連載は続く~SF 掌編『4K2K 続編』編




私:4Kの準備、力、いったし・・。
君:力?えぇっ・・。
私:持つところ、ないし、重い。今後の工夫次第、らしい、けど・・今は電気食う、しぃ・・・。
君:パフォーマンス、問題あり?
私:見る分には、これまでと比べて言うことない。でも、と言った感じ、かな。
君:そぉ・・・。で、何、見た?
私:きょうは・・・きょうは、ね・・。
君:なによぉ・・。
私:きょう、これを見ました。
君:答えになってない、って・・、もぉ・・。





BBCが放送したのをNHKのBSで見ることができた密着取材もの2編、警察捜査ものだ。
このところ刑事コロンボの20選ものを見ていて、多少比較っぽい頭でも見ていた。
刑事コロンボはためにするっぽい作りの時もあって当方的には好き嫌いの方でめったに全体的に通して録画を残しておきたいタイプは意外に少ない。北アイルランド過激派がらみの事件捜査は設定が大げさだったとしても、筋、展開が面白かったりする。これはあくまでも当方的受け止めですけど。
さてNTVの坂本弁護士の事件を扱ったドキュメント番組もその流れのまま見ていた。
コロンボ刑事のように執拗に意味ある時間内に追求しつくす意欲と実際の積み上げとか想像したくさせた。現段階においては、グローバル諜報脈のくせほかについて、一応踏まえた専門組織が自国の自律性において作動しうる、ということでしかもグローバル情報協力関係の有効で友好なやり取り可能のようななにがしを期待して、きっと市民社会の平穏持続に加担しているだろうな、とか勝手に押さえてみた。客観的にとにかく無関係な人々であっても多少の犠牲やむなし的割り切りではないオルタナティヴがかつてと比べたら相当に可能になっているような空想。
更に続けて20世紀のパリ・ニューヨーク・ベルリンのドキュメンタリー番組、それに続けて3人の独裁者についてのドキュメンタリー番組。それぞれNHKのBSで放送されたのの録画。
そして続けてアイヒマン実験とかの再実験ドキュメント。
それら以前に”超”富豪を紹介した同シリーズのドキュメントは放送済み。ここは大事かも。
だから広瀬本から推理できるとにかく”革命”発想で世界史に挑んだ18ごろから19、20世紀への明確な線を引ける仮説に乗れば、お互い様の自由確保には程遠いけれど、それに近いけれど脆(モロ)くもある試行錯誤中を努力目標にする気になってもらえる啓蒙とか人育てにはシンパシーを感じて良し、とグローバル環境として当方も含む同時代状況的に思えるならば、非常に迷惑でもあった19、20世紀とみなすことに無理はない、と素人的には指摘してみたい。
介護的には、介護理念を踏まえた仕事をしてくれるならその人物を雇いたくなるはずだ、とごく普通に指摘できる。どんなに早く仕事を片付けようが、介護の仕事の質が保たれていなければ必ずその副作用をフォローするための膨大な労力が以後必須になってしまう、ということを一応理解もできる人物(たち)とも言い換えられる。でないと、制度とか法整備された上での仕事とは言っても、そこは他人の晩年の数年から数十年間、生活と付き合うのがその実質なので、その質において、他人を自分へとは違って軽く扱えるだれかにし過ぎる先入観とか、個々性として付き合える日々を面倒くさがるようだと、雑さがもろ他人を軽んじるほうに作用して、だれかしらがその副作用をフォローし続けると言った具合で、そのタイプ諸氏は仕事をしながらの仕事量産”装置”になりかねなかったりする。
だれもが相性のからみがあって問題点を見逃してくれたりするだれかと遭遇くらいはできる。でもそれに甘んじてほかもオーケーというわけにはいかない。
或る認め合えるところで介護の関係が成り立つようならば、近親者間での情動の濃さが災いするような事態は避けられつつ、けれども、或る距離感が幸いして、個人をある程度親身に見ることができて介護の技量がそれを支えられるくらいの熟度であればお互い様のゆとりがお互いの間に生じて、一方が困り者のクレーマーのように振舞うようなことは相当に避けることができるようにもなっている。お互いをなんらか許せるようにしている。普段は時々しか見ることのない近い人々がやってきて問題じゃない、と思える事態であっても、お互い様の了解が一方の我慢ということではなく、時間幅の中で均される事態として受け止めあえている、といった感じ。そういう関係での介護が可能な金銭もからむ介護の仕事、というあり方にできれば近づかせないと、お互いに疲れやすい介護の現場になってしまうけれど、その際の最低限の必要事項は先のとおり個々性を認め合える、お互いを尊重し合えるごく普通の市民とも言っていいし、ヒトの関係だ。
そのヒトはドキュメンタリー番組で紹介されたように条件付けしだいでもかなり揺れ動きやすい。条件付けしたわけでもないのに、他人をぞんざいに扱いすぎるようでは情けない。そこは現介護現場の介護職がもう少し努力目標に個々として振り返ったほうがいいのでは、とか年寄り的にはしっかり指摘できる。お互い様水準の天秤が偏りすぎてるかも的イメージを放てる。
そういう19、20世紀を経た今、DNA捜査という場合のDNAの扱い方ゆえに、実験室でのDNAとはまったく異なる脆さをひきづるのだ、としっかり紹介する番組も放送されるきょうこのごろであることは、放送メディアの良い部分だけど、警察の力を使い間違えれば古典的表現のまま暴力装置の市民向けとなりかねないのだから、なんでもそうだけど使いよう、これなのだ。
様々に役立ってくれている街頭のカメラは、活躍のさまを紹介されて、監視の部分をマヒさせかねないけれど、やはり市民にとって煩い装置には違いないし、だれが見ているかも相当に問題にできる。ここらは現介護現場問題(つい入居、利用者のせいにする言動がネットでも簡単にさぐれるのでは?!)とそっくりだ。どこまで見通せて(つまり啓蒙の努力をどこまで自ら近づいて得て、頭で考えたりして、”見ること”の力の足しにしているか)個々の言い分に耳を傾け、ただ聞くだけではなく内容として把握して啓蒙の成果と照らし合わせて、他人の理解のための営為を経た意見として自らを表現できるか、とか。
それでもドキュメンタリー番組が紹介するところでは、法律的な試行錯誤において、と捜査手法の試行錯誤の同時期的同質量の並行的な育ちが難しいこととか、そこから敷衍(ふえん)して、この同時代的な諸要素間でのぎくしゃくこそがリアルなのだから、それを踏まえられる知見の共有とか可能なことに目を向けることができるかどうか、などこの居合わせた人々どうしに問いかけることくらいはできそうだ。
集団間の争いごとが同時代の基礎にあるようなところに住んできた人々には警戒心から、もう少し慎重に営為を運んできた人々からすれば差別しすぎのような極端が見え透いてしまう。そこを直接指摘されて心外というか自尊心に痛みを感じてしまうことはおそらくヒトのくせの一部だ。けれども、指摘の仕方を工夫しつつ、世代交代などに期待しながら、お互い様の自由へと誘(いざな)えることは貴重だし、普通に発想できそうに思える。
映画『恋におちて』まで見ていた。決まりセリフのダイジェスト版のような進行の映画で、つい早送りしてみていたのだけど、最終版、お互いに別々に夫婦生活しているのに、なぜかハッピーな終わり方を映像にしていたので、そこはUSの勢いなのか、とか勝手に想像していた(話の途中でお互いにそれぞれの連れ合いに付き合っているだれかのいることを口にする潔いエピソードにしていたのだけど)。
だから4K画面で試しに2Kブルーレイ版の『八月の鯨』を見て、改めて超と言ってさしつかえないリリアンギッシュ氏(氏はこの映画の後数年間も存命されている)とそれにごく近いベティデイビス氏がごく普通にセリフをこなしている姿は、それこそ将来の超高齢化社会であるはずだ、と声を出して指摘したくなっていた。ここは音声チャットの場ではないから、いつもが文字だけなので。(近年の『アムール』主役出演の女優氏は出演して話題となった年月の中で残念ながら亡くなってしまった。昔の日本の映画に主役で出ていた女優氏であることは後で知った)





