連載は続く~ SF 掌編『数日はいいお天気かも』編


 大昔から遠隔地交易と濃く関わって荒稼ぎしてきた元気なやつらが、世の中の営みにとってそれなりに影響するある筋道とも関わってしまってきたことは、おおよそのところではだれもが認め合えそうだ。
 ついでに、ひとまとめに遠隔地交易と濃く関わってきた元気なやつら、としてしまうことの見なし上での”乱暴さ”を指摘しておかないと、誤解の元だ。
 動物たちにとっては欠かせない塩についての採取や生産や流通に関わる人々について、大昔からの動きどよめくネットワークについてはそれなりに今でも研究が続いてそうだし、諸々の必須かどうかと決めつけにくいけれど、その時期、時期での必需品について、そういった遠隔地間を想定できるネットワークが動的にうごめいていたし、未だにそういったことでヒトの営みの継続性の一要素としている。
 持ち前のスピンなのだから、はじめがただ単調に放射状の爆発であったはずもない、程度の想像は素人でもつく。
 脳の可塑性ということが、動的なヒトほか脳を使いこなす生き物たちの生々しい対応の巧みを説明してくれる。と同時に、一応の起点を想定でき、過程も入り込むから、均して眺めたいとしても、自ずから雑多性を個々性的に生み続けるし、個々的に生涯を終えていく。
 そういう事々の中で、家族とかわかりやすい紐帯因を直観しながら分業なり、協業なりの工夫をしていても間もなく社会的な規模を迎えてしまいがちにするのが人口圧だ。
 遠隔地交易系な諸氏もそこらと無縁ではありえなかった。
 様々な思惑も生じさせるし、工夫としての集団の営みの様々とのかかわり方をも発明し続けてきたくらいは想像しやすい。
 列島にとっての鉄の脈絡ということで、古代、平安期頃までを詳細に押さえてくれる研究が登場してくれていればありがたい。
 古代史の研究者諸氏は、派手にふれるかどうかはともかく、鉄のことは必須の知見として押さえた古代史紹介記事を時に幸運であれば紹介し、一般が読めたりする。
 地球史にとって鉄は、まったくくらいに外せない要素だ。使いこなせたらその膨大量はある種夢の実現タイプに近づけそうだ。
 塩も鉄も、その他、いくつか典型的な物品からヒトの動的ネットワークを使いこなしてきた様をより具体的に歴史知見として踏まえられるようにする。
 シルクロードのことだってより地域地域での密着知見をまとめて、遠隔地交易系と各土地土地での関わり具合の詳細を落ち着かせて、知見とできれば、列島などでは、今に響く知見となりそうな気配だ。
 今でいう宗教がかつてはどうヒトやその集団の営みと交信していたのかは、もっと厳密に探れたほうがよさそうだけど、それについてだって、列島での東大寺経験は、山口氏の紹介からしても、当時における国際が際立っている。エリート層に限られたかもしれないが、具体的にそこらへ関心を持ち、見えない膨大さについての想起を当時のそれら諸氏がどうしたものかなど、小説家の想像力や歴史家の資料遡及性が期待されてしまう。
 ただ、いつの時代でもそうなんだけど、時々の”エリート”層が意欲みなぎって活躍しても、中々集団の営みとしての継承性を育て、実際に次代へと引継ぎ続けることは難しい。
 列島のように、地域地域の自律性を削ぐ形での強引な中央集権の善性志向は、準備不足なところもあり、また中央集権が各地の自律性とどう付き合うことがより適切かなどの思考を何段にも積み重ねたり、かき回したりなどを経ていない突貫工事起点ゆえに、更に、短期に営み上の不都合から、オルタナティヴによる代替現象を生じさせざるを得なくして、オリジナルな試行のタイプは頓挫してしまう。だけではなくて、中央集権志向の使命が、各地へと拠点を置く動作を不可欠にして、各地の均衡をバラす役を提供したりなど、争いの素まで提供するようなことにして、各地が追々戦乱の巷の一面を帯びるようなことにしてしまう。
 警護役や戦闘員やの組織的な対応が自ずと必要になって、今の冷静な頭からすれば、トンでもな巷に傾きがちにしてしまう。
 それでも指導層は中央集権の使命を帯びていたのだし、各地は各地で、食っていくことの基本を踏まえて研鑽していたのだから、殺し合いの異常さくらいは、簡単にお互いに問題視し合えるけれど、土地土地、個々のキャラ次第で、面子とかその手のこだわりも作用するから、上手にまとめるという程度のことでも、面倒なやりとりを招きかねなかったと田舎の列島育ちからは想像したくさせる。
 今日の視線からだと、福祉程度のことだって中央集権のしくみを採用しての徴税の公平なあり方をいちいち想像しなくてもそういうものだと、一応受け止めて、策のいちいちについて問題あり、受け入れるとかのことを一般の意見として持ち出せたりするものだ。
 でもそういったことを準備しないで始まった試行錯誤だと、それすらお互いに認識を共有できるかどうかのとこですったもんだが始まってしまいがちにする。
 だから列島の諸先輩たちは、それぞれのいきさつから発想は様々に大変な過程をこなしてきたはずだ、と素人老人は想像してしまう。
 大変なことの中には、安全とか情報戦のためとかで、やくざな連中をつかってしまったかもしれない。そうなると、巷も関わらせて、荒っぽいことにしがちにする。
 ゆるゆるで、他人を軽んじる風が、ただようのも困ったことだけど、ゆるゆるを制御するのが荒っぽい力頼り、というのでは、ちょっとばかり時代錯誤的だ。
 多くの土地で、法治の巧みを試行錯誤することを選んできた。
 今でも、どれほど使いこなす準備が整っているかは、ことばにして一般に伝えられることはないだろうけれど、試行錯誤中なことは素人老人なので、多分、と思える。
 お隣り中国は大昔から多民族を束ねてなんぼの試行錯誤の土地柄だ。
 代変わりの仕方が独特なことも学校での歴史本で学んできた。
 土地の広さもともなう大国たちは、それゆえに様々な経緯をずっと育て継承してきた集団の営みを一応まとめあげて、今でなら税収を踏まえた福祉なりをこなす。
 そのありがたみが通じるようなら、構成する各地の集団の営みは、賛同して、納税もするだろうし、福祉を使いあえる。
 列島の中央集権化初期の頃は、うるさいこと言うなの圧を秘めさせていた。だから、主導をめぐる争いが極端な形を取りがちにした。そういう一面を忘れないようにすることで、同じ起点を試行錯誤し始めたときに、同じ過ちをしでかさずに、だけど、中央集権の試行を上手にこなす発想を開拓する余地を生むことができるようにする。

