連載は続く~ SF掌編『雪が降りだして籠(こも)ってしまった老人語り』編


 地デジの放送をBSの3chにて見ることがたまたまできている、というわけからながらONの状態のテレビモニターより時事政治討論番組も放送しているのが漏れ聞こえてきた。
 たまにのことだったのでちらっと見れば、横文字表現にてSUNDAY DEBATE。
 debate は討論、論争のニュアンスのことばとして三省堂の小さめの英和辞典には載っている。
 けれども、かつて好意的に登場して話題となり騒がれた頃以後を経て、ディベートは結構ヤバい方へヒトを即誘ってしまう辺りに気づかれている現状を素人が指摘しておいて無難なところと察する。
 論争相手を言いくるめて、或いは言い負かして、片方の言い分を通せれば勝ち、めいた順路で落ち着かせる程度の手法なことが鮮明になってしまっている。
 その場で決着をつけることを苦手とするヒト観念系にとって、何億人もいる地表面では中には、その場で決着をつけることができてしまえる事態に無頓着だし意欲を持続できるごく少数の変わり者諸氏が出てきてもおかしくない。そういった特異なだれかたちが言い勝ったとして、なにほどの意味、意義を見出せるのかの辺りは、距離を置ければ、課題はその暫定的結論も含め宿題として持ち帰って検討したうえで・・で当面の決着をつけられそうだ。
 テーマと関わる情報をより多く持つ側が、余裕をもって、落ち着かせどころへと相手の相対的無知につけこんで誘う、というやり方のいやらしさは、相手にもおいおい気づかれるから、論争・討論よりは、相手に言い負かされないようにするだれかと、ろくに知りもしないくせに生意気な相手だとしても言い分を聞きながら、こちらの考え付いている結論へいかに誘い込むかをずっと思惑しているだれかの騙し合いのような事にしがちと察せられる。
 ないし弁証法敵味方布陣発想を染み込ませた論争相手間がいかにもな敵対的激論を演じて聞き入る人々を唸らせて場は盛り上がっても、結論は人々の切実な必要の肌理にとっては埒外のところで落ち着かせられてしまう。盛り上がり気分のまま帰宅して、そこでやっとその結論の実際のニュアンスに気づけたりが起こる。
 素人老人的な諸賢の指摘を踏まえた押さえ方からだと、相手との間に知見に関する隔たり、格差なりを感知できている場合、それを相手の弱みとか強みとしてディベート作戦を練る方へ向かうことなく、知らないとか知っているとかの違いを教え合うことである程度均したところから話を出発させて、途中で、やはり知見の持ち方に、込み入った解釈のこんがらかりを感知できるならば、そこでまた論議を中断して、論じあう前提のための言葉の共有のあたりを探ることに時間を費やす。そういう行ったり来たりを繰り返しながら、話を詰めていくことは可能と見る。
 またより多くを知っているからと言って、肝心の事態について熟知できているかどうかは不確かだ。像の表面をさすっているだけの膨大な知見持ちだったりもありうる。もう一方は骨や内臓の標本まで触れて調べていて、食生活や子育てまで知っているけれど、断片的で膨大な知識とは言えないようなことだって珍しくない。サーカスの像はその狭い箱に乗ってどうしてバランスを崩してこけないのだ?の答えをめぐってでさえ、論争相手諸氏の観念系は相互的に偏りがちにもする。そして弁舌だけはヒトっぽく絶妙にも育ちうる。 ただNHKのテレビ番組が採用するくらいの単語だから、地表面のある領域においては、通りのいい標準の意味を帯びさせた用語なのだろうな、と推測しやすい。
 一方で、経験知として列島では多分と素人観測に過ぎないけれど、ディベート上手をいくら育てても世の中での集団の営み上、良いことはなさそうだな、くらいでは普段着思考の方で受け止められて馴染んでしまっているように察する。議論とか言葉のやりとりを工夫して問題に当たり、なんらか解決を目論むことと同値におかれていない程度のニュアンスを指摘できそうだ。論理や心理や脅しやを駆使して言いくるめる、丸め込むとかお互い強弁し合って結果一方が一気に圧しまくるニュアンスの方がディベートということばの内実には近そうだ。論理、心理、脅しそれぞれだけでも、ヒトがすべてをある年台においてパーフェクトにしているわけではないし、ありえない。そこら。
