連載は続く~SF掌編『流れ、流され、溺れずに、杭とか棹につかまるソーセキ?』編


事態は変化し続ける。
ワンパタンと部外者からは読み取れるような進行を再び示される場合も起こる。
そういった場合は、矢鱈と固執した脈が居て、その固執の形を、勢力分布の舞い戻りなどが成ったような時にも、生じさせやすい。
なんとかの春と敢えて類推しやすい表現を取る。
その過程は、地元の沢山の人々を深刻で悲惨な事態へと追いやったのが事実だった。
世界の目から見て、同じ時代の進行形の事態とすることで、気持ちにとって、それゆえの心身の健全性にとって良い作用として働くとはとても受け取れない出来事だった。
或る偶然的な、幸運的政治の変化が生じて、それは或る落ち着きを油断のない形で成されたように受け止めたのは、(国際政治とかについて)素人な老人だけではない、と察する。
ところが、二月のもう少し先まで様子見でふれないことにしているそのちょっとした期間の中、一方の圧を受けにくくなったのかなんなのか、煩型が出ようとし始めている感じだ。
実際の出来事として、これからニュースに登場するようになれば、かつての有名人氏が示した決まり文句、二度目(再演)の愚の登場、ということになる。困ったことだ。
中身に演出の要素がかつての出来事に含まれていたとしても、そのノリの中で実質の厖大でヒドイ犠牲を生じさせていたのだから、言い訳は効きにくい行為の群れだったと素人からは指摘できる。指摘だけなんだけど。でも言っておくことも大事だ。
ラクリ面もふれられるようなことになるかもしれない記述はしかし、もう少し先になる。

で、ワクチンをめぐる騒動は、或る時のための予行練習的に受け止められれば、多少は関わる人々の熱意として素直に受け止めやすくさせる。
多少、意地悪くとか、マイナス知見をたっぷり持った観点を作用させると、今時、ネット発信で読めるキツメの発信のようなことにはなる。
実はお金を巡らせて、上がりをちゃっかり頂く広大なシステムの一環なのでは・・のタイプ。これも見方によってはかなりリアルに近そうに思える。
一方で、今回のとは違って、初めてな上に全世代にわたって、かなりきつく症状を体験させるタイプが流行してしまった場合、対処のプロセス、そのごく初期から順を追ってのなにを成すかは相当にシビアに、判断次第で展開が極端に変わる、という考え方を踏まえた、想像力が要るし、判断のことも含んだ試行錯誤が要る。軽い場合は、それなりの対処を練習できないといけない。今回は踏み外して、大変な場合を疑似的にシミュレーション練習する方を洗濯してしまった後と、今なら言えそうだ。
だからネットでのきつい発信の諸氏の(発言の)中身を参照しつつも、実際の現場諸氏については素人老人ゆえ同情しながら、でも言いたいことは言うようにしているところ。
諸氏においては、特に、政策を変化させたUSがヨーロッパと同じように振り回されることになるかどうか、進行形として検証できることになった、と素人の関心の向きを指摘しておきたい。同じ様子見でも、こちらは実験的観察なので、興味は尽きない。否、前大統領の策の巧妙さに立ち返ろうで、”民主化”の件も含めて、スタッフを再啓蒙するかもしれないし、そうなれば、経済策と(感染症感染を多少気にしないで)動ける膨大量からして、景気の文字になんらか色付けが成されてしまう。がこれももう少し先で書き込む内容。
ヨーロッパでの悲惨な出来事の頻発も再演し始めるつもりなのだろうか。散発的にはくすぶってきていたのだから、資金とか囁きの脈が押し出す機会を得れば、また、物騒なヨーロッパになりかねない。そういうヒマはあるはずがなくて、油断するヒマがあれば為すべきついその先の準備が溢れているのが、たまたま偶然に豊かさも一方で持てている欧米や中国ほかの諸国だったりする。グローバル展開では、格差問題を抱えているけれど、とにかく食うに困らない設定で暫く試行錯誤できる諸国も無視できない数、人数、それを担える偶然の機会とも遭遇できている。だから、準備もやろうと思えば、できる。
けれども、何気に、危ない緊張感を持ち寄りたい脈がこっそり居て、それへの圧の多少次第でのさばろうともしているわけだろう、と素人なので、勝手に想像している。

