連載は続く~SF掌編『テーブルの上に・・』編




それを指す、指したいのに形をつい思い浮かべるようにしなくても済む、そういうニュアンスを下敷きにするとき、エネルギーということばは使いやすい。
なにかしら勢いのようなのを思い浮かべやすくしてくれる。
とかくエネルギーの源とか、それを使うことでエネルギーの状態をもたらせる原料に当たる素材と結び付けてエネルギーを思い浮かべやすい。そういうことば上の扱いにくさも併せ持つ。
ただとにかく人々はなんやかや思考上の試行錯誤を経てきて生命の究極は「エネルギー」らしい、くらいには思い浮かぶようになってきた。
そこに何を準備されているか次第で、可能性の数々が時間フィルターに晒(さら)される。
準備されている諸々が時間フィルターの中身ともなっているし、生命が形を成すに当たっての素材ともなる。
順路は近接での相互作用や遠隔の相互作用による集合現象で、可能性の様々が形になり時間経過の中で残ったり残らなかったりで、かなりの偶然性も経る。素材とかその素材がそう素材としてありえた条件の下での形化についての試行錯誤が繰り広げられ、一応、成るようになる。場所というか構成要素の様々の違いが成る過程との関りで形化に当然様々を生じさせる。地表面とか地球生命系はそれなりの納まりを得る。納まる前においても試行錯誤の地球版であることに違いはない。地球自体の経年変化も条件の一つ。
生命を手繰(たぐ)る時、粒子性の方で精密化して、届くのか、という疑問をシンプルに指摘できそうだ。
インフルエンザウィルス知見については、根路銘国昭氏が著書『新型インフルエンザ対策Q&A』に特徴を紹介されている。
ごく小さいもの、生き物たちにとっては水滴は大敵だ。もっと言えば表面張力に取り込まれやすい。ウィルスのようなタイプは余計にそうだ。アルコール消毒はそれほど期待できないけれど、塩素系漂白剤はそれなりに効く。そして湿度(40%以下には要注意。ただし80%以上となるとカビに注意が要るようになるとも)も有効だ。換気も良い。ミクロの決死圏をよりリアルに描くには、小さいけれど表面張力に抗しうる工夫がどうなのかくらいはふれないと説得力というかリアルに響かない。
小さい細胞が組織だってくるにもそれなりに邪魔を邪魔としない様々を呈しながら、とシンプルに考えることができそうだ。で恐らく血管と共にの細胞分裂と形の拡大。
ただ丸山氏の紹介だと、ある進化的断絶のような機会を地球史では経験していて、その都度10の6乗ずつ3段階大きくしてきた。今日の大きさを見ることができるのが普通だったわけではないようだ。
それと地球史上でのハビタブルトリニティ条件をクリアできて初めて生命活動の持続性が成り立つ。生命の構成要素から水、空気、太陽(太陽エネルギー由来の風化も含まれる概念だ)。
長大な時間を想起してのことだけど、化学反応で簡単に移ろってしまう構成が生命の体を固めている、ということから、ある時期時期での安定さの構成は異なる。
ある時期には毒でも他では毒にならないような構成というイメージ。毒ということの考え方は化学変化によって変わってはいけない組織の構成がいとも簡単に変化してしまう、崩れてしまう、組織として機能しなくなる、といった捉え方ができる。B・マクファーランド著『星屑から生まれた世界』(化学同人刊)など参照できる。
一応今の環境下関応した現生人類はなんとか氷河期依存でやってこれた。間氷期だとどうも人口が莫大になってしまうようだ。夜が長いとめいた笑い話、ジョークの類は幻に近い。温暖で食べ物も豊かだったりして相当に子作りに励んでしまう。やがて集合現象的に飽きて、人口の量が集合現象的には落ち着く、けれどもそこまでに氷期終了を1万年前と想定できるならば、それくらいかかる。温暖になって助走が始まって、一万年近くになって一気に人口は膨らんでしまう。驚くほど(子供が死ななくなったそういう工夫を振り返ることができる。だからヒト、現生人類はもともと子供大好きで子作り好(この)みのようだ。持っていた何かしらが条件によって開花した、という受け止めをした場合)。
ところが知性を可能性としては持っているはずなのに、構想力を期待できるはずが、サイエンスの世界では注意報発信しているけれど、一般的にだれもがそこそこの生活で満足できずに競い合いの内心を落ち着かなくさせながら、政治的にどうしても振る舞いがちにして子育ての環境としては劣悪になる方を選び勝ちのようだ、という傾向を最近というか1万年もたって表現し始めている。
