連載は続く~ SF掌編『名を残したいとかケチなことは言わず、チャレンジ』編


 列島古代に条理の農耕地を開いた人々は、たとえば富士山が見える土地柄の場合、見晴らしが良くて富士山を眺めやすく、また近くに曲がりくねった列島的にはそこそこ広い幅を持つ川が流れているような土地を選んでそうに伺える。
 今時は良好な場所を探さないと、立地上は見えるはずの山々が見えにくい。
 それくらい様変わりしてしまった。
 川の流れも、直線流しタイプが好まれて、多くの大中河川がそう改修されてきた。
 それゆえか、大の方は、やたらと広幅な流れとなって、身近なゆったりながれる大き目な川ではなくなってしまっている。
 ダムもできたりで、起こる洪水は、激しい方にしがちだ。
 想像だけど、古代の大き目な川は曲がりくねって流れていて、大雨だと徐々に溢れるように洪水になるタイプだったのではないか。
 だから必要に応じて、避難の仕方を工夫できたし、洪水は洪水で、お土産も残すはずなので、災い転じてのタイプの事象のように当時の人々は受け止めていたかもしれない。ここらは素人想像なので、検証は必要な話になる。
 洪水と付き合って生活が成り立っていたのだから、洪水に巻き込まれやすい土地に無理にとか、知らないまま放置するような形で住宅域が成り立ってしまうようなことも事前に避けえたと想像したくさせる。
 今時は換金策が先行しやすいから、その土地土地の性格をつまびらかにしないまま売って支払い手段を得るような事象が成り立ちやすい惰性が続いてそうだ。

 ヒトは集まってなんとか安心・安全を保って地表面に蔓延ることを可能としてきたようだけど、その流れだと食わせて育てることもしっかりリーダー層には染み込んで自覚され伝承もされ続けてきたと想像しやすい。
 でも、いつの頃からか、自らの、個人の持ち物扱いが可能になって、食わせていくための共用された財産が個人のわがままに使えるものに変質しやすくなった。
 共用の部分と一人前たちが分有してわがままを機能させうる個人の持ち分とが明確に混じっていたし、その巧みな秩序形成を継承しあえていたと想像したい。でも、それがなんらかのきっかけから相当に変質してしまう。
 そうなると遠隔地貿易系の人々は、差異を巧みに使い分けて、大儲けできるようになる。
 その際、今発想できるタイプの貨幣の発明か導入は、かなり役に立つ方で使いこなせたはずだ。
 今でもそうだけど、遠隔地貿易に関わらない人々の集団的な営みにおいては、貨幣的な取引きをはみ出すもう少し一般的なやりとりの方式を延々と継承・伝承しているように素人老人には伺える。
 儲け動機を外せない時代だけど、それでも安売りの実質をいつでも機能させている。
 また、商売の現場で、値段について交渉して、ぼるタイプの取引ではないタイプへとお互いが誘いあうように工夫している。地元のやりとりだから、由来知らずで、実際の相場はわからないような商品をめぐってであっても、親類縁者、知人友人のネットワークの中で、よそ者相手にどういうぼるタイプの商売を演じているかがその具体的な内容の詳細まで地元民ならではの知見を共有できているはずだから、どういう経路を取れば相場なりの値段へと落ち着かせられるかが分かり合えている。イチゲンさんとか、よそ者がぶらっと興味本位で交渉に参加して、ぼられても、そこらは洒落のように流される。
 不良たちも少しは育つのが集団の営み上の生々しさだから、あくどくぼって”しめしめ”とか受け止める連中もでてくるだろうが、そこは程度次第では後々きつく絞られてしまう。