 標準とか規則とかが、その射程を広げれば広げるほど、実質のところでは、ヒトの無知加減をもしも隠さないことが可能ならば、そのこと自体がある思いつきの汎用使用への注意報を気づけるようにする。ないし、気づけないならば、その善意は追々錯誤の要素に気づかれて、信用を落とす。

 前置きが長くなり過ぎた。
 日々更新され続けるブロードキャスト系ワールドニュースの時事ネタの数々は、それなりにバラエティに富むと素人老人は最近、受け止められるようになった。
 その中で新鮮な方から、麻薬大国として自他ともに認めてきたUSにて、今はなんと合成麻薬が既存の麻薬を押しのけ始めているらしい。
 かつての小史としてスペイン領から米領となったフィリピン国の事情は、そこらを見る時に参考にできそうだ。
 ついこの間までの政府が麻薬撲滅に熱心だったのと似た事態をエルサルバドルの政府が行っているようだ。
 ニューヨークのかつての市長氏が悪評を跳ね返しつつ挑んだ荒(すさ)んだニューヨークの衣替え作戦とも似ている感じだ。強圧策を伴う。
 時間が許すなら潜入捜査と地元人材の養成とと、人の輪を広げて、心もとない方につい陥りがちな連中の安心できる側を荒んでない側に用意していくことでの、‟療治‟が結果的に持続性を持たせての解決へと導きやすくする。
 当面の暴力沙汰の応酬を避けるうえでの強圧策であるなら、その先についての密かな策も準備されていると予想できる。
 どっちつかずのまま暴力系に誘われてだけどリーダーっぽく地元の連中とともに何かをこなす意欲のある連中まで強圧的に叩いてしまうと、心もとない方に陥りがちな連中だけげ多めに地域に蔓延(はびこ)るような途中経過も起こりうる。
 ただし、目利きたちがよほど根付くように地域の連中の中で、人の様を観察して判断しないと、心もとない連中がまた危ない方に誘われるその悪い方で賢いだれかたちを放ったままにさせかねない。そこらは専門家・事情通諸氏からはもっと詳細に複雑に対処されているのだろうが、素人老人だとこの程度の表現になってしまう。
 そして、そういう弱点に付け込む世界の諜報網の端々の関与ということも、19,20世紀利害では当たり前に機能しているのだから(麻薬が絡んでいる場合は特に)、実態は素人考えが及びそうにない。
 そうではあっても、USにて合法麻薬が占めるようになり、ヨーロッパでは大麻の合法化が今時になって実施されるようになったり、USの犯罪情報網の応用は素人老人の主にはUS映画経由からの想像に過ぎないけれど、ヨーロッパも弄(もてあそ)ばれがちとつい見たくする。
 合成だから石化産業が主な舞台として移ってきたのか?どうなのだろう。そこらをネット発信で活躍される諸氏こそ、気前よく一般向けに発信していただきたい。
 多分、そこらは未だUS映画の作りて諸氏でも素材にしてエンタテインメント性込での情報発信には向かっていないのではないかと最近は最新の映画を最新の状態で見に行っていない怠け者の素人老人の憶測だ。

 対イランチームとの試合も2-1で負けたらしい男子日本代表チームの幾人かが実に直(すなお)に自らも関わる失敗の当たりをふれて試合を振り返ってくれている。
 監督は失敗の具体的なところを踏まえて、そこも含めて改良にとりかかる熱意とか意欲に満ち溢れている。素直な選手たちと熱意・意欲をあわせもつ指導者なんていう様は大昔のテレビ版青春物語のまんまな気がするのは素人でも老人すぎるからだろうか。
 いずみたく作曲の青い三角定規(女中心に両脇に男ひとりずつ)が歌っていたカラオケでも有名な曲を鼻歌で歌える年齢の諸氏は今なら更に元気老人をやってそうだ。

 諜報脈を応用した安全策が行使され続ける世の中では、広くシステム的に押さえた世の中の営みにおけるサブセクションっぽい各種の営みが、世間を渡り歩く膨大な人生たちをフィルター通過させる役を担いがちにしている。