 列島での明治以来の人口分布の推移を図表にしたのが、ネットで読める。
 北海道、東北、北信越、首都圏、東海、近畿、四国、中国、九州と分類されている。
 1884,1898,1950,2000,2015の各年の人口。
 今過疎化が静かなブームだ。
 なのだけど、とりあえず、各地が人口を増やしてはきた。
 2015年と1884年を比較すると、およそ3倍になった。
 イメージとしては、ご近所の近い3件を思い描いてもらって、その二件が明治の頃はなかった感じ。けっこうガラガラ状態。
 列島人口は、1950年と2015年を比べても、大変な人口増を経験している。
 明治の頃の人々からすれば、もう一つか二つ、国ができた感じだ。
 趨勢としては、1950年以来の比較になるけれど、
 首都圏が激増、東海、近畿が微増で、個別県だと、首都圏以外で、愛知(東海)、福岡(九州)、大阪(近畿)が微増といったところ。
 他は、首都圏やそのほかの微増地域がその減分を吸収する形で、微減ないし、大幅減の現象を招いている。
 生まれる人数の減少傾向での総人口減もひたひたと進行中だけど、土地土地の担い手が、明治期と比べても、微増程度の減少傾向にさらされている土地が各県に生じている。
 2000年から2015年にかけて、そういうことが起こっている。
 ここらはもっと詳細に、趨勢やその抱える問題点など行政の方で相当に詰めた対処がなされてそうだけど、実際に、ヒトがそこに住み着いて、土地土地のくせを踏まえた策を練れるような育ち方が継承までいくにはそれなりの年月が要る。昔ほど、面子に忖度しないと話が進まないタイプは住んでいないと思えるので、そこらはなんとかなりそうだけど、ヒトが住み着かないことには話が進まない。
 首都圏は首都圏で、地理院地図の空中写真の最新版を見るだけで、それなりの密集性に気づかされる。
 防災系の関心からは、それなりの、住みあう散らし方が、少しずつでも工夫されることが求められてそうだ。
 今のノリで商売なさっている諸氏には、集積の利を求めて大活躍、という感じで、人口減の巷は商圏の外扱いかもしれないが、将来的には、そういうスカスカな土地柄での商売の工夫が、明治の頃よりははるかに多い総人口下、手腕となりそうだ。

