連載は続く~ SF掌編『物価をめぐる錯覚をなんとかする』編


 カジノ化した経済の営みへひとことめいた言い回しは、資本主義がすべてではなありえない現実だとしても、その学術用語が示したがっているニュアンスについては既にそこに生々しく生きている人々の方が余程血肉化しているので、理論の方がかえって回りくどくさせがちにするのと同じように、20世紀後半のいつ頃からかカジノ化へと移行させてしまった某超大国中心での経済の営みについても、カジノ、と言ってみたところでそれ以上を語りにくくなっている。
 そこで、素人老人は初心にかえって心だけでも若返ってとか余計なことを考えているわけじゃないが、物事をシンプルに押さえやすくするにはの発想から、少々SF話にしてみた。
 とかく拡大のために拡大を、という拡大拡大こそが拡大をもたらすかのような用語を乱れ飛ばし勝ち、と素人老人は受け取め、そこらの心作戦、実際の経済刺激手法は、いつもならバブル方式とか言い習わしてきた、とことばにしておきたい。
 ならば素人老人はどう代案を持っているのだろうか。これもまた相当にシンプルで、物価安定というよりも物価を下げる、だ。
 するとどうなるか。
 実質賃金がどの所得層にも響き渡る。かつてクラシックのレコードがおお売れしていたころならば、ヘンデル氏の"水上の音楽"の部分やデュカス氏の‟ラ・ペり‟の出だしのごく部分とかが鳴り響くさまを想起できそうだ。
 少し老いたけどかつてプログレを聞いていた老化進行中の世代諸氏ならば、キングクリムゾンの某曲が鳴り響いてそうだ。
 今時の若者ほど若年ではないけれど、大人を意識していても老いはずっと先さと錯覚できている諸氏ならば、ありがちな大イヴェントのどれかで使われたテーマ曲がガンガン唸(うな)ってそうだ。
 実質賃金上昇で支払い手段の持ち具合がふくよか感の方に作用している。
 だから間違うことなく使いだす。人々は買う。
 その連鎖から産業にも潤い間が漂いだす。物価を下げたのに・・だ。
 税率をいじるのとは違う。
 できれば収入増イコール税収増に通じる税制が国民の納得の上で成り立っている方が、より上手に人々の生活質を向上させながらの経済の営みへの好影響をもたらしやすくする。
 そこはとりあえず置いて、経済の巡り、好循環の様を注目する。
 人々がもの・ことを関心アンテナを活動させながら買い求めるようになっている。
 売る側、作る側、流通させる側はその勢いに応じるように、また結果としても、規模拡大せざるを得なくなってしまう。
 だから、少しずつ沢山作るし、流すし、小売りする。その循環は拡大的循環だ。
 そして沢山売れるから、働き手諸氏へは、売買の波現象前提に、景気良し悪しの良しの判断からボーナスを奮発しまくる。実質賃金上昇+巨額ボーナスが支払い手段の前提になり続ける。
 以前ならば、条件的に賃金アップ不可能な業態であっても、世の中の趨勢はその分野にまで景気の好循環を運んできてしまっている。だからボーナスで働き手にこたえることができている。
 好循環の長期見通しが成り立つようになった頃、臨時採用の働き手の中の、長期採用を受け入れる層については、簡単に長期採用転換が列島中で達成されるようになる。
 若者たちは、生理的な元気度合いを、押さえて、経済の停滞を生き抜いていたけれど、長期見通しが効くようになって、もう生き物の都合が圧しだす欲求をお互いが裸で受け止め合うようになって、巷の産院不足が問題のニュースが世間を騒がせるようになっている。
 政治、行政は、こりゃヤバいぜ、とばかり、かつてブラジル祭とか列島の街中で活躍していたサンバ女子、否、産婆経験者諸氏をとにかくかき集めて対処することになる。
 子供が生まれに生まれ、産業は拡大し、巷は適度に消費欲を満たし、拡大拡大で一向に世の中の趨勢が激変することはなかったのに、物価を下げた途端に、これだ。
 列島タイプのなになに国がやけに景気よさそうだぜとの情報が地表面を駆け巡る。
 だから各地で真似して、巷の生活質にも経済の営みの質量にも好影響する循環を生みだしていた。