 もろ危ない闇の組織しかり、芸能系しかり、麻薬取引自体がそういうフィルター役をこなすしていることで極端を抑止しつつ多少の起きなくてもいい使用したがゆえの逮捕劇など世間に話題を提供する有名人ほかを登場させてしまう。お金もそういう分野ではまとまって動いたりするから、その線でのフィルター役もこなして、怪しい脈は簡単に探索されてしまう。表向き賑やかに興行を演じつつ、その各分野は近現代社会の仕組みとしては、それなりに限定した役割を担わされるようなことになっている。
 そういうことの先に、一見独立して立法部門を担うように振る舞っているようで埒外の勢力から弄(もてあそ)ばれがちにしてそうなのが地表面各地の近現代的仕組みを採用しての選出過程を経た議員諸氏だ。
 そういう立場だからこそ、選出の建前は‟国民‟とかだったりするけれど、恐らくどの土地柄においても選出している気になっているにも関わらず、その多くにとっては隔靴搔痒感あじわわれているのではないか。
 ことば使い上、ひょっとして弁証法役割分担的な発想の埋め込み作用を多様な現代社会の発信から受けたりで、素人老人よ、いったいお前はどちらの味方なのだ。だいたいお前の言い方から、どちらを敵と見なせるのか、どちらを味方と見なせるのか。
 などお決まりの文句がでてきそう・・かもしれないけれど、地表面規模の(とりあえず現地表面体制を是としてその権威の階梯を認め合う暫定的決断を経ている有力脈脈に(連なる人々に)おいて)選択として現状はUSを承認してきたということから、USが為にする様々に不都合な要素が混じっていたとしても余程の事がない限り、作戦の一つとして試行の成り行き任せは容認のうち、ということになってそうで、列島での報道の限りではテロ系犯罪を犯してしまったように受け止められるようにことばが放たれているけれど、"ハマス"集団は端的に刑事罰方面で現行犯的な脈絡から逮捕して裁判で裁かれる立場の集団のように映るのだし、その集団が乱暴なことをしでかしやすいことを承知でガザ域の仕切り役を担わせ資金の通路にもしてきたイスラエル政府っていったい何者?とまで列島報道(同時通訳版ワールドニュースも含め)からは察しがついている事態の受け止め上、いくらなんでもガザの人々の平穏については直接、現困り果てているガザの人々の中になんらか工夫してもらって代表を選んでもらって、直接の平和のための交渉を持つのが当たり前のように列島在住での情報を得た感じからは指摘したくさせる。
 ハマスは人質事件を進行中の犯罪を犯した集団であって、その脈絡からの交渉はありうる。人質をめぐる交渉ということだ。
 でもガザのことはガザの住民自治をこれまでの暴力系集団の脅しを意識しながらの控え目自治だったりしたら尚更なのだが、今からでも遅くはないから自治代表を選んで平穏化へ向けた交渉相手となってそれをイスラエル政府はしっかり受け止めて、ハマス集団についてはあくまでも人質と殺人事件ということで国際手配するくらいの意気込みで追いかけ続ければいいのではないか。
 またもしもハマス集団の指揮命令系がその犯罪行為を他のだれかがやったことだ、と判明しているのなら、それを表の場に出てきて議論にさらすことは可能なのではないか。
 事態の当事者ということで交渉に関わる関係筋に列島在住の報道からのみの情報で判断される限りで、USにしろイスラエルにしろ、相手を間違えているように思える。
 更に、イスラエルは戦争にしているけれど、重大な刑事事件の類ではなかったのか、という印象をぬぐえないのが、列島での報道環境の密度だった。
 という具合に、US国内でさえ議員諸氏に自分でじっくり考えて物事に対処可能、という環境がしっかり用意されているのかすら、わかりにくい、といった感じで、USですら、ということは地表面各地において、オヤ?(上向き調)というかおや(下降調)、だ。
 ここらもまた敵味方的発想を持ち込ませやすいようにも読めてしまうかもしれないけれど、(隣接するとはいえ国際刑事)犯罪系のことは事の真相についてそれなりの報道がなされているから敵味方の論と混同は避けられる。
 埒外の位置を相対的に保てるだれかたちにとっては、その他の膨大な構成要素間で市場原理を土俵にいざこざっぽく競っていてくれればそれで御の字のように押さえられそうだ。直接的当事者関係なんだったら、その間柄でなんとかせいよ、で流して置ける。ついでにシステム的に警察機能も働かせている。裁判だって使える。それぞれサブの要素として構成の内だ。