 地表面規模においては、(今時の仮説に反して)地球の事情から温暖化して、氷が解けて、そのきっかけが通常の通り巨大過ぎる氷河の幾分かを溶かしだして、海流に膨大な変化を呼び込み、気象を一気に氷期趨勢へと切り替えることになった時、素人老人からすれば、これぞ氷期ならぬ商機と見たくさせる。
 寒くなるし、過激になる時期もあれば、温暖化か、と疑りたくなるような時期も交えながら、着実に、最低気温時期への超長い過程へ一方的に向かう。
 だから、どこでも一応いつもよりもぐっと寒くなることに向けての商売(のためには商品が要るし、それを作る工作機械とか、いろいろに波及する)が活発にならざるをえない。気象変動の過程をかつての文献記録を持たない現代ゆえ、知らないことだらけなのだが、そこを無事に過ごす工夫も商機なのだし、その後に通常ならやってくる氷期の傾向こそ長期に渡る商機になりうる。
 石炭火力の工夫が環境問題を解決する。(これまでの汚染問題を隠しかねない)脱炭素だと抜け落としかねないのだけど、行き過ぎた、教条化したのは問題と断りつつ、バランスの採れた考え抜かれた環境汚染策としての、地下資源利用の類は、これからもしばらく貴重だ。
 風圧に強い住宅こそが必須の土地柄も各地に生じそうだ(竜巻が激しくなったUSや仏ほか)。水害には船ということで、一週間はプカプカ生活可能な避難用船を低価格で売りまくる業者も出てきそうだ(タイとかパキスタンとか、バングラデシュとか・・)。
 乾燥しまくりで、食糧生産すらできにくい土地柄でも、温室ならぬ、農業用ハウスでの栽培によって、職業構成比がガラッと変わってしまうかもしれないけれど、貧しいけれど落ち着いた土地柄から落ち着いてもいるし、それなりに支払い能力も使いこなす土地柄へと変化させうる。(ハウス+水利の巧みだ)
 これまでは、不可能な方での民主主義手法をなぜか大国の思惑がか、喧伝させがちだったので、結局、地表面規模での真似は招いていない(各土地柄に応じて、昔からの素地を生かす形で、学んだふりして、自前の育て方に成功させた諸国がある程度だ。教条化して過疎化や山を荒したりを急進させた土地柄もあるやに聞く)。
 そういうことを素直に認めた旧啓蒙人脈ならば、自ずから、実際的に機能する民主主義手法を発信することを選んでくれそうだ。教科書が書き改まる。
 治める都合から、各土地の有能な文武に長ける層を合い争わせて、殺し合わせて、勢力を減じる手法を採用してきた19、20世紀タイプの大国のあり方だと、自律性を担い、育て、継承する脈としての育ち方に異常が持ち込まれて、貧しいながらに工夫して改良して食糧難とかをいつでも克服し続けられる集団の営みをこなす集団性に欠かせない人材の豊かさを欠くようなことにさせかねない(だれもが生業に忙しいだけでというのもまずいし、有閑なだれそれとそれ以外というありかたもまずいし、リーダー層と一般の往来が活発だし、層の中身の攪拌が通常的にこなされて情報の肌理が保たれているならばニーズの吸い上げはスムーズだから、それに応じる工夫に即通じる)。

