連載は続く~ SF掌編『インターネットを使える今日この頃ゆえの政治の論』編


物事に度合いを見る。行過ぎ、とか、足りな過ぎ、とか。
ネットのヴィデオ上殺(や)られたことになっていた過激な取材とかの人々が実は生存していた、というそういう立場で時代を画す事件に”参加”できているなら、極端な度胸試しにあったけどラッキーですませられるかもしれない、結果的にすぎないだろうが。
けれどもそういう事件群の中で、戦乱にまみれてしまった土地柄がグローバルには散らばっていたわけだ。そこを見失うわけにはいかない。
だから思惑がどうあれ、戦略、戦術上の問題ありだったわけだし、それは早急に成敗されても当たり前、と素人的には頷(うなづ)ける。
で、それ以外にも、期待されていた内容とはどうも違うらしいことになっていた皆保険に向けた試行についても、結局問題ありだった前政権について、傍(はた)からは、LGBTくらいだったんじゃない、と指摘してみたわけだ。
ここらについてもインターネットを使えるようになったから、自らが素材を整理して、専門的事情通としての評論家じゃないけれど、ことばにはできるようにしてくれている。
画期としたくて起こした先の事件群については、オバマ政権までの問題群として列島では情報がしっかり提供されている。素材とか参照して自らが調べなおせるくらいの質量を提供されているのだから、それをする時間的余裕がある諸氏においてはきっとそうなさってきたことと察する。
今話題のUS民主党系の諸氏のことは置いておいて、有名なオバマ氏のご夫人の発言が、この間のUS大統領選に向けて事情通諸氏が発信されていた頃に指摘されたことを思い浮かべながら、なるほどと思って受け止めさせた。
筋金入りのある種の人権に積極的にコミットしてきたし、言葉も持っている人物であることを感じ取れた。
その夫人が出ていたら、違ってたんじゃない、とかその頃に指摘されていたのだ。
ただ、夫氏が敷いてしまった危ない路線を別の脈じゃないところから制御できたかどうか、といういかにも外野的な心配発信は可能だ。
いかにも政治的にことばを営んできた人々はことばが不自由になる。
現US大統領は言われるとおりにビジネス系発想でことばを操ってきた人物で、だから激しくことばをぶつけ合うことでちっとも疲れないタイプのようだ。
そしてビジネスよろしく取引の条件を交し合って、それまで激しく罵(ののし)り合っていたとしても、落としどころを確かめ合えれば、(ビジネス上の)お友達になってしまう。
そう受け止めることができるなら、これまでの不思議な関係作りの実際を飲み込める。
多数シーア派の考え方がイスラムな昔からの商業発想をこなしているなら、同様にことばの競い合い、強烈な応酬とは裏腹の取引の巧み(値引きさせるとかそういう日常のやりくりも含まれるような)、が効果を出して、次なるステップは心配させておいて、なんだこりゃ?!の奇蹟とも成しうる。ここらは素人の期待でしかないかもしれないけれど。
列島発想だと実際的だから、そこらは逆にかえってわかりやすい。だから理屈の筋の何に固執する生活習慣を身につけているかどうかを、予(あらかじ)め気遣えるような習慣がないと、つい、実際的な反応を相手諸氏に求めているかもしれないわけだ。または、そういう他人事観察眼に近いところで流している。
それでもマスメディアシャワーで育った年代が大勢いるし、逆に、地域社会の広がりにおいて雑多な利害、人格のせめぎ合いを通過しないで、狭い内輪を渡り歩く携帯年代が、マスメディアシャワーのバイアスを希薄にして育っている。
つまり啓蒙体験の質がかなり異なっている。
で、ネット以前の体験が物を言って、思い込みを体内的に形成した諸氏においてはたとえ芸術系な方々であっても、US民主党は弱者とか人権とかによりまともの取り組んでくれる、と見なして、その対比としてUS共和党はしょーもない保守派だ、とか思い込めている。