帝国的安定秩序形成の知恵を昔撮った杵柄(きねづか)として今でも密かに着実に行使され続けている。だから秘密のネットワークが要る。しかもできるだけ広範に同時的な連絡網こそが望まれている。普通はというか生体は冗長とかワンクッション置いて、急いた誤った判断を即採用しないような工夫の機構になっているけれど、ヒトの思考力を期待して、日ごろから考えの試行錯誤をしているはずだしケーススタディっぽい積みかさねもしていることだし、と、同時的対話、会話の場での意見交換、指示方式を採用して瞬時対応を試行している。
けれども残念ながらヒトは、ヒトの思考では誤ることがよくある。間違えないのかもしれないけれど、必要な全情報を得て判断できることは滅多どころかまずありえないので、いつでも暫定的思考と判断にゆだねられる。それゆえに、秘密がヒトの集団性では弱点ともなりかねない。試行錯誤国民国家の20世紀版を担ったUSではだから情報開示についてはかなり本気で取り組んできたと思え、一般の相当に学問を積んだような立場の人々ならばそれは隠してはまずいと自ら判断できるようだ。そういった中から、先駆け的に政府の秘密に当たる情報を、(大国の立場だからグローバルな影響関係を発揮してしまう)集団の営みに不都合ということで、秘密を開示する人々が出てきた。普通に受け止めれば、USお見事!と喝さいを浴びておかしくないはずなのだが、秘密の営みと一般の膨大な日常との間を媒介するリテラシーが今だと残念なことに育っていないために、明確な悪意での開示情報扱いも可能になってしまいかねない半面をひきずっていて、ゆえに、開示した情報から恐らく責めることは見当違いと客観的には察することができても、公式には不都合ということで責められる立場を囲っているようだ。もう少し一般が継承的に情報扱いに慣れて開示されてわかることになれて(だれもがお互いに尊重され合う、プラスそれを支える法治の整合性が強固)市民的基本がぐらつかないようであれば、きっと扱い上の難しさはクリアされそうだ。





君:今日も寒かったわね。また映画みてたの、かしら。
私:うん、マイケル・マン監督の『刑事』('86)。FBIもの。録画しておいたテレヴィドラマの『ナイトライダー』のシーズン1のいくつかも見てた。有機ELで見るBlu-ray版も、UHD版に劣らず、撮影現場が伝わってくる感じ。チャンドラー小説に探偵フィリップ・マーロウ(Philip Marlowe)、スピレーン小説に探偵マイク・ハマー(Mike Hammer)ってことを今になって知った。遅すぎ。『刑事』にボーンスピレマシー、ボーンアルティメイタムでの女性役者氏やなんとCSIのシーズン1でお馴染みの男性役者氏が出ていた。『張り込み2』でお隣さん夫婦の夫役の役者氏も出てた。『ロンググッドバイ』がフィリップ・マーロウものというのを改めて意識させられてるし、ロバート・ミッチャム氏がフィリップ・マーロウものに二本出てた。テレヴィシリーズになってたことはつい最近知った、よ。2,3年前だったかBSNHKで『こちらブルームーン探偵社』を放送してたものな。マイケル・マン監督の『マイアミ・バイス』はBlu-rayに買い替えたし、そのうち又見る気になっている。時間がないというか足りない。『それ行けスマート』のコンビの巧みを見たいし・・でもBlu-ray版にはなってないみたい。
君:そういう映像作品、ただ娯楽に作られてるのかしら。それほど人は暇じゃないだろうし、作る方だって、ただそれだけ・・?
私:テレヴィありきでの生活が長いから、つい、ことば上は娯楽と受け止めてしまうけど・・・、大国役(つまり帝国手法の巧みをどこまで学べて応用力を有してるか試されてしまう)USにしてみれば、恐らく地味すぎるし厳しすぎる仕事の面を持つ公務のFBIとか諜報部門とかに如何に意欲と能力を持ち合わせた人々を誘えるかっていうのが賭けのような重要な仕事になってそうに、今、思えてる。で、正義とかただ建前ではないことば運用のことも実のところで押さえて、リクルートし続けていると想像したくなってるよ。大国の位置をずらせるとしても、大きくて広い国の地味な秩序部門の公務に誘うことは大変だ、よ。ただ娯楽シャワー漬けにして良しでは、決してないと思いたい。情報の開示リテラシーがどちらにとっても意識的に育ててきたとは思えない列島だと、未だそこに踏み込むことは難しそう。開示してこその秘密保持の工夫でもあるわけで。そもそもの公務系の情報を残すことの慣れが、全然こなれてなかった、ってことが一応衆知だから。
君:忘れてた、けど、そうよ、ね。大丈夫?って心配してどうなるものでもなし。相変わらず、暇もてあましてるの、かしら、映画ばかり、見てる?
