌駕するかのような印象を振りまいているけれど、紙メディアの質保証をしっかり持続或るものに出来ていれば、たとえば、ごくたまに起こる太陽の巨大フレアに脆弱なネット社会では、絶大な支えを提供する。紙幣とか現金取引もだ。ローテクをいつでも代用できる状態にしながらネットとかデジタル技術を応用できていれば万全の一面を補って置ける。
ここらの厳しい視点も弁証法一本やりの手法で現行の紙、マスメディア系は自ら落とし穴にはまり続けている、感じだ。売れなくなったらどうする?と年取った探偵稼業からは心配してしまうが、ひょっとしたら大丈夫な状態が続いているのかもしれないけれど。
そして先の通りだけど若者層にはこの観点も取り込んでもらって世の中の変化の趨勢を体験し続けてもらいたい。果たして、期待通りに中国なりの民主化の形を提示してくれるのかどうか。今晩のやはりBS-NHKで中国のトラック運転手諸氏の活躍や貧富格差問題など紹介していたけれど、中国ではベーシックインカム概念は通用しないのかどうか。市民的な水準を保てる個々を育てる啓蒙とそれらが安心して働ける職場を育てることの過程に離合集散は当然ありうる。(実質的なふるまいとして集団にも個々にもだけど)やくざなままでやっていけるはずがない。市民社会の脆弱さへのかつての「突破者」による指摘は重要で、人付き合いを億劫がることなく積み上げた人々の”実力”からすると、市民社会の形式性は本当に実質的に脆弱とならざるを得ない。そこを潜入系の公務系が支えることも時と場合によってはありうるのだし、通常は市民たちが切磋琢磨してお互いの尊厳を保ちあう協働性の中で育て合えることが大事になる。年寄りを悪者に仕立ててわが身を守るだけの介護職などありえないのが市民社会の一応”掟(おきて)”だ。
介護現場に限ってならその上で自由度を応用し合うことが重要だ。もう少し、色々試してもらえるとありがたい、と住人の立場からは言っておきたいな。俺はそれなりに稼いできたから、な。自慢してるわけじゃない。ただそれを棺桶に持って行く気はないから。使いたいわけさ。でもだ。上等な施設に入って、日々贅沢するつもりもない。毎日はそこそこの生活ができてればいいんだ。でも沢山使って、少しだけ使って、時々の目的を達したい、わけだよ。そういう介護施設のあつらえ、あるんかい?それにやけに面倒みたがるというか、煩(うる)いんだ。あれやれこれやれ、何時だからなにしろ、とかさ。何十年間も身に着いた習慣てのが既に出来上がってるからね。それになんら関心なく、いきなり施設はこうだからってそれをあてがわれてもな・・・。高級な毎日なんてちっとも希望してないし、低級な施設だから介護職の言うことを聞け、ってのも論外さ、介護保険だから、基本は。
って、なんか愚痴っぽくなっちまった・・・。
公務系とか民間でもそういう枢要なポジションを掴んで、ある時、そういう貴重な機会と出くわすこともできる。その時、それまでの熟達が物を言うってものだ。それゆえに可能になることが山ほど想起できる。
そうではない今の若者たちだって、観点の違いが大事だ、ということに気付いてもらえれば、今度は大帝国タイプではない市民社会のグローバル展開の技の開拓に向かう連中も出てきそうだな。いつになるか、年寄りには予想もつかないけど。

 

君:気宇壮大、ってとこね。でも、参考になったわ、よ。探偵さん。いたずらに乱暴狼藉なことに誘うタイプに気付けた場合、それはどうやら探偵さんが言ってた舞台には相応しくない人たちのこと、そんな風に気付いていいわけでしょ。だけど、際どいくらい厳しい品定めはずっと続くのよ、ね。そこは私なんか、ストレスに耐えられそうにないわ・・・。
私:なーるほど、キミにそう言われて、探偵氏の言ってたことのどういうことかってのが、なんとなく伝わってきた気がしてきた、よ。
君:よくはわからなかった、のね。あなたは・・。
私:・・・・。
探偵:あんたにはそれほど期待してないから、いいよ。その程度わかってくれれば。
私:・・・・・。
君:そうしょげないで・・。ね、探偵さん!
探偵:そうだよ。そうだ、そうだ、お茶しようよ。元気、でるぜ!
私:・・・。
君:探偵さん、そうしましょ!
探偵:おい行こうぜ、もぉ、その程度のことで肩落とすか?しょーもないぞぉ。
君:ね、そうよ。そうよ。元気出して、とは言わないわ、さ、散歩、散歩、歩きましょ。そしてお茶しましょうよ。
私:うん・・・。
探偵:介護の仕事、今度のウイルス騒ぎが起きても、休みとかにならなかったじゃないか。収入に影響なかったんだろ。いわゆるエッセンシャルってやつだろ。気構えが、大事じゃないか?
私:・・・。確かに・・・。そうだ。そうだった。そうだよ、ね。うん、うん。
君:何気に、単純。あなた、って・・、シンプルに・・・。
私:それ、褒(ほ)めてるの?!なんとなくうれしいなぁ。
君、探偵:いいんじゃない、行こう、行こうぜ。