 ご先祖諸氏の知恵の数々を実生活が時代とともに、社会情勢的な変化もあれば、自然そのものが深くかかわる変化も相当に関わって、前提条件そのものが変わり続けるという、そういう影響を被(こうむ)り続けているのだ、という辺りも謙虚な視線を送れるならば、多くの諸氏において受け入れやすいと察する。
 だから思想家のご先祖諸氏のことばをその原型を保って検証できることの必要と並行させて、改良して、時代時代に相応しくオリジナルな思想家が、後々名を残すかどうかなどその時点や近い未来に予想できるはずもないことを踏まえられつつ、誕生し続けてくれないと困る、というヒトの営みにとってのリアルに、少しは気づけることが大事な気が、素人ぷらす老いぼれ老人としては、しているところだ。
 列島はだれとはなくなのかなんなのか、易姓革命タイプでの儒教の部分以外は多分受け入れるつもりだったから、儒教を排除することなく受け入れてきていた。
 でも儒教の事情からすれば、そういう世の中の変動原理と関わる要所を抜きにしてもらっては困ると受け止められたのではないかと素人的には思えている。
 でも、お隣り中国も共和思想を踏まえた営みだから、儒教の芯のところは浸透しずらいはずだと素人は想像したくさせる。
 実際に、恐らくと素人考えに過ぎないが、戦時モードを引きずった大思想の数々は、女性たちに辛い日常を強いがちで、今時の将来展望には不向きだ。だから、当然、儒教系列でも考え方の換骨奪胎を経ての儒教新時代っぽい儒教を発展的に女性も男性も集団の営みを温厚に改良していけるタイプの思想へと改良する思想家諸氏が今の時点で出てきておかしくない。列島でも江戸期に、原典に戻れ的な、学びなおしの気運を生じているけれど、そこどまりだと生々しい変化の時点時点での思想からする対応力は削がれてしまうはずで、原典を学びなおしてなお、その時点での問題群対応としての思想的な改良営為がことばの開拓として、思想の営みとして必要になりそうだ。
 いつでもだろうけれど、原典は限定的だから、多くが読んで検証可能にする。
 でも各自が持ち帰って、それぞれの読みから思想してしまうと、それはそれはの検証作業が必要になってしまう。専門家部門が機能しやすくなるわけだ。
 そこに、今もというか、時代時代にとっての今に問題が持ち込まれやすくなることに気づける。
 どの論をどのようにして信じられるのか?
 そんなこんなをずっとヒトは営んできて、たとえばUKなどはその昔に王立学会的なまとまり感を試行している。
 ただサイエンスの営みはいつでも暫定的な結論を得ての試行錯誤だから、師範諸氏の錯覚的発想からまさに正しい事を教える師っぽく振る舞うタイプの知識扱いではない。
 ただ、どう知識を時々において落ち着かせておくかは、それなりに工夫が要りそうだ。 ということでマクロにもミクロにも思想営為上も、知識改良上も、いつでもそれへと時点時点の要請から原典の思索の質を反省的に踏まえられつつも、挑戦され続けないと、おおざっぱだからこそ普遍的に適用できてしまう理屈のトリック性にこだわらせられたり、個々の具体性のとりとめのなさのトリックに誘われがちにしたりで、一種のサギっぽい過程に陥りがちにされるのを、回避できるようにもするし、肝心なことをこなす方へと時間を費やせるようにもする。


