連載は続く~SF掌編『映画三本立て、ついでにテレヴィドラマまで』編



何度目かの繰り返し話。お年寄りの頑固さがいい方で聞いた場合のこと。ただし、関係性の中で不利な状況も生じさせかねない。
室温管理、というと地味目で施設での介護では大切な項目の一つに当たる。
以前何度か紹介してきたのは、そういった室温管理以前にそもそもエアコン調整不要、エアコンを使いたがらない方、そういった頑固な方の丈夫さ、ということだった。列島の子供たち、若者たちはいつごろからだろうか、一応社交上内輪にやさしくしかも敬語の使い分け対象だ。そして部外者を軽く見る。部外者ということばではあいまいになる場合も指摘できる。社交上の内輪の延長としての部外者は前提的内輪扱いになる。仕事を分業、協業する間柄では内輪だけど、仕事の対象の位置関係にある場合は部外者扱いにしがちだ。更に、頑固とかくせのある相手の場合、かなりぞんざいに扱われやすくなる。そこらは他人(ひと)の目があるかないかでも使わけがありうる性質のものだ。そんなわけで、いつまでも頑固であり続けることは難しいのだけどその難しさを面倒に思わないお年寄りはずっと頑固を通しぞんざいさをより潜在的な形で行使されやすくしてしまう。そんなわけでストレスをため込みやすいときっと想像されるに違いないし、実際そうなのだけど丈夫だからその程度のことははじき返していると見てよい。ところが・・、ある酷暑の夏に、同情心からエアコンを使わないわけにはいくまい、ということで善意の下、そうしたところ、酷暑を凌いだ後になって衰え方が以前とは比べ物にならないくらい急変していった。およそ一年間くらいで人生を全うされてしまった。ストレスにも弱くなられ、そうなると認知系の諸症状として顕著にもなっていかれた。ここでは丈夫でずっとやってこられた面を知っていただきたい。エアコンなど不要でずっとやってきたお年寄りは大抵の環境変化さえ持ちこたえて季節の移ろいと共に元気に過ごされる。
一方でやたらと冬季にエアコンの設定温度を高めに使う人々がいらっしゃる。ここらも善意の方で心配される。健康に悪いんじゃないかと。しかしこれもまた心配ご無用のようだ。考えるに、以前ここでふれたように、ベッド下の冷気の問題をお年寄りは率直感じ、指摘される。そこをしかし施設の介護に当たる人々や他の部門の人々はとかく気付かないでいる。そこで認知症?とかつい疑いたくなる、というよりは認知症の症状の現われが出始めたとかで想像が膨らんでいく(噂も交えた話が固まっていく)。そこで問題の指摘は流されて、対処はないままになりがちにする。ところが、新参者であった当方はそういう偶然の境遇ゆえにプラスしてそのお年寄りとのちょっとした付き合いからしっかりものであることを一応理解できてたものだから線香の煙作戦で調べて、このお年寄りの言っていることは間違っていないことを納得できたわけだ。だから下から冷えることの不都合も理屈が通る。エアコンの暖房使用では、そういう感じをことばにされる場合は空気のよどみ減じるように撹拌的な使い方が一応功を奏す。で高温設定諸氏の困った問題だけれど、実にムッとするほど身体半分以上、特に頭部の方が温まる。ベッドに横になっている状態は低いから、介護担当たちが感じるほどの暖かさではないにしろ相当に部屋は温まっている。そして下の方は温まりにくいままだ。撹拌してもやはり限界はあるわけだ。でそういったお年寄りは寝たきりか寝た状態をほとんどにする方々だ。そしてふとんの類を薄く使う。部屋を暑めにして、たくさんかぶったりしない。ふとんをはぐと寒いという度合が薄まった状態と見てもらえるとわかりやすくなる。だからこの使い方はこういった状態のお年寄りの苦渋の知恵、困難なコンディションから絞り出された工夫の一種と当方は一応見なしている。活動的に動ける人々がエアコン調整して、動きやすいとか錯覚発言されることがあるようだけど、それは頭寒足熱の知恵を無視した、やはり錯覚の一種だと当方は見なしている。頑固な頭寒足熱なお年寄りの健常な時期を観察できて、特にそう思えている。
