連載は続く~ SF掌編『能登半島北部は目立つくらい隆起』編


 いかにも素人のごく老人年代がする話、ということで。
 なんらか重要だけど敬遠されるとか警戒の視線を注がれるような分野での技術的営為からの技術転用が幸いしての類の話は、今時、案外、賑やかそうだ。
 が、それだと万が一、ないし、それこそ大活躍しうる場面において、それがゆえに応用しにくくしてしまう、といった辺りにふれたい。
 率直に、軍事衛星、軍事偵察衛星の類をもろ応用して災害の局所を撮影して、3D化の技術さえこなせれば、ライブの時間経過と寸分違(すんふんたが)わず程度での実況のデータを得られやすくするはずが、道路寸断ほか、少しずつ文明の利器を送り込んで対処している最中だとかの報道の方が目立つ。
 cm単位での観測が可能でしかも、短時間に3D描画できる立体測地も可能であるならば、現状把握の質として、いかなる重機なりでの接近や改良が可能かくらいはかなりの精度で判断を可能にして、しかも、通信機器の送り込みとかさえ即可能になる。
 しかも定時定地点観測が可能だから、地震災害の多い列島では常時のその精度からの観測を続けることで変化データも取れるし、万が一への予測、観測への知見も誘いやすくする。
 けれども、軍事の都合からは、どれほどのデータを得られる手段を現状使いこなせているかは、お互いの手の内の探り合いの中である程度はわかりきっているとしても、表ざたにするわけにはいきそうにない。ということで、逆に日常の人々の平穏の質を保守していくことに使いにくくしてしまう。
 そこらを考慮できて、ほんのちょっと性能の劣る画像を応用することにおいて、列島の立ち位置ならば、積極的に使いこなせそうに思えるのだが、いかがか。
 超機密の関係から張り合う関係をたもちつつ、勘違いした暴走勢力による果敢な力の行使への抑止を発揮する工夫について、少しだけ譲れた場合、それら諸国とか関係筋が軍事技術の内情がわかってしまう類の応用は困るとする立場をこれもちょっとだけ受け止めるとして、そこらとの関係性と距離を取って、我が国は・・の立場で、ということは、軍事の性能状態のある面は表ざたにする覚悟っぽいところを受け入れた姿勢から、より精密な偵察データを実際の災害とかで応用しまくれる積極性を発揮することはできそうに思えるわけだ。
 それにもとづいて、即時、使えそうな移動手段を選択して、必要な人員、機器、物資を送り込める。そのことで現場間の往来可能性へぐっと近づかせる。