ネットな諸氏においては副島啓蒙発信以後だから、共和思想は革命思想だからね、と通常の解釈を可能にしている。それでも、戦争したがるのがUS共和党だろ?とか思い込んでいる可能性大じゃなかろうか。でも列島マスメディアシャワーを浴びて育った世代だと、そうじゃないんだよね、実はUS民主党が怪しいんだ、とこれも普通にことばが出てくると察する。
オバマ政権までのお金の流れが結構支えてもいたらしい、ということを列島ネット発信からは探れるのだけど、その帰結がヒトの命の値段の値引きだ。
簡単に沢山の人々が自爆攻撃に走った。自分を値引きしてしまったのだから、他人の命の値段も自ずから値引く。自分よりはかなり低く見ると想像できる。だから自爆攻撃できてしまえる、とも言える。
できれば、たっぷり値上げ交渉してもらいたい。そりゃ払えないよ、というくらいのところまで交渉してもらいたい。その時に、命の重みとか、ライアン二等兵物語の示唆、生産活動の直接の担い手が一番の基礎になること、だから、命を失うな、その代わりに家族とともに生活のなんらかに向けて働いて、稼いだりして、で年取って天寿をまっとうする。
そう考えられるならば、大国だから危険すぎる諜報活動を担ってくれ、さらに戦闘の最前線でプロの働きを担ってくれとかの意味を含ませた、USファーストは中止してくれの論の含みがいかにヤバヤバかがお分かりになると思う。
それを今は一方の正義の味方を応援している優しい自分とかの姿で率直に口にされている沢山の諸氏をテレヴィを通して列島の多くの人々が見ている格好だ。
じゃ、その力の向きを利用できなくなって、列島事情はどう応じればいいの?同じことを列島のやれる規模でやるしかないの?と恐らくは反論は出そうだ。
散々に浸透させてやっとできることを、直ぐに形だけこしらえても実質のところでできっこないし、その浸透の過程は、たとえばジャーディンマセソン商会以来かそれ以前くらいからの経験の積み上げ打よ、とか指摘できるはずで、そうなると、もう桁違いに質が劣るところからの出発ともなりかねない。
経済大国を演じさせてもらえた1945年以後のある期間の偶然は、一回性の出来事に近い。それでも各土地柄の事情を踏まえた共同は可能。そこらは事情通諸氏の活躍のしどころだ。
経験の少なさを補うにしても、共同の形の模索はまぬかれない、ということ。
しかも、物騒なヨーロッパと比べれば、東アジア圏は、犯罪捜査のネットワークをしっかりしておけば、生真面目な対応でなんとかなる。
とにかく人次第だ。と散々ことばにしてきている。勢力を頼むのは二の次。
でその人はといえば、あるポジションにたどりつくまでに沢山の人々と関わり、お世話になっているのだ。
だから安直に、人次第ということでだれそれはどうこうだと評価して依存するようなことばを放つことも相当失礼なことになる。
つまりいつのまにか偶然が幸いして協働性が発揮されて何事かが成されることもあれば、残念ながら、かすっただけで、協働性とまではいかないようなこともいくらでも起こってしまう。
だからこそ、脆いデジタル系だけど、幸い、今は、セキュリティ部門がしっかり機能していてくれれば(裏方仕事+安心ソフトの気前の良い配布など)更にだけど、安価に手軽にネットを使いこなせるので、そこでの情報受発信を活発にし、で、地域社会の雑多関係を通過しにくい年代諸氏においては、是非、武者修行のつもりか、他人のめしを食う体験を子供の頃に体験できるようにして、他人のことを仲良く面倒も見てくれるつながり感のところで先入観を育てられるようになるといい。その上で、人格の形成の様々と遭遇して、先の耐性が育っているゆえに、そこでめげずにお互い様のところで、ヒト体験し合える、ようになれば、介護の世界にまで簡単に波及する。列島では多数派がそういうことで成り立つ。中には、悪に悪意から引っ張る少数もいるかもしれないけれど、先の耐性が育っているなら、一歩手前でヒトを見抜ける。人付き合いの悪さを率直に発揮できる。そこを無理強いするほどの悪は更にごく少数と察する。でそのくらい極少数のところは公務系がしっかり見ているはず、と想像できる。ここらは余計な憶測だから、読み飛ばしてください。