すごく厚くて、かさばるような冬物セーターを寝起きの寝ぼけた状態で着ようとして、うーん、苦しいわ、どうしてなの?と若々しい頃に、50mプールを潜水で泳ぎ切ろうとして、男たちの視線を少しだけ気にしながらも、水面が光と戯れている様にうっとり、潜っていることをすっかり忘れた自我が、更に妄想を逞(たくま)しくして向こうへと急ぐべきところを、イルカのように身体をくねらせて水中を舞ってしまって、外の男たちの視線は釘付け状態なのだが、それとはいざ知らず、すっかり良い気持ちになって、キラキラ、モヤモヤの水面の模様の変化を楽しんでいたところが、いきなり苦しくなって、どうしたの、私?私だけ、ここで苦しんでいるの?とすっかり水中、潜水状態であることを忘れた某嬢、しかしいつのまにか”対岸”に近づいていて、イルカよろしく、一気に水面に顔をだして、ドバァーッと水しぶきとともに水も吐き、息もついた。注目の男たち、それと同伴の女たちは、すっかりびしょ濡れ。そう瞬間にかつてを思い出し、先に行けばいくほど頭が出にくくなるこの状態はなに?と少しだけ冷静さを取り戻し、そうだ、先細り、そうなのね、私の人生・・などとは考えず、腕よ、腕、腕、そでのところに頭突っ込んでんるんだわ、きっと、と探った。そして、その通りだったから、笑うこともわすれて、息継ぎのために、素早く頭を探して、無事に頭をだした。
ふーっ、と安心できた時、陽射し、陽の明るさに目覚める。
なんてことを、多くの諸氏においては体験されていることと察する。
日々ストレスを負い、つい追われて息せききっての夢を身がちかも。
それでもなんとか息継ぎできてる幸運を楽しみましょう。

つい数日前、ラジオにて、最近はテレビの方に移り勝ちで、ラジオの報道を聞くのは偶然の時に限られる。その偶然から聞けた内容。
若者が、しかも無症状でPCR検査では陽性だった諸氏において、深刻な後遺症が見られる、と渋谷の開業医氏がインタヴューに答えていた。
聞く方が、と素人の欲の方で期待してしまっていたのだけど、では身体の中ではどういうことが起こっていたのでしょう?と聞いてもらいたかったけれど、そういうニュアンスでの接近は一切なくて、対象療法に向かう、対象っぽい症状をめぐって、大変そうな話のやり取りに終始していた。だから、即の当方の反応はこんな報道内容でいいのか、とかなり瞬間湯沸かし器の中古もいいろころ版くらいの反応は老人的に生じていたと振返らせる。
でも、老人だから、更に、反応を変化させ、起こっていることを知ることができて貴重なニュースには違いないんだよな、とも受け止められた。
そこから素人老人ゆえ、飛躍して、そうだ、初期の頃に、PCR検査を列島中にできていれば、しかも効果薄にならない工夫をしてだけど、そうしておけば、今、今後、初めてには違いないけれど、中には、免疫を持っているやつが生き物世界の不思議でいるかもしれないし、そうでないかもしれない、リアルな様を列島版サンプルとして示せたのでは、と思えたわけだ。
もうすでにその機会は失している。PCR検査をいつどうやるか次第の問題関心をやはり専門家、研究者水準では日頃育ててくれてもらわないと、な・・など偉そうな意味ではなく、素人の素朴だけど、ひょっとしたら役立つかもの関心から指摘してみたい。
今の流行は、罹る老人の体調によっては初ものゆえにとても辛いことになりかねない。これはどうやら事実のようだ。
しかし、それに関わるのが治療薬だったり治療の仕方の可能性を完璧に否定はできない知見の流通状態だ。そこらは早めにしっかり整理してもらいたい。AIでの論文整理発信はそれっぽいのだけど、どうも関心バイアスがそうなっていないまとめになっている、答えになってくれていない、ととりあえず指摘できる。
全般的には軽いタイプのコロナ風邪の一種の初物に近い、と察するので、今時の騒ぎで実害が出ない範囲で、お互いの発信を責めすぎないようにしたい。
けれども、着実な知見として整理できて発信し合える熱は失いたくない。そこらは井原西鶴氏の貪欲さの商売版じゃないタイプでの応用っぽい。