 巷の人々からすれば万が一の被災という突然の出来事での対処しにくい状況において公(おおやけ)からの援助のなんらかは欠かせそうにない。
 その一方で、そのごく初期の混乱時、個々に備えがあれば、急場をなんとかしのげるという要素を込めて、個々の防災とか被災時の緊急の備えが大切だの発信も成されてきている。そこは大事だ。ところが、そこらを勘違いして、避難所への避難よりもとにかく介助必須の人々以外は、個々における対処が第一だから、個々が準備を怠るな!でなんとかなるような話を思い込めている諸氏が万が一にも被災状況を楽観できているようなムードを醸成させてしまっているとしたら、発信上の失敗要素を指摘できそうだ。
 個々の準備がたまたまうまく機能してくれているならそれに越したことはない。避難場所にその数だけ他からの避難受け入れが可能になる。或いは、数に変化がない分、日数的余裕をもたらしうる。
 能登半島のケースからして、だれもが準備のすべてを応用できる被災状況とならないことは明確のようだ。準備していても、そのうちの少しは被災時に使えるけれど、他は余程の労力を使わないと、壊れた家財の中で埋もれたままにしてしまう。
 準備不足なら更に、即避難所頼りだし、自治体からの必要物資の送り出しに頼らざるを得なくする。
 そして、指定の馴染のどこかへ避難できることもあれば、とにかくたどりつけたところで避難するしかない場合の方が、ありがちにしてしまう。
 田舎環境で、当面、見知っただれかたちということで最低限の信頼関係構築済みの関係性を前提に助け合い関係を出発させられる土地柄もあれば、信頼関係の通りの良さをその段階から最低限のところすらはじめなけらばならない土地柄も今時の列島では各地の膨大に生じそうだ。
 しかも、被災時の諸々についての受けとめの様々とヒトにおける思い込みと個々性次第での誇りとか名誉欲とか驕(おご)り高ぶり、みえやがこんがらかるように、最適とは限らないアイデア発信の場で錯綜を生じさせて、暗黙の棲み分けがストレス源とさせるようなことも起こりうる。
 今時はそこらを避けて、自家用車での生活を選択することも可能にはなっている。
 中には使い慣れたキャンプ道具生活で急場をしのごうとするつわもの一家、仲間たちもいることだろうと想像する。
 つまり、日頃からリーダーシップについての旧態な思い込みを邪魔にしないように慣れておくことも多分だけど、万が一の時に役立てられそうだ。
 重要なことの項目立てや、優先順選択やをしながら、どうしても構成の全員がそれに従わないとどうにもならない項目と各自の自由裁量でなんとかし合える項目をも峻別できておけることも、ストレス回避に使えそうだ。
 地元のリーダー層はだから、日頃から、土地の性質に通じていることが、昔のたいしたもんだのリーダーたちのように歩き回って熟知しておくことが要る。
 ネット情報からでも大雑把な土地の凹凸については押さえて置ける。
 けれども局地的凸凹知見は、地元で普段使いできている諸氏こそが、様々な自然現象の際に見せる表情として記憶されている。そこらをあらかじめもれなく聞き書きするようにして、記憶できていることも必須になる。
 土地の脆(もろ)さ具合とか、今なら液状化するタイプかどうか程度も、調べて熟知していないと万が一に役立ちそうにない。
 関東地方の一部には地下天然ガス脈ありということから地上火災が自然災害のタイプ次第では起こりうる知見も提供されている。
 土地柄特融のくせのあたりにも通じている必要を指摘できる。
 それら知見をもとに、公的な避難計画に加えて、災害の性質に応じた避難場所の地元版を事前に構想できていないと、公的な対処すら役立てることはできにくくする。
 いつもの道路は寸断しておかしくない、と想起できるなら、障害となりやすい土地性質のところを避けてなんとか物資や人が往来できるルートを地元ならではの知見から想定しておけることも相当に役立てられそうだ。
 風景は巨大地震の場合と広域な洪水の場合とではかなり違ってしまう。
 それらが一緒の場合もまた別の様相となりうる。
 周辺地域で核となる大都会域が大変なことになったら、ということで、巨大地震の方は心配されているけれど、それが実際に起これば、様々な機能に支障が生じてしまう。
 局所でしか大規模であっても自然災害は起こりにくい場合が多い。311であっても、他は驚かされたくらいで済む場合が多い。
 しかもその局所性、小ささにも関わらず人の大勢がそこに住んでいるのが列島性質なので、そこに機能が集中したどこが大地震によって機能停止となれば、それなりの広範な影響はさけられそうにない。
 軍事にしないで応用可能になった映像データ応用ができにくくなってしまうことだってありうる。
 地表面各地の有力層がどういうわけか楽観的で、しかも人名尊重観では軽すぎて、戦争を各地に生じさせてしまう。すると、肝心の準備に人々の関心を誘って、そのための資金を出しやすい状況を生みにくくしてしまう。
 地球は、いつでも大きく動き続けてこその地球だから、地質年代スケールからはついこの間まで活発に地震を起こしていたところだらけだといっても大げさにはならない。
 たまたま今時安定的なところということから超高層を100年以上もまえから満喫しているぜ、と言われても、知識なさすぎぃーのたぐいじゃなかろうか。
 いやいや、大昔から安定的基盤のうえにある土地だ。かもしれないが、うごいてそこにあることも事実なのだ。
 今もっとも油断してそうなのが、寒期到来に向けた準備と列島在住の素人老人は勝手に想像しているのだけど、戦争がもらたす人心荒廃はひたひたと世代継承させるのだから、寒期到来となれば、心の寒さはひとしおとさせかねない。
 だけど‟呑気‟に戦争自体が事態をなんとかできるとか思い込めている有力層がいらっしゃるようだ。
 その昔、紙や筆が高価な頃、それでも列島では女性たちも男性たちも紙や筆を使えて文章を後世に残してきた。
 その昔の富裕層がスポンサーと(なって紙や筆を提供して自分の宣伝に使えた)なったあたりについては、蜻蛉日記をめぐり古典文学研究者がしっかり一般にも紹介してくれている。
 なにごとも相当に費用のかかることにはスポンサー頼りとなる。
 戦争も貧乏人にはリアルに不向きだ。だから・・・とその内実に、先のことも含めて問題を指摘することは容易と察する。
 同じ費用を現生人類のこの先のために準備といってもその将来見通しの不確実性からして、順として当たるかもしれないし当たらないかもしれない不可抗力を含めての投資が膨大に要ることは明確なのだから、今、この瞬間からもそちらむけの試行錯誤としての投資をしないで戦争に膨大量を向ける無駄、ということを考えられないわけがないと察する。 と素人老人の話なので、地道な話の中に、大げさ要素も盛沢山についなってしまう。

 

   川柳もどき

    暑さ寒さも彼岸まで
     だから残るは2カ月と何日か・・か
    そんなこと言ってるようだから
     素人老人はノンキとか言われるんだ!