連載は続く~SF掌編『三代の継続で200年間くらいは生々しく伝わる』編


相手が応じてくれるかどうかとは別に、介護する姿を観察できる位置にいれば、だれとなら頼りあえそうだくらいの判断はつくくらい、もろのところを表現し合える。
もろというのは、他人とどう相対してくれようとしているか、といった辺り。
だから介護職としての表現で介護しているだれかのことがわかってしまう。
ついでに介護する相手も、それなりにわかってくる、ということも添えられる。
そして、年寄り観点から指摘できるけれど、恐らく、いざ介護するとなると、90%以上の諸氏が露骨にやばさを表現してしまう。今、そんなこと自分には起こらないとか少しは介護わかってないしぃ・・とかでそれほどのことは起こりっこない、と思われているかもしれないけれど、間違いなく、9割以上の諸氏において、ヤバい方に向かいがちにする。
当方のわずか10年程度の経験でのことだから、たまたまそういうこともあるで、聞き流してもらって結構だけど、一つ。
ごく初期の仕事関係の中では、遅いなとか(以前ちょっとふれたように、早くこなす手法をとって身体も素早くこなせば相手がどう反応しようがのやり方になるけれど、とても早くは出来た。ただ二度とそういうやり方はしないことにしたこともふれた。胃瘻の方が、そのやり方嫌・不快、の表情をされたのだった)とかで叱責系の対象になりかねない。仕事っぷりを知られるようになってくると、休憩とか食事時間を多少切り詰めるのは本人のことだから、で流してもらえるようになる。そういう”リスク”を負うことを承知の上で、介護の際の相手の反応、声を聞くようにする。相手のリズム・ペースに応じるやり方を取る。すると、とにかく、本人からどうしてもらいたいなどの具体的な要求を言える方ならばそうしてくれる。話だけはそうして、実際の介護は力任せ、だとことばでの率直な、ないし素直な要求は指摘してくれなくなる。言ってもしょうがないだれかになってしまう。
それを施設での介護なら担当する相手諸氏の数だけこなすけれど、そのたびに全てとなると時間は足りっこないので、そこらは臨機応変が要る。
でわかってくることは男は男なりに、女は女なりに乱暴な介護にしがちなこと。
でも我慢の世代諸氏が多いのはたまたまにせよ、継続中。だから、表には出てきにくい。
介護担当が、得る枠スタッフに言われる”リスク”さえ”我慢”できれば、それなりの気持ちのところをことば表現で発してもらえるわけだ。
そういう、9割以上の諸氏が仮にヤバイ方に向きがちだとしても軌道修正できるきっかけを持つことができる、といった辺りに気づいてもらえるとありがたい。
でも惰性だと、気持ちの方で、ヤバい方にまっしぐらだし、政治家とか有力者に圧力を加える手法と似て、同じ穴のムジナでしょの圧を自ら感じたり、他者から仄(ほの)めかされたりで、ヤバいことへの加担→口を閉ざすとか自発的抑制に向かいがちにさせて実態を見えにくくさせる方に自らも加わってしまうこともありうる。
かのUSのナーシングホームですら、だったのだから。

人生百年時代を意識していたわけでは決してないけれど、人は、ヒト性で関係し合っているわけで、かくありたい、かくあるべしで括(くく)り切れない。
そんなことは田舎育ちだと人にもまれてかなりの若年時に気づき合っている。
上記とは違って、気ままな人生たちはごく少数だ。
ほとんどが対となってしっかり生活を営まれていらっしゃる。
それでも介護の経験からして、そのほとんどのほとんどの諸氏において、人生の余力をより多く残した状態で再び対とは異なる人生を歩むことになる。
欧米流として喧伝されることの多い、子供は早く独立して一家を構える風、を実践されているようなら、更に、独特に、単独生活者が目立つようにもしうる。
気まま系は、それを先取りしたような形になる。
気ままであっても、その多くは列島育ちの場合、そこそこ堅実と察する。
偶然の出会いはいつでも起こることだから、心を占めるだれか、がいるかいないかは、その時々の反応を決める、かなり。
たまたま心に占める具体性が希薄な時期だったら、お互い様を発揮する方に気持ちが動くかもしれない。
たまたま心に占めるだれかがいるなら、お互い様性を意識し合える間柄を意識できた時点で、そこらは開陳されていることだろうと堅実さ観点からは指摘可能。
そういうヒト性の無理のない姿勢を田舎育ちの諸氏においては若年時から持っているとか他人に想像できると察せられる。
だから、将来、気ままなキャラどうしとして再会するような時にでも、その時点で心を占めるだれかが居る?居ない?の表示をできるその時点、今の時点での間柄が成り立つキャラかどうかで、親密さへと向かう間柄に育てる気があるかどうかの判断がつく。
何気なく、今はだれそれが心を絞めててぇ・・・・。みたいな発信を感知して、なんとなく再会してみたいな、偶然でも、距離感を保てる間柄が、大事だ、程度を指摘しておいて、人生百年時代にも、それはかなり応用できそうだ、と思えているわけです。
とりわけ慣れ合い関係のためのいくつかをこなした間柄はそれが、屈折を生じさせやすくもする。
それが密な証拠だと思い込める諸氏はそうすればいいけれど、人独特の”引力”問題を控えさせ続けて、素人観点では、よろしくない。
一時に心を占めるのは少ない方が、ないし一人の方が、相応しいと素人は推測する。
で、個人的に濃密に話がしたい・・程度でも、心に占めるだれかと会っている時に煩くされても、ということが起こってはまずい。心に占めるということはそこに自ずから優先順めいたのが生じている。
それでも、どうそ、なに?とかで受け入れることは可能で、工夫しだい。しかもことばも工夫しないといけない。どうぞ、なに?では(心で)叱られる。
つまり、心に占めるだれかという相手の状況をお互いが尊重し合える関係とか将来関係とかを承知し合えることばのやり取りは、若年の頃から要るな、という辺り。
田舎者にとっては普通に発想できることだろうけれど、今時、田舎者はごく少数だから、どうなっていることやら。


森博達氏が分類した日本書紀ということを参照資料に、疑問を持てる。
(万葉集表記の独自性から)問題の多い中大兄、天智を指摘できるとして、その巻や九州王朝否定派諸氏において歓迎できると勘違いさせかねない、雄略の巻を中国で伝わりやすい漢文の書き手に編集させていることに、どういう思惑が働いていたのか。
天武の2巻はむしろ国内向けに近い。
持統の巻は混合。
蘇我氏との揉め事や白村江事件を挟んでの頃のことも漢文の書き手に任せている。
聖徳太子の頃のことは、国内向け。
ただし、α群の後者、第24巻から第27巻までの25、26、27(、29)巻は「云云」省略が多用されて杜撰と指摘されている。
α群の前者、第14巻から第21巻までを、誤解少なく伝えたかった、ということなのか?
九州王朝説を否定する諸氏においては、九州王朝系の人物はなかったことにされがち。
九州王朝を認める諸氏は、資料の中の混ざり合いに注意深い。
注意深いけれど資料が少ない中で、特定の困難の最中が継続中ということもありうる。
素人が追いかけて追いつくことは無謀過ぎるので、することはないけれど、整理の巧みを早く読みたいというのはある。
文献系な諸氏も、考古系な諸氏も相当活発なようで、期待が持てる。