連載は続く~SF 掌編『水は確かに(高低差を)流れ続けるしかない』編

時々4K番組を見る。
そしてつい感じてしまうことを一つメモ書きしておきたい。
焦点が合っている合っていないが有意な事態として目に入ってきてしまう。
わざと焦点を合わせてないのかなんなのか、とにかく普段の視線ではあくまでもどこもかしこも視力に応じた見え方をしている錯覚空間、見え方として感知している。
けれども、カメラが納めた画像では、やけに焦点が当たっている箇所とそれ以外がくっきりして見づらい感を否めない。
これは先のように満遍なく視野を移動して周囲を感じているに過ぎない個人の錯覚なのだけど、画面の全体に視線を配ってそれがたっせられないもどかしさを瞬時に感じてしまうわけだ。
つまり画像が鮮明になればなるほど、3D画像とはまた違ったジレンマをかこつことになるのではないか。そういうこと。
深い焦点で撮ってどこもある程度一様に見える感じにするのか、焦点が当たってしまうのは仕方が無いのか、意図的に焦点を当て、それ以外は当てないという作り手側の作為を優先させるのか、いくつかの思惑は浮かぶ。
また焦点を当て損ねた画像は更に感知の上で落ち着かなくさせる。ここらは画像鮮明化ゆえの問題と思える。

これからはひょっとしたら10年ぶりくらいになるけれど、少し書き込み頻度を多くできるかもしれない。ただ、ちょっとした思い付きっぽい書き込み、メモ書きのようなのをつい書き込んでしまうかも知れず、そこらは悪しからず。

で早速。
流れは起点と終点が成立したときに流れっぽい現れ方をしているようだ(当たり前と言えばそうだけど)。
ここらはあくまでも水の流れ、を見て指摘していることを断っておきたい。
関東平野での流れについて、おなじみのカシミールの高低設定を100倍にして見てみた。
すると大きくは霞ヶ関方向への流れ、現利根川筋への流れ(千葉の高めの台地がこちらと反対側を分けている)、東京湾への流れと顕著だ。
列島、とりわけ関東平野周辺に住み慣れた人々が弥生期とかの変動以前ならかなりずっと似た記憶を伝承してきていた可能性大なのだし、偶然が重なった列島においては弥生期の変化を経てもお互いの記憶として海進(海岸線がぐっと内陸に来ていた頃、そしてそれ以前の逆に海岸線が東京湾の先の方まで水深にして100m近く下がった時期の記憶があったかものような観念の考古資料を知りたいところだ[海の中に埋まっている])を意識した立地が残っていた感じなので、ある時期に限っての急激過ぎる変化ということが列島でもありえたろうことは、素人でも一応踏まえている。
とにかく氾濫させながら付き合ってきた人々にとっては大きな流れの3つを意識していたように想像してしまう。
で台地の高さ、安定さなどを巧みに使いこなしてきた人々が川筋をも意識してきたかもの辺りにも気づかされる。
過去のヒトの生活の動きなど想起する時、少し、こんなことを整理してみた。

* 茨城県那珂川筋も加えることができるけれど、ここでは端折らせてもらった。
  ただし、こういう出口のところには大きめな神社(神社化以前からなんらか意味づけされてきた証拠)とかがある感じだ。