ところで先のベッド下の冷気を指摘されたお年寄りは90歳代を生き抜くことができた方だ。気持ちはずっとしっかりされていた。お年寄りっぽく振舞う年代なりの人生表現もされていたけれど自己省察、他人への観察眼ともに健在な方だった。おとぼけを真性のボケとカン違いする程度の会話かそうでないか、という程度の偶然の出会いの有無も影響していたかもしれない。その方は米食大好きな方だった。おかずはごく副食で、主食をたくさん召し上がるタイプ。若いころとか中年期の食事のことを聞きそびれてしまった。昔からコメご飯が好きだ、ということばは聞けている。だからとここは厳密さを欠くことは承知で指摘してしまうが、米の栄養成分が幅広いことはネットで調べてもすぐにわかる、など踏まえて、一つには米食について混乱することはない、と糖質制限食の偏った解釈へはそう一般は押さえておいて心配無用と言える。ただし、コウノメソッド2019でも指摘されていたように肥満とか、糖質由来の体上の方よりが生じている諸氏においては工夫が不可欠だ、とも添えることができる。また米食が広範な栄養成分を伴わせていたことを踏まえられれば、米食断ちの代替には相当な栄養分補給の工夫が要る、ということも指摘しておいて良さそうに思う。2050年前後大問題には動物肉食依存の脆さへ突入するよりは米食でしのげた方が楽に思える。太りやすい諸氏には今からでも遅くないから無理の少ない食について準備しておいてはいかがか。



世の中の様変わりについては当方の境遇がたまたまなのだけど浦島太郎っぽい突然の(その時点での若者たちとの)再会のようなところがあって、より感じられやすかったとも想像しているのだけど、”昔は良かった”系の発信というよりは、少しは良い方に変わった方が・・とか思うタイプの旧若者の一人に過ぎない現年寄り発信として受け止めてもらえるとありがたいのですけど、同世代くらいまでの不良たちは、当方がハッと気付かされるくらい年寄りが不利な立場であることに反応していた。体が弱いとか、体力上若者にかなわないとか、生活上の弱者性に気付けていた。そういう観察眼を常時機能させていて、こちらば見過ごしてしまいがちな事にもちょっとばかり注意を払っていた。そこらは悪用もできるわけで、難しいところだ。今時は先にも指摘してしまったように、平気でぞんざいに”扱って”しまう。極端に変化していた。
不良ではない連中がかつての不良ではありえない乱暴な対他人の部分を示すように変化していたわけだ。
ここらへの一(いち)年寄りの私見を指摘しておきたい。団塊の世代までは地域社会のどっぷりつかって人生を形成してきたとかなりの濃度で指摘できる。しかもその世代が率先してそれを壊してきた、と何度も指摘してきた。地域社会育ちのバイタリティもろにそれを使って、だ。やがて地域社会の漠然とした安心感に使って育つ人生とその後、を体験できていない世代がより多く育つようになる。知人とか友人とかの範疇で構成が決まってしまう。しかも誕生会とか実質的に(招かない他者を意識させて)内輪を誇張するタイプの儀式をより濃く導入するように風潮が移ろう。だから浦島太郎が気付いてみれば、なんと世の中様変わりしていたことか。当方流でなら更に変化してこうあってほしいと対比して、更に面白くなくなっていた、感じなわけ。