 今時、地表面にて伺える女性蔑視系の様々は戦闘モードの集団の営みが工夫した女性性を保護するための囲い込み系発想がもたらしたものが結構目立つ。
 それを伝統的面子系タイプたちが頑固に継承して啓蒙するから事態がねじれまくってしまう。
 簡単には若い世代が、そこらの問題を宗教が言いがかりをつけにくい脈絡で提示できて、それを応援する老年世代がかっちりサポートしてくれて自律圏の中でやりくりできてしまえることがきっとお互いにとって幸いな事態を生みそうだ。
 戦闘モードへと誘う独特の(超)大国役を担った人脈の問題は、そう長続きするものではない。教授役の旧超大国も政変で大変だけど、そこらはずっと気づいていながら、大国の権威を壊さない工夫を重ねてきたと思える。でも、多分、能力の使い方という観点において実は力不足だったことがあからさまになってしまっている。やってはいけない方にもプロパガンダを使って勘違いの練りこみにしてしまったり、事態を明解に保つことが広い範囲、膨大な人口には必要なはずが、逆の作用を使ってしまうとか、反面鏡役にはいい感じだったりするけれど、それでは超大国がもたらす平穏、秩序には向きにくい。

 唐の時代の高宗、武則天氏の頃の大国の心構えは、今風にいうと、ウクライナでのネオナチまるごとの勢力とロシア語を話す勢力との内紛を即問題視して、解決すべしの指令を出す。
 理屈として、相手を認めないはずのネオナチに部なしとみなされるに決まっているから、唐は、近くの有力な軍と共同で、ネオナチ勢力に、手出しを止めるよう促す。聞かなければ、圧倒的な力を使って、短時日に、治める。
 目的は、王にとっての民という意味での民の生活がいつものように可能になることだから、兵隊とその指揮命令系統の問題のある勢力の方に反省を促して、そこで聞く耳を持つならば赦免して、帰って民のためにその能力を活かしなさい、となる。
 すべてことばの通りだったとは思えないけれど、理念としては、そういう武力圧を誇示することが目的ではないしっかりした(民の自発的な生産流通消費活動をいつものようにできる)秩序観を備えていた、ということが大事だ。
 歴史的経験知見を持つ現代だから教訓をしっかり踏まえて、多分、ほとんどの場合、平和的環境において、多くと取り組んで解決させて行けそうだ。
 装置の備えに不足があって、すべて法律とか決め事から、紛争事案について、いちいちを厳格に取り組んで、となると、担い手諸氏の性格もぐっとものを言い出すだろうし、固く固く、事態をもみくちゃにしがちにする。ほどきにくくする。
 個々の限界ということを想定できた、権威付けの分け具合の巧み、ということも長年月のヒトのやりくりには散見できそうだ。
 とりあえずまとまっている。その中で、仲間間でのやりくりという感じあいが作用している場を想像できれば、それなりの、民主主義といっても、色々に要素の含ませの巧みがありうる辺りに感づかれるのではないか。

 

 

 川柳もどき、しんみり版


 水槽の水質観測用に、たっぷりタニシを入れておく

  冬の寒さにヒーターの中に入(はい)り込んだ子タニシたち

  翌年の寒さに備え、スイッチを入れるヒーターには、

  中が空(から)のタニシ殻(がら)がびっしり