君:ひょっとして一日中見てた?
私:そうでもないけど。年末だからすること沢山あるし・・でも半日は十分に浸かってたかも。
君:かも?そうじゃないでしょ、一日中・・・。
私:あのね、強固・・・(というより、)頑固、でしょ、キミって。
君:たまにわ、ね。いけない?
私:いけない、って聞かれると、こまるけどさぁ・・・。やっぱ、多少、頑固?
君:話、ズレてない。
私:そうね、沢山見た内容、その話だもん、ね。
君:そうよ、見てた長い時間のこと、どうだっていいわ、よ。でもやはり一日中。
私:しっかり買いものにも行ったし・・・、やっぱ・・。
君:ハイ、その先、言わない、言わない。
私:だって・・。
君:なによ。・・・それより、閉じこもってたんでしょ、今日。だったら・・・出かけましょ。
私:・・・そこまで思いつかなかった、入り口の話にこだわりすぎぃだったかも。
君:そうよ、意を汲むための準備、足りないんじゃないの、いい年して。
私:露骨ぅ。それ、ぐさっとくる、よ。
君:気にするのぉ、そこよ、だからそのたった今のことばにだけとらわれ過ぎぃ。
私:だよ、ね。そうだ。ほんとだ。だめだ、こりゃ、って自分のことだけど。
君:もぉ・・ことばをこねすぎぃ。出かけましょう、よ。ごいっしょ、ね。
私:異議なし!
君:固い、かたすぎぃ、ことば選び。寒いわよ、外。大丈夫?オンナは薄く一枚余分に羽織ってるわ、・・・・?冗談よぉ。もぉ。しっかり下も重ね着してるし。あなたこそ。
私:靴下重ねてこう。熱いの、飲みたい。
君:そぉしましょ。その前に歩かなきゃ。ふふっ、ふふふっ。