個々で堪能できる娯楽ツールは豊富に提供されるようになっている。地域社会の極くローカルな思い込み発でのかくあるべしの近い人々間での独特な圧の掛け合いも希薄になっているけれど、それが自由の方向で、自発的秩序形成の工夫の様々、試行錯誤の渦が個々を尊重し合える環境という形で成っている、とかではなく・・・という方に近いところで変化している。信教の自由とか労働者の権利とかが、普遍的な応用ではなく、ごく内輪についてそれとして我儘に行使されて、市民社会内でのお互い様の基本がどこかへ忘れ去られた感じになっている。不平不満を聞いて、人事の悪用に使ってしまうタイプに若者たちが安易に利用されがちな世の中の一面を持ってしまう。何度か指摘してきたけれど、少なくとも宗派宗教利害のために地域社会を壊すことは多分相当な努力を払い事をなしてきたのではないか、と推測する。これはこの間の禍根ではないか、とこの間を引っ張ってきた人々、つまり浦島太郎期間にそこで担っていた諸氏に愚痴を放っておきたい。そうであっても、ヒト性質に関する脈絡は大雑把には今素人が指摘した通りなのだからいくらでも修復は可能と見る。グローバルな食糧難の十数年間かもしれない問題の時期に列島ならではの離れ業でもいいし、いたってごく当たり前の手法でいいからまずは列島事情、そしてきっと摩擦的な困難を囲ってしまった土地へ救いのなんらかを提供できるようにしておく物と情報網の整備くらいはしておきたい。
介護の知見は情が介在し過ぎると、介護ストレスにめげて悪人化しやすい。強圧的な説教、声高に攻め立てるとかに走りやすくさせる。ここらは若者だからって柔軟でいられる、と思った大間違い。先の通り。年寄りは鈍くなっている、でもそれが積み重ね、心理負担の積み重ねに作用して悲惨な家庭内事件ともなりかねない。つまり年齢に関係なく、情というよりはプロフェッショナルな情を理解できた技が要る。意欲とか志向性とか遊び心とか。それに別のお年寄りからだったのだけど、他人のケチを言い合うサロンよりも気の合う(これがまたお年寄りの施設では絶望的なくらい難しいのだけど)だれかたちと、時々話したり、趣味に時間を費やしたり自らのやりくり上手で満足できる、楽しい人生にしてみたい試行錯誤をお年寄りが希求していることに、介護担当諸氏は自信を持って、しかも個々の諸氏と近づきになってある程度知り合いくらいになれた後のなんらかの助力提供のような関係での関りならば無理の押しつけにはならない。娯楽漬けして介護しました、の世界はその昔のデイの姿だった。そしてそれはネット発信が率直に語っていたのだけど、数年で反省期を迎えていた。お年寄りは、個々性を尊重されつつ、個々での楽しみ方、晩年を求めているし、多分、若者たちだってそれくらいは自らの将来として、できれば(できないかもしれなくて心配だとか)位には受け止められるのではないか。





君:ひょっとして・・・
私:きょう、の話、キミに馴染みがあるかも、って。
君:うん、・・・そうね。それにあなたの、解釈、を、加えてる、わけ、ね。
私:そこは、キミが考えてたことと、違ってるのかも。
君:前回でしたっけ、探偵ものの映画、タイプかなにか、話してなかった?
私:えっ、そっちぃ・・・。うむむ、そね。・・実は・・・。
君:やはり、見てたの、ね。
私:マイク・ハマーものの一つ『I, the Jury』('82)を『ブリット』('68)や『Busting』('74)と見た。寒いから、富士山見えるかも、ってカメラ持って出た、ら。
君:曇ってて、で映画ばかり、見てた?
私:そういうわけじゃない。奥田和子、小泉武夫坂本廣子っていうトリオに興味を持った。
君:新たにお一人?