ただデジタルの偶然環境を使わない手はない、と指摘くらいはできる。しかも地域社会育ち年代の偶然と、そういうわけにはいかない年代の補いの工夫はきっと要る。
US政治環境についてのマスメディア情報を踏まえた想像からすると、そこらを戸別訪問とか日常t期政治活動で補ってきているように受け取れる。ただそれを列島の基盤にしてほしくはない。ゆるい土地でのつながり感の方がある意味応用のやり方次第で自由を漂(ただよ)わせられる。
込み入った事態を腑分けしたかったけれど、思いつくまま順の記述なってしまった。
列島でも影の政府が必須だの論は未だ記憶に新しい。
先輩格のUSでは恐らく当然のごとくしっかり支え合っている。
雌雄は選挙で決する。それを本当は当事者だけど(お金とか権力・権限の類を)持てる人々は、映画『ペリカン文書』での立派な老人のように決していつでも安全とは限らないのに、だけど心は距離感を保って、威厳は保ちつつ寛容に居る。
現大統領は表のメインストリームな脈に支えられて今の立場にいらっしゃる。
対抗の不正選挙を捜査されている氏は、影の政府人脈に実質は支えられているようだ。
けれども、USの政治的上層は選挙の洗礼を通過させて、決着を表ざたにする。だから今、騒動になっている。
事態の進行形はネットが今や主流だから、よーくわかる。
規模は必要だけど、証拠が示す不正の度合い次第では、影の予算が膨大だとしても、折れるしかない、と素人は見る。今の騒ぎ立てている立場が転倒する形だ。
しかも表向きの言論の中味は(露骨に激しいし)左右対立のような格好になっている。
当方は人次第路線で、勢力対立は二の次派だから、そんなのどうだっていい。
大義に将来の展望のある無しとかにこだわれるから、事件群を画期にするような特定の土地柄は犠牲になってかまわないタイプの残酷脈に一応加担はしたくないと思っている。

でさらにもう一つ。
原発の問題。
原爆の材料生産の為の装置の発想が基本になっているタイプを伝承していることはもう有名なことだ。でも本体のUSでもオルタナティヴな開発はしていたのだった。
でもずっと核の均衡を元から崩すほどのしっかり系の論が開拓されなままできたのかどうか、惰性タイプのままだ。
列島出版がしっかりフォローしているので、その新書を探して読み直してもらいたい。
ウランじゃない。原料を違わせるだけでかなり違った営みが可能になる。
でもそうしてこなかっただけ。で大変なお荷物や事故のときの取り返しのつかない質を生む。
同じ量の放射能がばらまかれるとしても、爆発的に散らからせるとの、もやっと拡散するのとでは濃く残る残り方が当然違ってくる。そういう心配も要る。
大火を爆風で消し去るその時に生じていることの類推とか参考にできないか。
原発のタイプがそもそも危ない方で惰性にしている問題は、専門家、事情通氏がすでにUSで試されているオルタナティヴを先の新書の著者以外にも沢山、発信していておかしくないのに、そうしてこなかった。
ウラン→プルトニウムが万が一のときに使えるかも、の思惑が勝っている。それも使えない均衡を保つ危うさの中で。ここらは人次第の巨大企業依存に似ている。
どう参入が可能になるのかをめぐる社会工学パスカルの原理はあらゆる局面を想像できるかどうかにかかってくるのだから。
で、その時に筋の悪さを判断して、画期となる事件群の条件付けをした資金力は困ると素人は発信してしまうわけだ。
年寄りの対抗の氏が現職を維持できなくて代わりの女性が入れ替わるのだから、という思惑にもだから先のような答えを用意してみたわけだ。
それだからって良いわけないだろ(には二つの理由、オバマ政権以来の惰性に戻りかねない。選挙という基本を逸脱している。)