 『古代神社史論攷』(吉川弘文館刊 平3('91) 第二版)の著者池邉氏がはしがきでふれられているくらい、その昔から、考古学とか現物資料と文献資料とを照らし合わせながら研究活動を精力的にこなしてきた専門的技能を有する諸氏においては、文献がことばにしてしまったことの性質を相対的にとりあえず位置づけられるような距離感を得て、自らのことばにされてきている。
 記紀を中央集権化に向けたプラン集と見る素人老人ならではの想像を少し前に持ち出しているのだけど、たとえば、愚管抄慈円氏くらいとなると、もう、教科書読みのベテランになられているくらい、文字資料の力の一面が示されている。
 『古語拾遺』、『藤氏家伝』も既に・・と受け取れそうだ。
 『日本霊異記』の景戒氏は、実見なのか伝聞なのかそういったタイプの素材と(国民が当面共有できる文書資料という意味合いから)教科書的文献からの素材とが混ざった資料提示の印象を受けた。
 なぜか戦時でもないのに女人禁制っぽい発想を神社系はもっているようだ。
 それって・・・と疑問を列島在住の人々のほとんどが実際には持っていそうに思えているのが素人老人の今だ。
 なにしろその昔の昔、といって中国では紙や筆を使いこなすような時代の頃、列島には呪術系の卑弥呼氏が頑張っていたことを知っているわけだ。
 神道というようにして中央集権化したのは、仏教浸透以後のことだ。
 ”伊勢”がいつどのようにして整然とした約束事をまとめたのかを、時期など詳細に調べなおせるならば、今時の画一化した諸神社における作法についてひも解いて、過去のある時点まで遡(さかのぼ)っての原型くらいまではたどり着けるかもしれない。
 観光資源としても、各地の過疎を常態にするような心持の地元性へ、より普通に自信を回復させて各地での営みの挑戦性や改良・発明・保守点検などへ巧みを注ぎ続けることがそのまま生活可能性をもたらせるとかへと誘えるはずだ、と素人提案込みで、神社史の一種の裸を晒す試行は重要ではないか、それは各営みについての尊厳を損なうことはないとの観測も込みで、指摘したくさせる。
 何事もそうなりがちなのだけど、ある風習には様々な可能性も含ませるし持続性の芯の部分も含ませる。
 だからその形にこだわって変えるべきでない立場の人々は、それを支えることでそこでの集団の営みを持続可能にする。でも、その営みの中に、更に発明発見のためのツール要素やまさに発明発見の本体のきっかけなどが含まれている場合、逸(そ)れて、ということで不変に意固地になる人々との間に軋轢を生じさせやすいのだが、そこを意固地派がたまたま少数で、多くが生活事情などから改良を求めていれば地元にいたまま改良の考え方の内容を形にする試行錯誤が可能になる。そうでないと、他所(よそ)に出て、それを可能にしたり、その世代では考えをどこかに残すだけで、頓挫してしまうようなことになったりがありうる。
 でもとにかく、ヒトの営みは試行錯誤を積み重ねて、蔓延れるほどに、改良を重ねて、しかも集団の営みしっかり返して、積み上げの糧としてきている。
 列島事情の場合、卑弥呼氏の時代の後も、何度か中国と往来しているので、相手の文字社会との交際上、文字読みが当然育ったと想像でき、そこらからして、往来時の時点時点での文献もなんらか学習用に持ち込んでいておかしくないと思えた。
 その展開の藤原京成立以後の出来事として、儒教発想を真面目に学んでしまった流れの中で神道も仏教経典のような・・発想を経て、女人禁制のような無理筋をちっとも無理と理解することなく約束事に取り込めたと、素人的には想像したくさせた。
 仏の方も女性を現場活動の本流に誘わないなにかしらが発想に含まれているならば、儒教が、仏教がという具合の言い方が相応しくなるのだが。
 一方に、実際的に、古代には女性が中枢に相当に関与しているのだし、律令制下でも、底流には女性が普通に活躍して当たり前発想を促す人脈がうごめいてそうなことが歴史としても時々に注意を誘い続けてきた。
 他所へ行って、お前は何者だ!?と問われて、ちょっと自信を持ちにくくするような場合なら、それはいづれ回復してしまう程度の通過点だろうけれど、
 USドラマの『FBI:サイバー』にて、ネット経由で戸籍を書き換えられて、そうなってしまうと回復の根拠自体が書き換えられて、居ないはずのだれか相手の操作となるので、実にどえらい事態となることを、テレビドラマが教えてくれた。
 ネットのセキュリティがそのタイプの危険を万が一にも持つようなしくみとして放置されているならば、列島版のネットについての試行錯誤もちょっと待った、状態と想像するが、実際のところはどうなのだろう。
 戸籍の制度がしっかりしている今時でさえそんなだから、その昔の人々は、戸籍を根拠にできるはずもなく(律令制よりも古いころだったらの話だ)、どこ生まれで、だれだれの子だとか孫だとかで自信を持てたと想像できる。
 自らの経脈についての伝承としての具体的膨大な記憶の持ち主ほど、よりなんとなくの自信をもっていたかもしれない。
 そこに中央集権化利害から、お手本の経脈を用意されたわけだ(と素人はプランについて仮説している)。
 やがて文字使用の威力が出始めて、だれもがだれそれは原典にあるだれそれの子孫だとか、その子孫の経脈の超有名な何々家の親戚の何代目だとか言い出す。
 実際に列島では、各地にも中央人脈が進出して血脈も広げたから、おおざっぱな話になれば、おおざっぱさにおいて厳密には血がつながって・・という話が成り立ちもするけれど、中央集権化が必要として、それゆえの策をこうじてきた諸氏の努力の向きがたとえそうであったとしても、中央集権が成ってみれば、そこまでの必要は無かったと気づける。 むしろ、各地の自発的な爆発的な集中力も伴う発明発見改良の類での各地の持続的活動に向かわせるよりは、稼げるどこかめがけて、不自由な地元から去る方の趨勢を江戸の頃も今時も生じさせやすいままにしてしまっている。
 そこらへの逆転策はどうしたって必要に思えているのが素人老人の一人で、たまたま思いついたので、少々長めになったけれど、あつかましくも指摘させてもらいました。

 

  川柳もどき

   参入障壁を高くしてある心配を制御できた業界
    ネットのリンク発想を商売にできて可能性を探る同じ業界
   心配要素は持続的な性格を持つ
   可能性の方も持続性を持つ
   劣勢の一方の同じ業界も
   繁盛の側も、考え方の方では同じ重みだから
   持ち寄って、将来展望に活かせる