私:そっ。坂本氏。こちらは料理の専門家で神戸の地震(1995年(平成7年)1月17日5時47分頃)を経験している。奥田氏に近い具体的で実用的な指摘をしてくれている。実際的なのでキミなら納得してくれそう。
君:それはアリガト、それで映画のこと、どうなの、よ。
私:何見てるんだ、って言われそうだけど、当時の自動車、アメ車、よく映ってる。車体の感じが実にそこにあるって感じで映ってる。有機ELの画像ね。
君:有機EL、ね。そうはいっても、ストーリーとか見てたわけでしょ。
私:『Busting』のカメラの動きが観客の立場なんだけどやけに感じやすかった。カメラが演じる二人の主役を追う感じが伝わってきやすい映像だったんだ、よ。不思議体験。『ブリット』は言うまでもなくラロ・シフリン氏の音楽をモロ聴けるから。しょっぱなから、ね。
君:私、知らないもの。
私:今度いっしょに、どぉ?
君:どさくさ、・・でも・・いいっかな・・って、ダメ、よ。少し、聞いてみたい、気持ちも、あるから・・。
私:そこ、そこだよ。うん。
君:なに、力んでる、の、よぉ。話、続けて。
私:また、お茶しながら、で、どぉ。
君:上手い。じゃ、乗っちゃおうかしら、って、どうしようか、な。
私:って、そうしよう、よ。ね。
君:映画、興味ないし。
私:聞きたい、って・・・
君:お付き合い、よ。
私:ラジオのニュースでサウナの話してたっけ。一部で流行ってるらしいような。
君:それなら、私、関心あるかな。サウナ。家庭で楽しめる、出ても我が家、って感じ?それならいいかな、なんて。
私:へぇぇぇ・・。そうなんだぁ。・・家族でいっしょに入る?
君:・・そういう話にすることないのにぃ。私は私、よ。
私:そうだよ、ね。また『Busting』の話になってしまうけど、スーパーの中で警官と犯罪者が拳銃を撃ち合ってた、よぉ。驚き。余程の腕前に自信があったのか、なんてね。
君:私からすれば、そこはそこまで退廃してる社会、かしら、なんて思うわ。リアルにはきっとそういう所での銃撃は避けるのでしょ。娯楽映画のための、じゃないの?
私:そお思いたい。そこに出てた(執念深いけど用意周到なタイプではない演技してる)エリオット・グールド氏がチャンドラー小説で有名なフィリップ・マーロウ(Philip Marlowe)が活躍する『ロンググッドバイ』で主役。
君:見た良くてしょうがない、って感じぃ・・。ふふっ。
私:だけじゃない、よ。マイケル・マン監督の初期の方のレッドライン7000にも出てた役者氏のも早く見たい。CSIシーズン1~の役者氏が出てた『刑事グラハム』が怖い展開だったけどそれなりに別のテクノロジーの精密さっぽい面白さも体験できたので。それとロバート・ミッチャム氏版のマーロウものを見てみたい気がしてる。それ行けスマートコンビも見てみたいし。スマートと上司のやり取りも傑作だったんだよ。
君:見たことあったの?
私:それなりに年寄りだし。お年寄り、ってボクらが観察者の立場で見ているからその錯覚でボクらの方が知ってる、なんて思いがちだけど、実はよぉくボクらのこと介護やってる連中のこと、ね、見てるからね。・・・そういや、キミって、さりげなく、しっかり観察してる、って気付かされたことあったんだ。おまけが、キミの他人真似上手、ね。くっ、くっ。
君:なによぉ。
私:つまり!キミもボクに劣らずお年寄りぃ?
君:褒めてるの?お年寄り、は余計、よ。若ブルつもりはないけれど、ね。あなたより、ずっと若いから。でお年寄りのあなたなら、そのドラマ見ることができた、ってこと?
私:海外もののテレヴィドラマをどの放送局も流してた時期だったのかもしれない。皆が見る時間帯に。お茶の間時。ギャグのりの影響、そのドラマもひょっとしたら影響してたかも。
君:ただおやじギャグ、じゃない、よって、言いたい?ふふっ。話の続き、お茶しながら、いいわよ。
私:アリガタイ!!