私:だから、残しの時間をなんとか使って、っていう感じ。忙しすぎ、と本人感覚、だけど。年寄りっぽく、技を習得しておきたいんだ、よ。なんとかね、地味目にだけど持続的に。それを必要なら役立てることに使う。そういう身に着け方、かな。
君:私にも役立つ?
私:多分。介護の技は誰に対しても使えそう。ただ、だからって焦点を当てないと、小刻みな応用になってだれも喜べないことになりかねない。そこは使い方も工夫が要る、と思う。
君:ただ一緒にいるから、ただ長年一緒に暮らしてきたから、産んだ子供たちとはまるで違う感じのはず、でしょうけど、それだけ、なのか、っていう。お互いが若くて求めあってしまう、勢い、ってあなたが言ったか、私が言ったか、それに、あなたのことばを借りれば、飽きてしまって、それで一緒のことが実情、でしょ、そこで、ただ、なのか、っていう話。
私:確かに、勢いにリアルが勝(まさ)ってしまう。お互いが生々しい肉体なわけで、実際に生々しい要素を発散し合っていて、子供たちはそれが環境だったけど、大人の二人にとってはいつでも生々しいししそのリアルな体感こそがより年取った二人の普通になっていく。そしてかつての勢いをウソのように感じられるくらいには一人一人の実在感っぽい、そんなリアルな感じを持っている、どぉ?
君:口にはだしにくくなってるし、感じてもいるし、かしら。敢えて言うことでもないか、言うそもそもそういう機会もない?
私:だよ、ね。でそこにとどまっていられるほどの動く必要がないのならいざ知らず、とにかく毎日が何かしら忙しかったりして、感じていることのリアルを幸いなのかどうか希薄にして置ける。でも、介護なんかやってると、それがもたらす相手への態度になって出てしまうよ。適当な年齢になれば。だれもが、ね。理念なんてどこ吹く風、ほどではないとしても。
君:寂しい、わ。だれも、が、かしら。あなたが言ってことを鵜呑(うの)みにすれば交わることはわがままなやつらの仕業の可能性が大きいわけでしょ。
私:ことばで言う、たまったら困るようなことを吐き出させる脈絡ではごまかしごまかししできる一つの必要なことのはず、なんだけど、それが解決してくれる、というよりそこどまりに思考を惹き付ける原因めいたのを、外して、肝心なことを考える余裕に誘える、って感じ?ヒトも生き物だから触れ合い、体温を確かめ合えて安心できることは大事なはずだけどわがままなやつらは子作り系の所作に強引にとどまらせようとする。そして小さな死を持って満足した気にでいろ、と誘ってくるからね。するともうお互いじゃなくなってて、それぞれがわがままなやつらの手中で考えてるつもりになっている。それって観念肥大系に気付ければ、錯覚に近いわけで、実はなにもしてなかった。子ができていればそちらで大忙しにもなるわけだし、わがままなやつらの仕組みは一方で上手くできてるわけ、じゃない。そこを集団の営みについての試行錯誤として、もう少しなんとかしたいとか、さ、なんか考えることに使いたくなれば、ボク的にはしめたもの、って思いたくなる。せっかく市民とかでことば上、個々を尊重し合うことはいいことだ、っぽい営みを認め合おうとするくらいは不自然に受け止められなくなっているから。伝統的にも個々が育つことは尊重されてきたけど、世の中を落ちついて営むような環境ってはなかなか持ちにくいままできてたわけで、19、20、21世紀版の試行錯誤の延長をなんとか工夫したくなる、って現出版の中で得た知識から、ボク流にことばにしておきたい、よ。
君:ちょっと大げさ、だから本当はもっと詳しくしないとわからないことだらけ、なのよ。だけど、今回は聞いたことにしようか、な。
私:そうして。
君:では、お茶、淹れてもらえる。
私:もちろん。久しぶりにヴェトナムコーヒーでも。
君:そこにジャム、ある、わ。というこ・・と・・は。ふふっ。
私:紅茶?でいい、の。ロシアンティー。少し、熱め、で、淹れましょう、か。
君:ジャム、なめながら、いいわねぇ。でも珈琲にも合うの、よ。この場合、珈琲に溶かすの。美味しいわ。
私:詳しい。全部、淹れたくなった。
君:そうして。ふふっ。・・・・・・いいわよ、散歩、行った先で、注文しましょ。
私:そこで・・・。
君:好きなもの、飲めば、いいじゃない。考えすぎ、よぉ。
私:そね。