 それらが金本位のうちはなかなか実力を発揮しきれなかったのが、金融バブルにしたことで、埒外ゆえにそれを使いまわして、責任もなんとかしてよね利害の当事者間でね。と放(はな)っておけたりする。
 しかも埒外はその危なっかしいバランスが機能している間だけと素人老人からは空想しやすい。いつでも、いつまでもということはありえそうにない。
 そういう仕組みでずっと行っていいのかどうか、という問いかけくらいはSF的に持ち出せそうに老人年代からは思える。
 で弁証法役割分担が誘う敵味方の論でない発想ゆえに、地表面住民発想での共有からどう何を担いあえることで事態を円(まる)く収めうるかを試行・思考・志向できそうにも思える。

 紛争をサッカーの試合の方が面白いということで当事者諸氏の大半が試合のスタジアムに詰めかけて戦争とか大騒ぎどころではない、ゲームに夢中の大騒ぎになって・・・食い物も大売れだし、飲み物は底をつくくらい売り切って、早速追加を運ぶ輸送トラックが渋滞に巻き込まれて、観客席では汗を出し過ぎて脱水症状の客もちらほら出てきて、救急車を呼ぶ呼ばないで客席の場所によってはゲーム観戦どころではない騒ぎも起こり、早くソフトドリンク、ソフトドリンクと和製英語を乱発する変な客も現れて、紛争・戦争を追っていたジャーナリストの群れが、戦争の気配のない現場を訝しがって、騒がしいスタジアムに来てみれば、やんやの喝采でそれぞれのチームを楽しそうに応援する戦闘員どころか指揮命令を担うトップクラスの連中までもが、熱を入れて応援中ときて、おい、どうなってんの?!とジャーナリストどうしで手持無沙汰感をあらわにしつつ、どうもこのゲームすごいぞ、と急ごしらえのスポーツ記者となって、たちまち衛星配信を使って世界中に現ゲームを送り始めたりもしている。
 地表面各地ではそのパスサッカーの巧みに魅了されて、視聴率を取っているところではうなぎ上りだし、ネット配信系では集中して、サーバーがひいひい言っている状態で、幹部にケチらずにもう少し性能のいいサーバーを買っときゃよかったとか、突然の繁盛にてんやわんやの状態。
 各地のメジャーなサッカーのリーグの採用担当諸氏は、だれが稼げる選手かとか現金なことしか頭に浮かばない連中も、伝統的発想から芸術的プレーを見せる逸材はいないかなとかで探りを入れるだれかたちも凝視し続ける。
 また荒稼ぎ狙いの各地の業者が、試合中の時間帯のどこかにCMを入れられないかどうか交渉相手はどこだとか色々情報が行きかい出している。
 たまたま公営放送がその試合を流していたため、交渉をインターセプトして、サギ系がインチキ交渉までやってのけて、だけど即ばれてそちらも大騒ぎになってしまう。
 前半が終わって、スタジアムのだれかれが速攻輸送されてきた飲料を買い求める。
 更に何度目かの食事だ。居合わせた、先ほどまで銃を向け合っていたはずのだれかれが、応援するチームが一緒ということで話に華を咲かせていたり、同じ側どうしが、応援するチームの違いで、反目してしまったり、妙なことにもなっている。
 そこへ子供たちがわいわいやってきて、おじさんたち(子供たちからすれば二十才近くなればもうおじさん扱い)、ゲームをたのしまなきゃあ・・と、魅了する試合に熱くなっているおじさん連中からすれば余計なお世話なのだけど、お説教される始末で、子供相手じゃしょうがないかぁ・・で流している。
 元気に兵隊をやっているくらいだから体力には自信たっぷりで、中には実際にサッカーをプロ級にやってきたのがいたりして、その類も偶然に出会ってしまって、今度、チーム作って、それもプロチーム、だからスポンサーも探すし、そして試合しない?とどちらからともなく誘っている。
 そこへ国際的サッカー組織のだれそれがたまたま来ていて、その話を聞きながら、そういうけどやっと蹴れる程度なんだろう?とけしかける。
 うむ?じゃ、とさきほどの子供たちが持っていたボールを借りてきて、話し相手とパス交換を始めたところが、おどろきモモノキ山椒の木、うまいのなんの、こいつは逸材だ、大発見、と、そのチーム構想に口出しし始める始末。
 そろそろ後半が始まる頃だ。審判がぐるっと両チーム選手を見回して、ぴーっ、とホイッスル。