連載は続く~ SF掌編『芸術で応援だ、と高齢の素人』編


 最近は授業で使う資料にも採用されてそうだけど、地表面の各地が探索されて、黒土という植物・穀物栽培に向いた肥沃な土壌が地表面ではごく限られた土地(といって広大だったりするけれど)として何か所かに散らばっている。
 列島の土は火山噴火由来の土壌をヒトの‟手‟によって自分たち向きに改良されてきたっぽい。
 すでに土壌からして各地、各土地柄性を帯びさせてしまう。

 これもテレビ番組から知った現世の中事情なのだが、ヒトを知ることをめぐっては素人老人的に参考になった(またもやクローズアップ現代だった)。
 度々ニュースにもなっていて、その現状はと取材が入って、調べてみたらの辺りが紹介されていた。
 ホストクラブは、そのことばくらいは現世の中こどもたちでも聞きかじって知ってそうだ。舞台はそこ。被害者はそこの利用者。犯人系は、取材の結果から構造的になっていることが判明。警察の捜査が機能しないと細部の絡みを詳細具体的に事態として押さえてなんとか解決するということにはなりにくそうだ。韓国のドラマをBSで放送していたのだけどその『模範刑事』くらいの長さ(全22話)になりそうにも思える。
 経営者は雇うホスト諸氏に、客が多くを購入して支払いきれない場合、担当ホスト自身がたてかえてその内実は経営者からのホストとの間で借金のかたちを取る。
    経営者=(借金)=ホスト=(たてかえ支払い)=客
 客はぼったくられたとか色々そちらのケースもニュースで出るから、一般としてはそういうこともたまにはあるだろうくらいに受け止めがちにしてしまうかもしれない。
 ところが、今流行っているこの詐欺事件の場合は、もっと込み入っている。
 実は前段が用意されている。
 客の女性たちはホストであることを大抵の場合隠して近づいてきた若者たちと親しい関係になる。その親しくなる関係自体がすでに計画的だ。
 親しくなって、実は職業は・・で食っていくためだけではなく、夢を実現するために懸命に稼いでいること物語を相手女性に染み込ませていく。下ネタも共有し始めている女性たちは多少惚れている段階だから同情の方でその話に聞き入る方に近い。
 で更にホストの男たちは、ひたすら夢に向っての芝居を見せびらかし、それといっしょの生活の女たちは、更に惚れて惚れての方に傾き、(いつでも観察して詐欺の本業部分に移る機会を伺っているわけだから)頃合いを見計らって、高額のホストクラブでの買い物をお願いする。女性たちは惚れた男のためということで、熱心な方で応じてくれるようになっている。すると先の借金関係が膨れていく構造に簡単に誘えた事態となってしまう。 ホスト男は、相手の女性に借金のことを‟素直に‟告白して、どうしょもない事情だからとか同情ノリの方で心を乱れさせて、売春で稼ぐことへと誘う。ないし、混乱事情からホスト男の方が乱れて乱暴になって売春して稼げとなる場合も含まれ、相手の女性たちは惚れた男のためにのノリで売春に出てしまう。そのノリのため、被害者意識が生まれにくいということで、売春業に深く潜航して、親たちの届かないどこかへ行ってしまうケースも出ている。

 女性も男性も、惚れた相手から詐欺にあっていても気づけないケースは、いつでもどこでも起こりがちだろう、くらいの想像は世間知らず系の素人老人でも気づく。
 ただ今流行中の広範な詐欺事件では女性が主な被害者だったりする。
 女性性、メス性と指摘した方がより気づきやすくなるケースと察する。
 メス性が配偶者に巣の準備をうながすために騙しにだます深層を働かせる。
 だからだましているつもりがだまされてしまうという逆転もしばしば生じさせるけれど、お互いが純朴性を充分に育てあっていて、その関係が破綻を誘うようにはしないことで円満な家庭へと多く場合、熟成していく。そして人生を多くの人々は全(まっと)うできる。
 事件の方は、男性の方が惚れたどうのこうのの方に近づく気がまったくない。金稼ぎの方に、利益を上げる営業頭が目いっぱいの関心から女性に近づいている。
 女性というだけで、ないしメス性発揮の状態だけで、オス性からは充分にもてまくれるのがヒトだったり発情期の野生(+飼育)動物たちだ。ところが、特にヒトの場合、だれかを惚れてしまうという事態が特殊で、他のだれかたち、この場合だとオスたち(世間の(好みのタイプのと限っても)男性たち)が迫って、ないしもう少し落ち着いて、交際を求めてきたとしても、惚れたホスト男性以外の申し入れは邪魔に思えてしまう。その対象こそ(巣を用意してくれてつがいとして子育てが可能になる相手と絞り込みに絞り込んだ気持ちのノリが絶頂となってしまっている)自分が求めている相手で、その相手の気をひくのに邪魔になる他のだれかへの気持ちの移ろいは無いことにしたいという心の作用もけっこうしつこく働き続けている状態になっていそうだ。そういう素人老人流にことばにするなら"うるさいやつら"からの圧が、惚れているし、だからこそ惚れてほしい借金苦らしいそのホスト男の窮状を救うためには売春だってなんだってやってやるぜぃ!!と頑張れてしまう。実は詐欺にあっているだけなのが、まったくわからないか、そうあってほしくない、そうだとしても、いつかは自分に惚れ直してくれるはずだとかそういう巣をめぐるメス性を前段の準備過程が生身の装置に植え込めているから、サギ側のホスト男性と売春を介在する役の人々と借金関係で稼ぐ知恵を実践する人脈構造は悪の限りを尽くしてくる。
 女性たちは使い捨て状態(多分ありがちな性病とかその手の困りごとも引き受けやすくなっていると素人ながら心配できる)になっているのに、一途(いちづ)な方に洗脳状態だから、抜けるに(抜けない)とか、窮状を漏らすとかの切羽詰まり感が実感の方で発揮されないままになっている。
 うるさいやつらを基盤に稼業は、飽きたらすぐ次を用意できるシステムをこしらえることで継続可能ということで、歌の業界も、短期間の流行の繰り返しで稼ぐことを成功させてきた。
 けれども時代は移ろうで、歌詞の内容次第では、その被害女性たち(場合によっては男性たちも当然含まれるが)ただその現状を鍛えるだけの出汁にさせかねない辺りを、素人的バタイユ読者としては、指摘してもみたくなる。
 つまり芸術だったらヒトの移ろいに寄り添えて、それなりの異化効果程度でも発揮できる発信が可能となるはずが、稼ぐこと、生涯賃金の高額を狙うノリの方に熱心になるように誘われがちなためか、いっこうに、芸術系的、今の世の中独自の趨勢へ多くを発信できていないのではないか。だからやたらと局地の戦争とか物騒なことはニュースになっても、芸術・芸能の方はというと、高額値段がついたちょっと少なかったタイプの話で流れていく。
 プロテストというよりも、もっと今の世の中の趨勢を読み込んで、芸術がヒトと交流するなにがしとしていかにも芸術な辺りを発揮してもらいたくなる。
 多分、ホストクラブ以外でも似たこと、また似ていない、別種のヒトのサガの辺りを熟知して利用してしまう連中がそれなりにワルの方で徘徊してそうだけど、芸術がヒトのいつもに準備とか気づきを提供してしまえることはいくらでもこれまでの芸術史からしてやってのけてきたのだから、そこらはいかにも芸術な表現のありかたをこの今でも摸索できそうだ。

 


   川柳もどき

    有軍尼一百二十人
    隋書に軍尼
    軍尼は国造のこと
     が現定説と『国造』(中公新書)